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「NHK出版新書を探せ!」第23回 肉眼細胞学の可能性――郡司芽久さん(解剖学者)の場合

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

〈今回はこの人!〉
郡司芽久(ぐんじ・めぐ)

1989年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了(農学博士)。東洋大学生命科学部生命科学科助教。幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。解剖学・形態学が専門。哺乳類・鳥類を対象として、「首」の構造や機能の進化について研究している。第7回日本学術振興会育志賞を受賞。著書に『キリン解剖記』(ナツメ社)がある。当サイトにて「キリンと人間、どこが違う?」を連載(終了)。

ちゃんと見るって意外と難しい

――郡司さんは、人生で初めて何かを解剖したときのことって覚えていらっしゃいますか。

郡司 覚えています。小学校4年生くらいのときに、夏休みの理科教室のような場に参加したんです。そこでフナか何かの解剖をしたのが、人生で最初の解剖だと思います。でも、解剖にハマったということはありませんでした。解剖したもののスケッチをするのはすごく楽しくて、いまでもよく覚えていますが、解剖の過程はそんなに印象には残ってないんです。

――それ以来、大学に入るまでは解剖をしたことは?

郡司 中高ではなかったと思いますね。次に解剖したのは学部の1年生のときで、カエルとザリガニの解剖が必修でした。

――著書の『キリン解剖記』では、1年生の冬に初めてキリンの解体をしてから、キリンの解剖に習熟していく様子が克明に描かれています。本を読んで、「解体」と「解剖」がまったく違う概念であることがわかりました。

郡司 解剖は時間をかけて、筋肉の配置や筋繊維の走行を記録するような作業であるのに対して、解体はただ皮膚や筋肉を外していくことだから、目的が全然違うんですね。たとえばキリン1頭を解体するだけだったら3~4時間で終わるんですけど、解剖となると何日もかかるんです。

――上手な解剖と下手な解剖ってあるんですか。

郡司 あります、あります。からだの中っていろんな組織が集まっているから、たとえば筋肉を見ようと思ったら、その表面にある脂肪や皮膚は外していかないと見えないわけですよね。層状になっているので、上のものを取り外さないと奥にあるものは見えない。その取り外していく作業は、いわば破壊なわけです。

 下手な解剖は、その破壊のときに大事な部分まで壊しちゃうんですね。逆に見たい部分でその破壊作業を的確に止められるのがいい解剖です。時間も全然違うんですよ。解剖が上手な先生は、必要なところまで到達するのがすごく速い。見たい部分と壊していい部分の見極めが正確で、要らない部分は即座に外し、必要な部分をじっくり、丁寧にというような作業ができるんです。その見極めが甘いと必要な部分を壊してしまうし、不要なところの破壊に時間をかけすぎると、見たい部分の腐敗が進んでしまうんですね。

――本の中では、解剖のときに筋肉や神経の名前にとらわれるなという教えを何度も受けたことが語られています。

郡司 ちゃんと見るって意外と難しいんですよね。目に映っているものが本当はどんなものなのかを認識するには、たしかに知識は必要なんです。でもその知識によって先入観が生まれて、些細な変化や違いに気づけなくなることがあるわけです。

――郡司さんはキリン以外にも、さまざまな動物を解剖していると思いますが、解剖しやすい動物としにくい動物ってあるんですか。

郡司 それはありますね。ネズミみたいな手のひらサイズの動物を解剖している人を見ると、大変だなと思います。小さい動物は細かい作業になるので、大きな生き物の解剖とは疲れる部分が全然違うんです。大きな生き物の解剖は筋肉痛なんですけど、小さな生き物の解剖だと肩こりがひどくなる(笑)。

 あとは本にも書きましたが、骨格標本を作るときの大変さもかなり違います。キリンの骨格標本はつくりやすいんです。というも、体の中に含まれている油の量が少ないので、鍋で煮たときに骨から油が抜けやすいからです。でもクジラやアザラシのように脂肪が多い生き物の場合、グツグツ煮込んで骨格標本を作っても、骨の中の脂肪が抜けきらず残ってしまうんです。そうすると、骨格になってしばらく経ったあと、骨の中から油がにじみ出てきて、骨の表面にカビが生えてしまうこともあります。

肉眼解剖学は時代後れ?

――解剖学という学問はいつごろ成立したと考えられているんですか。

郡司 解剖学って歴史が深い学問で、古代ギリシアの時代から始まっています。紀元前400年ぐらいですね。哲学で有名なアリストテレスは生物学の祖でもあり、解剖の造詣も非常に深かったと言われていますし。ただ、人間がケガをしたり病気をしたりすれば、それをどうにかしようと思うわけですから、解剖学的な営みは人類が始まったときからあったんじゃないかとは思います。

――京都大学の学際融合教育研究推進センターが出している『といとうとい』という雑誌では、現在の比較解剖学の状況について書かれていました。

郡司 私個人はそんなに悲観的な捉え方はしていないんですが、60代、70代ぐらいの世代の先生方の話を聞くと、ちょっとずつ解剖学の立ち位置みたいなのが下がっていることを感じているようです。彼らがキャリアを積む中で、分子生物学が進展して、遺伝子やタンパク質など、ミクロのスケールでからだの中をどんどん見られるようになっていきましたから。
 私がやっているような肉眼解剖学は、文字通り自分の目で見るわけです。それが時代後れのように言われることはきっとあったんでしょうね。ただ、私は肉眼解剖学の全盛期を経験していないし、バブル崩壊後の状況しか知らないので、その落差をあまり実感していないんですね。

――たしかに一般書の世界でも、分子生物学に比べて解剖学は手薄な気がします。その意味でも『キリン解剖記』は、一般の人が解剖学という学問を知るのにもってこいの本だと思いました。

郡司 解剖学という学問が現在でも成り立っていることにびっくりしたという感想はけっこういただくんですよ。そもそも、キリンを解剖できるという前提に立っている人って、研究者でもほとんど存在していないんですね。

 でも、本でも書いているように、キリンを解剖する機会は、待っていれば普通にあります。そのことを知って、「キリンでちょっとやってみたいことがあるんだけど」という研究者って実はけっこういるんですよ。
 私はそれがすごく大事なんじゃないかと思っています。細胞や遺伝子の研究が進んで、いろんな動物を対象にできるような未来が来たときに、マウスが終わったから次はモルモットとはならなくて、ゾウやキリンのようなユニークな動物を知りたくなる気がするんです。だから、将来は国内でキリンやゾウの細胞を手に入れたいという研究者が出てくるかもしれない。それが夢物語ではないことを知っていただく機会になったという点でも、あの本を出してよかったと思うんです。

なぜ生物はぶつかっても大丈夫なのか

――現在はロボット研究のプロジェクトにも参加していると聞きましたが、どういうきっかけでそうなったんですか。

郡司 事の発端はツイッターなんですよ。そのプロジェクトの先生が私のツイッターを見てメールをくださり、話をする機会を持って一緒に研究することになりました。

 私は大学院を卒業した直後ぐらいにツイッターを始めたんです。私のキリン研究はとてもニッチで、他にあまりやっている人がいないので、ピンポイントで私のような研究に興味を持ってくれる人がいたとしても、どこにいるのか全然見当もつかないわけですよ。それで、向こうから来てくれるのを待とうと思って、自分の研究内容を発信することにしたんです。

――まさに思ったとおりのことが起きたんですね。そのプロジェクトでは、どういう研究をしているんでしょうか。

郡司 ソフトロボット学という分野で、「生物の“柔らかさ”とは何か?」というテーマのもと、ロボット工学者、数理解析学の専門家と一緒に、ダチョウの首の“しなやかさ”について研究しています。鳥の首ってすごくしなやかなで、頭という重いものを載せながらグニャグニャとよく動くんですよ。こういうしなやかさの源泉を、首の構造や動きを詳細に調べることで解き明かそうとしています。

 生き物と工業製品の大きな違いの一つに、生き物は何かにぶつかったりしてもあまり気にしないということがあるんです。私たちも物を取るとき、手が机にぶつかるじゃないですか。そうやって多少ぶつかっても大丈夫というのが生き物の基本なんですが、工業製品は極力ぶつからないで正確に取るというのが基本なんですね。

 生き物みたいにガンガンぶつかるまではいかないけれども、多少ぶつかっても大丈夫という動きを可能にするキーを探していきたいというのが、このプロジェクトの共通の目的としてあるんです。

――郡司さん単独の研究では、どのようことに取り組んでいるんですか。

郡司 組織の研究をしています。オスのキリンがメスをめぐって互いの首をガンガンぶつけあう「ネッキング」という闘争行為をすることはけっこう知られていますよね。キリンはすごい力で首をぶつけあっているのに、その後はケロっとしているんです。

 もし私たちが同じように体をぶつけあったら、間違いなく首や腰を痛めたりすると思うんですけど、キリンの場合はとくにケガをしていない。ということは、ものすごい力でぶつかっても大丈夫な仕組みが、首やからだの中に存在しているんじゃないか。筋肉の構造はずいぶん調べてきたので、たとえば腱と靱帯など骨と骨をつなぐ部分に何か特徴があるんじゃないかなという点に着目して研究をしています。

肉眼解剖学の価値はなくならない

――どちらも非常に面白そうなテーマですね。肉眼解剖学にはまだまだ未開拓の可能性があるとお考えですか。

郡司 学問って何事も螺旋(らせん)状で発展していくので、完全に時代後れになって、もう二度と使えないというような学問は基本的に存在しないと思っているんです。その意味で肉眼解剖学に関しても、どこまで技術が発展したって、最終的には肉眼で見るものと切り離せない部分はあるでしょうし。

 たとえば特定の遺伝子が光るように操作したとき、その光っている場所のかたちや動きは、肉眼で見て観察していくことを抜きにはわからないですよね。肉眼で見て観察することはすごくベーシックな活動ですけど、誰にでもできる簡単なことかといったらそうではない。目で見ることが生物の研究から切り離せない以上、肉眼で見て何かを研究をする人の存在価値がなくなることはないと思います。

 何より、昔に比べて研究対象にできる生き物はどんどん増えてきているんですよね。たとえば、いろんな生き物の遺伝子の配列がすべて読まれるようになっている。遺伝子って設計図なので、キリンの細胞をその設計図をもとに作り出すこともできるようになっているんですよ。

 ただ、設計図といっても基礎設計図みたいなもので、完全版ではないんですよね。だから、そこから作ったものがキリンが作る細胞と完全に同じかと言われると、そこまではわからない。でも、遺伝子の特徴からキリンの体内のさまざまな構造を擬似的に作り出して観察することは徐々にできつつあるんですね。

 そうなってくると、「じゃあ、実際のキリンはどうなの?」という問いが当然セットで出てきます。実験室で疑似的に作ったキリンの細胞が、本物と比べてどこが同じでどこが違うかを確かめたい。そういうニーズがこの先生まれてくるでしょうから、遺伝子の研究と私たちのような解剖学が融合していくような側面が出てくるだろうと思いますし、いまはその過渡期にいる気がします。

――最後に、お薦めのNHK出版新書を教えてください。

郡司 更科功さんの『残酷な進化論』です。ヒトはさまざまな道具を作り出し、文明を築き、高度に成熟した社会を形成してきました。そのことから、ヒトを他の生き物たちとは全く異なるステージにいる“進化した”存在だと考える人もいると思います。ところが、ヒトの身体の仕組みを紐解いていくと、「優れている」とは思えないような不完全で不合理な“進化”が見えてきます。

 本書で紹介される「生きていければそれで良い」とでも言いたげな泥臭い進化の形は、思うようにいかない日々の生活をそっと励ましてくれるかのようです。読後には、自分の身体がほんの少し愛おしく思えるかもしれませんね。

(取材・構成:斎藤哲也/2021年8月2日、NHK出版にて)

2020年4月よりスタートした連載「NHK出版新書を探せ!」は、本記事をもって終了いたします。ご愛読いただきありがとうございました。編集部はこれに懲りることなく、近日中にさらにパワーアップした新連載「NHK出版新書を求めて」を開始予定です。乞うご期待ください。

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プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
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