本がひらく
幸せな夜だからこそ、世界の有りように思いを馳せる――「熊本かわりばんこ #14〔藤の花のもとで〕」田尻久子
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幸せな夜だからこそ、世界の有りように思いを馳せる――「熊本かわりばんこ #14〔藤の花のもとで〕」田尻久子

本がひらく

 長年過ごした東京を離れ故郷・熊本に暮らしの場を移した吉本由美さんと、熊本市内で書店&雑貨カフェを営む田尻久子さん。
 本と映画、そして猫が大好きなふたりが、熊本暮らしの手ざわりを「かわりばんこ」に綴ります。 ※#01から読む方はこちらです。


藤の花のもとで

 冬眠していたヤモリが帰って来た。
 ずいぶん暖かくなってきたなと思ったある日、白玉(うちの白猫)が勝手口を見つめていた。もしやと思いその視線の先を確認すると、見覚えのある姿形のヤモリがガラスの向こう側にいる。冬になるまでは、判で押したように毎日現れていたヤモリと同一個体のようだ。現れる場所も時間もほぼ同じ。よくぞご無事で、と歓迎した。
 
 季節の中で冬がいちばん好きだ。きんとした空気も、ストーブの匂いも、寒いときに飲む温かい飲み物も。冬は些細なことで幸せを感じることができる。味噌汁一杯飲むだけでも、布団にもぐって毛布にくるまるだけでも幸せ。冬のほうが猫も愛しさが増す。ふかふかの冬毛の猫に身を寄せると、湯たんぽみたいにちょうどよい温かさで、その肌触りにうっとりする。夏はそうはいかない。猫が膝に乗ってくると、汗ばんだふとももに毛が張り付きやや不快。そんなにくっついて君は暑くないのか、と文句を言いたくなるから人間は勝手だ。
 
 とはいえ、引っ越した家でのはじめての冬は予想以上に寒く、いつもほど冬を楽しめなかった。平屋で日当たりもそうよくはないし、古い家だから床下からの冷気が半端なくて、座っているとおしりが冷たい。山の中とまでは言わないが、立地が山の裾野あたりだから、街中より気温もやや低い。猫は人間よりさらに寒がりだから、ストーブの前は猫たちにすっかり占拠された。本当はこたつが好きなのだが、こたつがあると動けなくなってだめ人間まっしぐらなので、急遽、電気カーペットを購入した。寒くて寝付けないのでネックウォーマーとレッグウォーマーを身に着け、布団乾燥機で布団を温めてから寝床に入る。それでも朝方には寒くて目が覚めてしまうので、とうとう猫湯たんぽではなく、本物の湯たんぽを手に入れた。
 
 子どもの頃、祖母が風呂に入るときに何枚も何枚も衣服を脱いでいるのを見て、そんなに着る必要があるのかと謎だったが、いつの間にか自分もそうなっている。歳をとると寒さに弱くなると祖母が言っていたが、本当だった。
 
 いつもは冬が終わるのがさみしいのに、気付けば春を待ちわびていた。次第に寒さが和らぎ、身に着けていた衣服を少しずつ減らしはじめた頃にヤモリが登場し、春を告げてくれた。
 
 やって来るのはヤモリだけではなくて、暖かくなってきたら庭にも訪問者が増えた。椿の花が咲きはじめると、鳥がさかんに花蜜をなめに来た。シジュウカラにヒヨドリにメジロ。スズメはもちろん常連さんだ。引っ越してすぐはぜんぜん聞き分けられなかった鳴き声も、少しずつわかるようになった。
 
 メジロはとくに椿の蜜が好きらしく、枝が揺れ、葉や花の隙間にあざやかな黄緑色が見え隠れするので、何羽か連れだって来るようだ。メジロが目白押し、とつまらないだじゃれを言いたくなる。なんで「目白押し」と言うのだろうと思って調べてみたら、メジロは体が小さく狙われることが多いので、警戒心が強く、群れで行動することが多いらしい。エナガやシジュウカラなどの他の鳥と群れをなすこともあるという。眠るときも集団で固まって枝にとまり、ぎゅうぎゅうに押し合いへし合いくっつくらしい。想像しただけで悶絶しそうにかわいい。目白押ししているメジロの姿を見てみたい。
 
 メジロはウグイス餅によく似た黄緑色をしているが、色見本を見ると鸚緑おうりょくに近い。本物のウグイスの写真を見ると、灰色がかったくすんだ黄緑色で、たしかに鶯色だが、こちらはウグイス餅には似ていない。ウグイスは人前にはあまり現れないらしく、どうりでいつも声はすれども姿は見えなかったわけだと合点がいく。ウグイスの鳴き声が春を告げてからずいぶん経つが、ホーホケキョではなくホーホケケキョウと鳴く、まだ微妙に下手なやつもいる。鳥の美しい鳴き声は、なわばりの主張や求愛行動であることが多いというから、ちゃんと雌にアピールできているのだろうか、と心配になる。
 
 あるとき、猫たちがそろって一点を見つめていた。何かいるのかと視線の先を探すと、コンコンコンと音がして見たことのない鳥がいた。木をつつくということはキツツキの仲間だろうと思い、調べたらコゲラだった。背中はシックな白と黒のボーダー柄。春になると、ボーダー柄の服を着ているお客さんが増えるのだが、鳥にもボーダー柄がいた。
 
 イチジクの枝から枝へとちょこちょこ移動しては、何度もくちばしで木をたたいている。五十年以上生きてきて、コゲラがドラミング(動物が鳴き声以外の方法で音を立てる動作)するのをはじめて間近で見た。きっといままでは近くにいても気が付かなかったのだろう。鳥のさえずりを耳にしても、姿を探すことまではしなかった。家にいながらにして鳥の姿を目にするようになったから、コゲラの姿に気が付いたのだ。ぜひともまた見たい、と思っているのだがなかなか遭遇しない。
 
 猫と暮らすようになってから鳥とは縁遠くなったが、子どもの頃は家に文鳥がいた。よく人に慣れており、籠の中に手を差し入れ、止まり木の前に指を添えると、すぐに私の指に飛び移ってきたものだ。そのままそっと鳥ごと手を出して、手のひらの中で水道から流れる水を受け止め、水浴びをさせた。25グラムほどのささやかな重さと、私の指をしっかりとつかむ足の感触はいまも忘れない。二羽いた文鳥の名前は、チチとピピ。チチチ、ピピピ、と鳴いたからだろうが、もうちょっとましな名前を付けられなかったのかと、思い出すたび少し残念な気持ちになる。
 
 チチとピピ、どっちが先に死んだのかも覚えていないが、私が人生ではじめて看取ったいのちがそのどちらかだ。死んだあとは祖父母の家に持っていって土に埋めた。空気のようにふわりとした文鳥の体は、冷たく硬くなり、死ぬとはこういうことだと私に教えた。死んで硬直していく文鳥のくちばしは、血が巡らなくなったあと、つやつやとした薄紅色が次第に抜けていったのだろうか。いまでは文鳥を埋めた地面は駐車場となり、コンクリートの下にある。とっくの昔に土に還って、別のいのちの一部になったはず。

 梅雨時に引っ越しをしたから、いま住んでいる場所で迎えるはじめての春だ。これでようやく四季が一巡する。小さな庭には新しい植物も何種類か植えたが、もとからある植物も混在している。植えてあった花からこぼれた種や、鳥が運んできた種が、どこにどんな色で咲くかは咲いてみないとわからないので、福袋みたいでそれもまた楽しみ。でもなんと言っても、いちばんの楽しみは藤棚だった。物件を内覧しに来たときに、藤棚があることに興奮した。車庫の天井下にあるのだが、当時この家に住んでいた大家さんはさぞや手間をかけられたのではないだろうか。幹はそんなに大きくもないプラスチックの鉢の中にあり、底は破れているようだ。駐車場部分はコンクリートなのだが、その上を藤の根が這っており、最初に見たときはいったいどこから出てきているのかと不思議だった。
 
 花がつかないこともあるというから、藤棚があるからといって咲くとは限らない。でも期待せずにはいられず、春が来るのを楽しみにしていた。そんなある日、ご近所さんと話していたら藤棚の話題がでた。昨年はじめて花が咲いたのだが、既に大家さんは引っ越していたのだという。もったいなかねえ、あの下でお茶でも飲もうか。空き家に咲きほこる藤の花を見ながら、ご近所さん同士でそう言い合っていたらしい。一度は咲いたと聞けば、ますます期待は高まる。実は、花を愛でるだけでなく、食べることも楽しみにしていた。たまたま雑誌で見て、藤の花を天ぷらにするとよいということを知り、花が咲いたら試してみたいと思っていたのだ。
 
 あちこちで桜が満開になった頃、4月初旬には藤の花が咲きはじめた。少しずつ花房が垂れ下がってきたと思っていたら、あっという間に満開になった。おそらく通常の開花時期より早かったのではないだろうか。最近では、季節が例年通りに移ろうことはあまりない。紫色の花びらがびっしりと房になり垂れ下がっているのを見ていると、花かんざしという言葉が浮かぶ。こんなに花かんざしに適した花もないなと思う。やってはみなかったが。

 思ったより満開になるのが早かったので、天気のよい休みの日、あわてて花見の算段をした。今日を逃したら来週はもう散っているかもと思い、吉本さんに連絡をして、夕方から連れ合いと三人で藤棚の下で天ぷらの会を催した。と言っても、庭に鍋を持ち出し、セージにパクチーに藤の花、庭にあるものを適当に採って揚げては、うまいうまいとビールを飲むだけ。藤の花はほんのり甘く、天ぷらにしても花の色はあざやかなままだった。天ぷらを揚げるのは連れ合いのほうがうまいので、私と吉本さんはもっぱら食べる担当で、締めは近所の餃子屋さんから調達した餃子を焼いて満足した。安上がりな宴会だ。空にはもうすこしで満ちる月が藤棚の真上に見えた。

 藤の花と月という、万葉集に歌われていそうな光景を見ていると、それぞれの口から、幸せだねえ、という言葉がついこぼれでる。こんなに幸せなことはないねえ、と。花を見る、月を見る、美味しいものを食べる。私たちは、そんなささやかな楽しみがときにあるだけで十分幸せなのだ。それなのに、この世界では、そんなささやかな幸せもある日突然奪われることがある。幸せな夜だからこそ、現在の世界の有りように思いを馳せた。私たちが月を見上げる瞬間に、日常を破壊されている人がいるのだということに。
 
 家への帰り道に坂から見える山が、新緑におおわれてブロッコリーみたいに見える。もこもこした山を見るたびに美味しそうと思うのは私だけだろうか。春の生命みなぎる感じが以前は苦手だったのに、自然に近い場所に住むようになって平気になったから不思議だ。
 
 庭の藤だけでなく、桜ももちろん堪能した。なにせ歩いてすぐの場所に山がある。桜は近場で見るのがいちばんだ。いままでに住んできた家々でも、その場所ごとにお気に入りの桜の木が近隣にあった。公民館の前の桜だったり、いつ見ても人気ひとけのない公園の桜だったり、たいていはひそかに咲いている場所。木々の間にまぎれてひっそり咲いている山桜も風情があった。

 せっかくだからと弁当を持って山にのぼったのだが、遠くからじゃかじゃか音楽が聞こえてくる。そういえば、「くまもと花博」とやらを開催しているのだったと気が付く。せっかく木々のざわめきや鳥の声に耳をかたむけていたのに、少し残念な気持ちになる。普段から山に親しんでいる地元の人たちがいるのに、週末ごとにイベントをやったり、森の中にアスレチック遊具をつくったりすることは必要なのだろうか。もともとない場所を花で彩るぶんには理解できるのだが。
 
 地元の人が日頃つかっていた山への入り口は、車で入れなくなっていた。一日中雨が降っている日でも、迂回してください、と書かれたプラカードを持った人が雨合羽を着て立っている。私は家の近くから歩いて入れるからいいが、遠くの入り口までまわるのが億劫で、気軽に山に入れなくなった方もいるだろう。動物たちも勝手が違うと思っているかもしれない。

 山道を歩いていると、ふと近くの地面を歩いている鳥が目に付いた。鳩くらいの大きさだったから山鳩かもしれない。私たちがじっと見ていたら、通りがかりの男性が「なんかおるですか」と声をかけてきた。何かいますか、という意味だ。あそこに鳥がいますと答えると、おじさんも立ち止まり静かに鳥を見ている。連れ合いは鳥に向けてカメラを構えたが、相手が生き物なだけにピントを合わせにくいようで、なかなかシャッターを切れずにいた。普段なら自分だけさっさと先を行くところだが、おじさんが立ち止まっているので、なんとなく私も動きづらくその場にとどまった。連れ合いがシャッターを切ると、「じゃあ」と言って、おじさんはゆっくりと歩き出した。
 
 写真を撮り終わるのを待っていてくださったのだと、そのときようやく気が付いた。人間の気配がして飛び立たないよう気遣ってくれたのだ。その男性は手ぶらだったから、おそらく近隣の住民だろう。山へはよくいらっしゃるようで、慣れた様子で去っていかれた。

(次回は吉本由美さんが綴ります)

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プロフィール

田尻久子(たじり・ひさこ)
1969年、熊本市生まれ。「橙書店 オレンジ」店主。会社勤めを経て2001年、熊本市内に雑貨と喫茶の店「orange」を開業。08年、隣の空き店舗を借り増しして「橙書店」を開く。16年より、渡辺京二氏の呼びかけで創刊した文芸誌『アルテリ』(年2回刊)の発行・責任編集をつとめ、同誌をはじめ各紙誌に文章を寄せている。17年、第39回サントリー地域文化賞受賞。著書に『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)、『みぎわに立って』(里山社)、『橙書店にて』(20年、熊日出版文化賞/晶文社)、『橙が実るまで』(写真・川内倫子/スイッチ・パブリッシング)がある。

吉本由美(よしもと・ゆみ)
1948年、熊本市生まれ。文筆家。インテリア・スタイリストとして「アンアン」「クロワッサン」「オリーブ」などで活躍後、執筆活動に専念。著書に『吉本由美〔一人暮らし術〕ネコはいいなア』(晶文社)、『じぶんのスタイル』『かっこよく年をとりたい』(共に筑摩書房)、『列車三昧 日本のはしっこへ行ってみた』(講談社+α文庫)、『みちくさの名前。~雑草図鑑』(NHK出版)、『イン・マイ・ライフ』(亜紀書房)、『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(村上春樹、都築響一両氏との共著/文春文庫)など多数。

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