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「NHK出版新書を探せ!」第5回 生物学は、人類の安全保障の役に立つ!?――細将貴さん(生物学者)の場合

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※第1回から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
細 将貴(ほそ・まさき)

1980年生まれ。武蔵野美術大学造形学部准教授。京都大学大学院理学研究科修了。博士(理学)。京都大学白眉センター特定助教、東京大学大学院理学系研究科特任助教などを経て現職。生物間相互作用による生物多様性の創出機構について研究。著書に『右利きのヘビ仮説――追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化』(東海大学出版会、2012年)、監訳書にハーベイ・B・リリーホワイト『ヘビという生き方』(東海大学出版部、2019年)がある。

左巻きカタツムリという大きな謎

――細さんが2012年に出版された『右利きのヘビ仮説』は、多くのメディアに取り上げられ、注目を集めました。カタツムリのほとんどの種は右巻きなのに、なぜか左巻きのカタツムリがいる。細さんは、西表島での調査や実証実験を通じて、この大きな謎を見事に解き明かしました。最初に、細さんの研究は進化生物学の中でどのような理論的意義を持つのか、お話しいただけますか。

細 進化生物学の王道として、種分化の研究というものがあります。種分化とは、ひとつの祖先種から複数の種が生まれてくるという特別なタイプの進化のことで、すべての生き物はどこかのタイミングで種分化し、それが豊かな生物多様性を生み出してきました。我々もチンパンジーも、祖先種から種分化しているわけです。
 この種分化のメカニズムを解くことは、ダーウィン以来、進化生物学最大の研究課題のひとつに数えられてきました。でも、なかなかいい研究材料がないんですね。その中で、僕が注目してきたのがいまご紹介いただいたカタツムリです。
 カタツムリには種分化の研究の中で解けていない謎が残っていたんですね。カタツムリのほとんどの種は右巻きですが、左巻きの種もいます。巻き方向は、一個の遺伝子が変わることで反転することがわかっていました。そして逆巻きになると通常の個体とは交尾することが難しくなる(生殖隔離を生じる)ので、一個の遺伝子による右巻きから左巻きへの進化は、種分化につながります。ところが、理論上、一個の遺伝子変化による種分化は起きないとされていました。この左巻きカタツムリの場合で理由を説明すると、まず、突然変異で出現したばかりの左巻きカタツムリのまわりには、交尾できる相手がほとんどいない。そのため、左巻きのカタツムリの子孫が残される可能性はとても低く、次世代以降に割合を高めていくなんてことは考えられない。

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細さんの研究フィールドである、西表島の様子

――突然変異で左巻きのカタツムリが生まれても、子孫を残せないので、種分化は実現しないわけですね。

 そうです。しかし、理論通りなら種として存在しないはずの左巻きのカタツムリが実際にいる。この現象に対して私は、左巻きカタツムリは、右巻きカタツムリを効率よく食べるように進化したヘビ(右利きヘビ)に食べられにくい、つまり天敵から身を守りやすいから子孫を残すことができ、種分化が実現したという仮説を立て、それを実証しました。つまり、一つの遺伝子変化から種分化が起きていることの矛盾を解いた部分が、王道の進化生物学の中での大きな貢献だったと思います。
 いまお話ししたのは、いわば進化生物学に対する王道的な貢献ですが、もうひとつ、生き物に見られる左右の非対称性に大きな意味があることを新しい例で示した点も、生物学への貢献になったと思います。
 本にも書いたように、いろんな生き物に左右の非対称性を発見することができます。人間の右利きと左利きもそうです。カニやヒラメ、カレイにもあります。でも、その進化的な意味や生態的な意味は、じつはあまりわかっていないんですね。今回、右利きのヘビでカタツムリの進化を説明できたことで、生き物に見られる左と右というのは、実はけっこう重要な意味を持っているんじゃないかというアイデアを提示したことになったわけです。

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左巻きのカタツムリ(写真左)と右巻きのカタツムリ(写真右)

イワサキセダカヘビ

右巻きのカタツムリを効率よく捕食するために進化した、イワサキセダカヘビ

自然選択が進化のすべてではない

――著作が刊行された後、さらに研究の進展はあったのでしょうか。

 書籍の段階では、右利きヘビと左巻きのカタツムリの謎を一部解いたんですけれども、残った謎もたくさんありました。
 進化を駆動する力には、選択と遺伝的浮動の二つがあります。選択による進化とは、生存や繁殖に有利な遺伝子が頻度を高めていくという決定論的な考え方です。自然選択や性選択が働くことで、不利な遺伝子は頻度を下げていき、最終的にはなくなってしまうと考えるわけです。それに対して、遺伝子の頻度は偶然によっても左右されるので、有利でも不利でもない中立的な遺伝子が集団全体にひろがっていくという考え方がある。これを中立進化といいます。そしてこの中立進化をもたらす偶然的な現象を遺伝的浮動といいます。
 この二つの見方に照らすと、左巻きカタツムリは交尾の相手が見つからないので、明らかに不利なんですね。しかし海洋島と言われる場所では、右利きヘビがいないのに左巻きカタツムリが残っている。これは中立説を考慮すると説明がつくんです。
 海洋島とは、一度も大陸とつながったことのない孤島のことをいいます。多くの海洋島は地形的な理由から、生物の集団サイズが長期にわたって小さく維持されやすいという傾向が期待されます。そして先程の中立説から発展した「分子進化のほぼ中立説」という理論によると、小集団では偶然の力が強く働くので、左巻きのような不利な遺伝子も集団全体に行き渡る確率が高くなると予想されるんです。

――なるほど。海洋島は偶然の力が強くなるんですね。だから左巻きカタツムリの不利さが絶対ではなくなると。

 そうです。研究はそれを世界規模の文献調査で確かめるというものでした。その結果、海洋島にしか分布しないカタツムリの属では、左巻きの種を含むものの割合が著しく高くなっていることが明らかになりました。これは理論的には「分子進化のほぼ中立説」の予測を裏付けるものといえます。

――先ほど選択説と中立説について説明がありましたが、進化生物学の中のオーソドックスな理解では、この二つはどのように考えられているんですか。

 DNAの分子の世界であれば、中立説のほうが圧倒的に説明力は高いですね。
 ただ、たとえば速く走れるようになるとか、体色が背景に溶け込むとか、生存に有利であったり不利であったりする事柄に明らかに関係してきそうな性質については、自然選択説による説明が非常に有効です。よく言われることですけど、DNAのほとんどは意味がない配列なんですよね。その意味がない部分の進化については中立説でほとんど説明がつき、意味のある部分については自然選択説による説明がつくという形になっています。

――一般的なイメージでは、進化論=自然選択説のように受け取られがちですが、実際は中立説のほうが説明する力が高いんですね。研究者の標準的な理解と、一般的なイメージのギャップはなぜ生まれるんでしょうか。

 たぶん、何に意味があると感じるかが違うんでしょうね。実際にタンパク質になって、パフォーマンスに関わっている部分だけに意味があると思っている人からすると、中立説で説明できる部分なんてどうでもいいということになる。それに対して、タンパク質になるような部分のDNAの配列も、そうではない部分のDNAの配列も、同じぐらいフェアに見て進化を理解していこうと思う人たちからすると、極めてわずかな範囲のDNAの進化についてしか説明できない自然選択説は非常に不完全なものだという見方になるでしょう。そういう違いだと思いますね。

台湾で起きている不思議な事態とは

――いま現在も、左巻きカタツムリに関して新たな研究に取り組んでいるんでしょうか。

 6、7年前から台湾をフィールドにして研究を進めています。台湾はカタツムリを食べるヘビが複数種いますし、カタツムリの種類も非常に多いんですね。しかも地域ごとの特色もあって比較がしやすい。そういう環境に惹かれて、台湾でヘビとカタツムリの関係を深く研究していこうと考えてやってきました。
 ただ、そんなに「地盤整備」がされていない場所なので、最初はどこに何がいるかという基礎的な情報を調べていくことから始めなければいけません。ここ数年はそういう地ならし的な作業をしてきて、ようやくだいたいの全体像が見えてきた、現在は、多少高度な解析ができて、研究報告の時期にさしかかっている段階ですね。

――さしつかえない範囲で、台湾での成果についてお話しいただけることはありますか。

 発表前なので多くは語れないんですが(笑)、まず言えるのは、台湾南部の狭いエリアで、左巻きカタツムリへの進化が非常に高頻度に起きていることがわかりました。左巻きへの進化は、ふつうめったに起きないのに、そこでは何度も起きている。

――それは面白いですね。あまりもう突っ込まないようにしますが、たとえば西表島などと比べても頻度が高いということですか。

 僕の今までの研究でいうと、西表島を含む琉球列島では多く見積もって2回なんです。でも台湾のそのエリアでは、何度も起きている。とにかく台湾では少し不思議なことが起きているのは確かなんです。

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「今まで人と関係がなかった生き物についても予防的に把握しておかなければいけないと思います」と語る細さん

生物多様性は人間の安全保障につながる

――細さんの著書やホームページを見ると、「生物多様性」ということが研究上のキーワードとしてたびたび登場しています。生物多様性という観点から考えたとき、いま新型コロナウイルスの感染が拡大している状況はどのようにご覧になっているんでしょうか。

 普通に生活しているひとりの人間としては、非常にいまいましい存在だなというふうに思っています。でも、この事態が落ち着いたあとでよくよく考えてもらったらいいと思うことがあります。まず、ウイルスの出どころです。おそらくはコウモリかセンザンコウではないかと言われていますが、人とのインタラクション(相互作用)があまりなかったはずの他の哺乳類を宿主にするウイルスだったことが非常に重要です。
 というのも、人間ってそんなに、おかしな生き物と関わってこなかったはずなんですよね。しかしいまは相互作用が起きてしまう。つまり、これまでは人間の生活圏はある程度固まっていたんだけど、現在はそれが崩れ、人に危害を及ぼしうる生き物というのが実は非常にたくさんいることがわかったわけです。
 それらの生き物を細かく把握しておくことは、今までまったくしてきませんでした。寄生虫の研究なども、人に関わるものはある程度わかっていますが、それ以外のものについては、病理学的な意味では全然わかってないに等しいんですよね。でも今回のコロナの問題で、生物の多様性を理解しておくことが人類の安全保障にとってどれだけ重要なことかが明らかになったと思います。それとともに、いままで人とインタラクションがなかった生物や動物のいるところに、不用意に入っていくのは、少し考えを改めたほうがよいのかもしれない。そういうことを多くの人に考えてもらいたいですね。

――非常に重要な指摘ですね。人間に関わる限りの生き物についてはいろいろ調べてきたけれど、それ以外の生き物同士のインタラクションまではなかなか追えていないということですよね。細さんのカタツムリとヘビの研究もまさにそういう意味で、生物多様性の理解につながるわけですね。

 ええ。もっと言うと、今まで人間とインタラクションが一度もなかった生き物についてはまったく知見がないわけですよね。でも、それらといつインタラクションをもつようになるかはわからない。そう思ったら、予防的に、今まで人とは関係がなかった生き物についてもしっかりと把握しておかなければいけないと思います。

生き物好きなら誰もが楽しめる『奇妙な菌類』

――最後のお約束なんですが、先生がお読みになって面白かったNHK出版新書を何か紹介いただけますか。

 白水貴さんという菌類学者が書かれた『奇妙な菌類――ミクロ世界の生存戦略』という本を推したいと思います。

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 菌類ってみんな興味は持っているんだけど、なかなかスポットライトが当たらないという、ちょっとかわいそうな分類群なんです(笑)。そういう状況の中で、この本は、多くの人が興味を持つに違いない面白いシステムを網羅的に集めて紹介しています。生き物は好きでも、菌類にはあまり関心がなかった人たちにぜひ読んでもらいたいですね。
 たとえばこの本には、花に化ける菌類の話があります。植物に寄生する菌類はたくさんあるんですが、中には花のようなものを作って、実際蜜まで出させて虫を呼ぶという、すごいことをする菌類がいる。非常に巧みな仕組みにきっと驚くと思います。
 元ネタは「ネイチャー」誌にずいぶん前に出ているもので、生き物のマニアックなことを研究している研究者からすると、わりと知られていることなんですけれども、これほど不思議で面白いのに、一般的にはあまり知られていない。確かに知られるべきものをしっかりと伝える本ができてよかったなと、この本が出たときに感じました。

――今日はどうもありがとうございました。台湾での研究成果を楽しみにしています。

*取材・構成:斎藤哲也/2020年8月12日、オンラインにて取材

〔第6回へ続く〕

〔第4回へ戻る〕

プロフィール
斎藤 哲也(さいとう・てつや)

1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。
*斎藤哲也さんのTwitterはこちら
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