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天才哲学者マルクス・ガブリエルが挑んだ世界の知の最前線5人との対話、そしてコロナ禍での緊急インタビュー! シリーズ最新作『マルクス・ガブリエル 危機の時代を語る』より

 大反響のNHK Eテレ「欲望の時代の哲学2020~マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント」書籍化の続編、NHK出版新書『マルクス・ガブリエル 危機の時代を語る』が9月10日に刊行される。本書では、日本でも話題のベストセラー作者クリスチャン・マスビアウやカート・アンダーセン、現代哲学の最前線に立つチャーマーズや世界的作家ケールマンらと、「新実在論」を掲げる思想界の旗手ガブリエルとの白熱の対話全5編を濃縮して掲載!
 当記事では、コロナ禍におけるガブリエルへの緊急インタビューとして収載した、「欲望」シリーズの知性たちが世界の今を展望する「BS1スペシャル シリーズ コロナ危機 グローバル経済 複雑性への挑戦」からその一部をお届けします。「いま目撃しているのは新自由主義の終焉だ」と語るガブリエルの真意とは、果たして――。

Ⅰ章  コロナ危機と新自由主義の終焉
――マルクス・ガブリエル 緊急インタビュー

コロナショックで浮かび上がった危機

――早速ですが、今回のパンデミックは、世界にどのような影響を与えると考えていますか? 世界の経済はどう変わり、国際秩序にどう影響すると思いますか?

ガブリエル 新型コロナウイルス、COVID- 19 は現代の世界秩序の発展の形を根本から変えることでしょう。これまで「近代」の枠組みの中で経験してきたどの出来事とも異なるのですから。
 いま目の当たりにしているのは、「新自由主義」の終焉です。新自由主義は、連帯や国家、組織の構造を純粋な市場戦略によるシステムに置き換えることができるとする経済概念でした。そのシステムはまさにコロナウイルスに直面して、ひどく機能不全になるのです。というのも生物学的な構造は、経済的な構造とは完全に異なるモデルに依存するからです。

――その経済的な構造に関わる動きでは、テレワーク、オンライン学習などへの変化が加速すると言われていますが、そうした動きについてはいかがでしょう? 

ガブリエル デジタルの変革を加速させるべきだという考え方には、心底異議を唱えたいと思います。たとえば学習システム、従来の大学での学びのスタイルをオンラインに切り替えるなど、人間のコミュニケーションを遠隔通信に取り替えるべきだという考え方です。人類にとって悲惨なことになるでしょうし、機能しないでしょう。というのも技術的なインフラがこの新たな必要性に対応できていません。どうやって私たちは医学、自然科学、哲学といった学問をオンラインで行うことができるのか? 新自由主義の空想による「不可能な回帰」に過ぎません。現実にはならないでしょう。単なる幻想です。

――資本主義の運動を抑制せず、フルスピードで行く所まで行くべきだという「加速主義」の考え方もありますが、そこで我々が目撃するのはどんな世界でしょう?

ガブリエル 現在グローバル資本主義はすべてのプロセスの速度を緩めることで、むしろ加速にあらがっています。さらなる攻撃に対し準備をするためです。その意味で、グローバル資本主義が新自由主義的秩序の後にただ幕を閉じると考えるのは幻想でしょう。世界中で現在起きているのは、国民国家への容赦ない回帰です。ヨーロッパは外部の、そして内部の国境を閉じています。そして突然、多くの人々が生物学的な現象に対応する唯一の方法は古い国境を復活させることだと思い始めています。グローバル資本主義は加速によって破滅に向かいかねないものです。完全な破滅に、です。だから、私たちは減速しているのです。これ自体は経済的な概念の一部ですが、この減速の間に、新しい哲学の形を生み出すことが重要です。いま、資本主義のシステムは再生に向けて準備をしているところなのですから。

――加速にブレーキをかける慣習や地域性は、世界各国にあるように思います。そうした文化の「壁」を再評価する意見もありますが、これについてはどう見ますか?

ガブリエル  現在、私たちには新しい方法で自己を理解し始めるチャンスがあります。ローカルの現象、ローカルな形の協力が新しい役割を担い始めることになります。真の民主主義の復活のチャンスもあります。真の民主主義はネットやソーシャルメディアの活動の中では起こりません。地上で起きるものです。これが、資本主義システムが社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)の新しい形を生み出し続けようとしている理由の一つなのです。私たちが自身のコミュニティーの中にとどまるよう強制されるのと同時に、人々が集まって、異議を唱えるような集まりが阻まれているのです。社会的隔離の方針は健康の視点からだけでは完全には正当化されません。それならたとえば、なぜ私たちは近所に住む人々と会ってはならないのか。明らかにこの裏には何かが隠されています。私が申し上げたいのは、真の民主主義に向けたチャンスがあるということです。真の民主主義が生まれるのはいつもローカルのレベルで、それが世界へと広がっていくのです。

――貨幣や株価が、世界を「水平」に結ぶよりも「垂直」に並べてしまい、人々を近づけるように見えてじつは遠ざけたように感じます。全ての人々に等しく影響を与えるかのような感染症も、分断を生むのでしょうか?

ガブリエル ウイルスの論理は、私が生物学的普遍主義と呼ぶ概念の真実を浮かび上がらせます。生物学的普遍主義とは、ウイルスにとってすべての人や動物は平等であることを意味します。ウイルスは生物学的に私たちがみな同じ種の一部であることを示しています。しかし同時に、国民国家やそのほかの地域の文化によるウイルス感染拡大の現象に対する反応は、きわめて人種差別的であり、固定観念に満ちています。
 いくつかの例を挙げてみましょう。たとえば、ドナルド・トランプが「中国のウイルス」と呼んだことです。ウイルスは中国のものではありません。中国のどこかで発生したのかもしれません。しかしだからといって「中国のウイルス」とはなりません。これはもっとも明らかな、中国人に対する人種差別的な攻撃です。またボリス・ジョンソンも集団免疫という戦略を検討することでEUを攻撃しています〔注:その後、政策を変更〕。これはある種の優生学的な方法であり、大陸ヨーロッパの影響からイギリスを守ろうとする考え方です。
 ヨーロッパでも私たちには同様の問題があります。ドイツ人は自分たちの医療制度が明らかにイタリアより優れていると考えています。というのも死亡する人の数がドイツの方が少ないからです。その他あらゆるバカげた文化的な説明、たとえばイタリア人はハグの習慣が根強くお互いに触れることが多いなどの話を聞きます。これらは完全に意味のない、生物学的現象の説明です。繰り返しますが、ウイルスは文化や国境、国民国家を尊重することはありません、というのもそれらの存在を知りもしないからです。

――パンデミックの時代を経て、社会はどう変化しますか?

ガブリエル 個人と集団の関係はこれから大きく変化していくでしょう。というのも私たちは、いまは距離をとっているからです。いまヨーロッパで見られる反応は、新たな形の結束というものです。しかしこの結束は完全に空虚なものです。誰も真に完全には理解していないような、疑わしいデータが含まれる生物学的モデルに基づいているからです。人々がこのことに気づけば、隠れた争いに突入し始めるでしょう。いまのところ明らかに、舞台裏では地政学的な交渉が行われています。ウイルスの大発生後の経済を刷新するためです。そしてローカルのレベルにおいても同じような現象が見られます。利益団体はすでにお互いへの攻撃を準備ないしは開始しています。ですからこの新たな結束は、一瞬の幻想にすぎません。新しい形の暴力の噴出がこれから起こってくると思います。

――「社会的距離」の影響はどう考えますか?

ガブリエル 現在ドイツでは、形作れる集団の大きさは法律によって二人ないしは家族とされています。これは、かつてないほどの大きな影響を与えています。これまでのいかなる独裁政権すら三人以上の集会を禁じたことはありません。これはドイツでこれまで展開された中でもっとも思い切ったやり方です。それは深い社会的な影響をもたらすことでしょう。 もし友達にすら会えないとしたら、たとえばみんなが検査を受けていたとしても、ヨーロッパで人と会うこと自体が突然違法となったら、それは明らかに思い切った社会的経済的方策であり、何らかの経済的な結果ももたらすことでしょう。

――「社会的距離」の影響はどう考えますか?

ガブリエル 個人の中でも哲学者などは、この瞬間を楽しむことができるでしょう。しかしもし失業に脅かされている場合、ウイルスや政府に対して対抗するどのような術もなく、何もできないといった状況、もしくは近所の人に対しても同じで、みなこの方法が正当であると同意しているから自分は何もできないといった状況に置かれたならば、うつ病になったり、不安になったりするでしょう。そして遅かれ早かれ、医療制度にも影響してくるでしょう。多くのうつ病や精神的に不安な人々を生み出しているということを誰も考慮に入れていません。それは完全に無責任です。

――「社会との関わり方」は?

ガブリエル 社会とは何でしょうか? 社会は、社会学的にいうと経済的取引の最大の仕組みを意味しています。ドイツの社会は、グループの大小にかかわらずドイツ人が行うすべてのことなのです。すでに私たちは社会を異なるローカルのシステムに分割しているわけですから、社会はもちろんすでに変化しています。その影響を私たちは決して忘れることはできません。ですから社会はすでに完全に変化しています。
 そして私たちはいま、民主主義の価値を捨てようとしているのかもしれません。多くの人々が現在の生物学的危機を民主主義の手段で解決できるとは思っていないからです。現在の問題を解決するため私たちが展開している方法が民主的ではないという、まさにその事実が、私たちの政治家が自由と民主主義を信じていないということを意味しています。

未来は開かれている

――国家の紛争を越え、世界市民として幅広い秩序を考えることが重要であることはわかりますが、現在の政治は国家単位です。それについてはどう思いますか?

ガブリエル どこへ向かうべきかを考えるためには、理想のモデルを語らなければなりません。国民国家を当然の存在と考えるのは、皮肉なことにとても広くいきわたった議論です。しかし忘れてはならないのは、現代の国民国家が出現したのはつい一九世紀のことであり、人類の歴史の中で国民国家は二〇万年もの間存在しなかったということです。まだ創設されてから二〇〇年もたっていません。そして国民国家は人類に大混乱を巻き起こしてきました。二つの世界大戦は、たとえば中国など、まだ統治されていなかった人的資源に対して、国民国家制度の採用を迫ったことによってまさに始まったのです。すべての、たとえば植民地化や現代の帝国主義のプロセスは国民国家が生み出したものなのです。
 ですから国民国家は明らかに自明の存在ではなく、問題を解決するどころか人類にとってより多くの問題を生み出してきたことも明らかでしょう。人類の統治の他の方法もさまざまなはずです。たとえばドイツは連邦国家です。さまざまな州が完全な統治を担うというシステムです。私たちには首都ベルリンは必要ありません。自分たちで、現在この撮影を行っている地元のノルトライン=ヴェストファーレン州を統治することができます。だからこそ、「カタルーニャやスコットランドが独立したっていいじゃないか」という声も起きます。現在の形の国民国家の国境が一種当然の形であるという考え方は、とても危険な幻想の一部です。

――奇しくもアルベール・カミュの『ペスト』が注目を浴びましたが、実存主義の旗手の小説と現代が重なるところはどこだと思いますか? そしてそれと現代が異なる点、さらに今後について聞かせてください。

ガブリエル 古典的な実存主義、特にカミュやジャン=ポール・サルトルが文学書や哲学書の中で説いたこの考え方は、人間の自由の存在を明らかにしました。カミュが示したのは、私たちは現実には一人であるということ、みな死ぬときは一人であるということです。これが古典的な実存主義の標準的な前提です。
 しかしこの古典的実存主義には、重要な反論があります。あらゆる時代を通じて最高の政治理論家の一人である哲学者ハンナ・アーレントのものです。アーレントは自身の恩師であり元愛人であり、実存主義の担い手であるハイデッガーに異議を唱えました。死だけが重要なのではなく、出生、私たちがこの世に生まれたという事実もまた未来に向けた原動力であり、死ばかりではないと主張したのです。人生を考えたとき、死に脅かされているという事実を踏まえると、自身の反応は不安なものになる。これが実存主義の主なテーマです。すべての実存主義の書に、不吉なディストピアが出てくるわけです。
 これに対して、私が大事にしたいのは、アーレントの出生の概念です。「未来はある」、その事実を考える必要があります、いまこの瞬間も大きく未来を形作るものです。私が提唱している「新実在論」でもまさにそのことを展開しています。未来は根本的に開かれているのです。未来が自動的に既に決まっているというその考え方に対して私たちは闘わなければならないのです。

――現代は世界がデジタル・ネットワークでつながっている時代です。世界恐慌、二度の世界大戦のときとは異なる乗り越え方の可能性は、そこにありますか?

ガブリエル 「近代」の解釈の根本的な間違いは、自然科学や技術の進歩が人間や道徳の進歩にも重なるという想定です。「近代」の啓発プロジェクトが私たちに示しているのは、善のビジョンを考え出すためには私たちは哲学的省察や人文社会科学の他の分野からの省察を、自然科学からの洞察と組み合わせる必要があるということです。
 これにより現代の大学システムが一八世紀や一九世紀のドイツで誕生しました。「近代」への対応として、特に、フランス革命に対応して誕生したものです。啓蒙がなければ、現在の形のモダニティの基礎となる自然科学、技術の進歩も経験することすらなかったのです。
 私たちが現在目の当たりにしているのは啓蒙なきモダニティです。啓蒙なきモダニティというのは必然的にサイバー独裁に向かいます。もしグローバル化とデジタル化の道をまさに私たちが一九九〇年以降目の当たりにしてきた形で進めば、必然的に全世界が北朝鮮の形になってしまいます。問題は私たちがそれを望むか否かです。私たちは自身のことを全面的にデジタルモデルで考えるのか、それはすなわち完全なる支配や監視、行動の制御の下に置かれることを意味します。もしこれが私たちの人間の概念ならば、間違いを犯していることになるでしょう。これは人間とは言えないからです。人間は自由行為者であり、私たちに与えられた最大の自由の中で自身の立場について考える能力があります。そしてこれが人文科学、社会科学そして特に哲学の研究の対象です。もしこうした事実を無視すれば、他の科学的事実を否定する人々とまさに同じ間違いを犯すことになります。
 もしいまウイルスの存在を否定すれば、みなこれはひどい過ちであると言うでしょう。同様に、歴史や言語学、文献学、社会学、政治学、哲学といった専門分野を単に無視することもひどい間違いではないのか? なぜコンピューター・サイエンスなら人間の理解の正しいモデルを私たちに与えてくれると言えるのか? 私たちは分業において根本的な過ちを犯していると思います。
 中世に戻ることができる、もしくは戻るべきか? もちろん違います。中世は、ヨーロッパではとりわけキリスト教のプロジェクトでした。いまこの瞬間にキリスト教はどうやって私たちを助けてくれるのでしょうか? また日本人や中国人の友人をどう助けてくれるのでしょう? もちろんそれはバカげた提案です。しかしそこにはアナログによる革命の可能性があります。私がずっと主張してきたことですが、デジタル革命の後にはアナログによる革命が必要になります。それがいま起きていることなのです。デジタルに向かうのではなく、お互いがそばにいられる新しいモードを探しているのです。たとえば、なぜビジネスマンたちはさまざまな場所にプライベートジェットで移動するのでしょうか? 彼らは遠隔通信ができるはずですよね? 一方、哲学者が人々に会うのはなぜでしょうか? それが哲学者のやり方だからです。たとえば哲学者として私はみなさんにお会いする権利がある、多くの人々に会うことができ、会話をすることができる。こうして哲学というのは成り立っているわけです。ビジネスマンは遠隔通信をすることができます。必要な人々に遠隔通信を与えて、他の私たちには、絶えず付きまとってきた、完全で世界的な独裁制監視国家から再び自由になれるようにするべきです。それが真の問題で、放置しておけば人類を破壊することになるでしょう。

(2020年3月24日  ドイツ・ボンにて)

※続きはぜひNHK出版新書『マルクス・ガブリエル 危機の時代を語る』でお楽しみください。

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