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「NHK出版新書を探せ!」第2回 「自由と幸福の天秤」をどう考えればよいか――大屋雄裕さん(法哲学者)の場合〔後編〕

 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺います。コーディネーターは当社新書『試験に出る哲学』の著者・斎藤哲也さんです。
 ※前編から読む方はこちらです。

<今回はこの人!>
大屋雄裕(おおや・たけひろ)

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部教授。東京大学法学部卒業。同大学院法学政治学研究科助手、名古屋大学大学院法学研究科助教授・教授などを経て現職。専門は法哲学。著書に『自由とは何か――監視社会と「個人」の消滅』(ちくま新書)、『自由か、さもなくば幸福か?――二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う』(筑摩選書)、『裁判の原点――社会を動かす法学入門』(河出ブックス)。『法解釈の言語哲学』(勁草書房)など。

「10万円給付問題」が明らかにしたこと

――もう一つ、お聞きしたいのはデータの問題です。たとえば中国のアーキテクチャ型リヴァイアサンは、コロナの封じ込めだけに限った話ではなく、社会信用スコアのような形でかなり浸透しているし、国民にもおおむね肯定的に受け入れられているように見えます。
 コロナ以前であれば、欧米や日本は、中国モデルは自由を損なうものとして否定的に見る人が大半だったと思います。ただ、コロナのような問題が起きた現在では、行動を追跡するデータがあれば効果的な対策を打てる。あるいはマイナンバーのようなものと口座が紐付いていれば、補償の問題にもスピーディに対応できるんじゃないかと素人的には考えてしまいます。こうしたデータの問題については、どのようにお考えですか。

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(Zhiyue Xu / Shutterstock.com)

大屋 まず、どうして現在の日本ではデータが有効に活用できないかという点からお話します。もともと個人情報は、情報処理量の限界から、分散管理されているのが当たり前だったんです。たとえば戦前の日本は、今と比べると政府の権力はものすごく強かったけれど、当時は技術水準が低いので、国家統一データベースなど作りようがなかったわけです。戸籍は個々の市町村が管理していて、その市町村にしか情報がない。つまり、他に転記しようと思ったら手書きで写さなきゃいけなかった。徴兵するにしても、個人情報は市町村から教えてもらわないといけない。軍は「この人を徴兵したい」といったら、市町村に頼んで紙を送ってもらっていた。だから赤紙も、市町村の係員が届けにくるわけです。
 戦後になると、他の国々では技術進化に応じて情報も集約した方が便利じゃないかと考えるようになります。もちろん、集約すると濫用される危険性が出てくるものの、集めないことにはそもそも始まりません。その結果、国民総背番号制と呼ばれるシステムがなんらかの形で整備されてきたわけです。
 たとえばアメリカは自由の国と言われているけど、ソーシャルセキュリティナンバーが全員に付いている。その使い方については法規制があり、誤用・濫用を抑えることによって自由を担保しましょうというのが基本的な発想でした。
 ところが日本は、そういう意味でのソフトウェア的な規制をするのではなくて、市町村が持っている情報を集約しないというという方法をとった。情報の管理自体を分散したままにするというハード的な規制を続けてきたわけです。その背景にはおそらく、情報濫用への危惧が非常に強かったということがあります。
 そのため制度上は、マイナンバーを統一的につけたけれど、いまだに個人情報は市町村しか持っていません。だから、実際は一元的に管理されておらず、国家機関には一定の場合にマイナンバー制度を通じて、市町村から提供されるだけなんです。
 コロナ以前でもすでにそういったハード的な規制は限界に達していました。たとえば、いま日本社会の最小単位は「世帯」ということになっている。同一住所に住み、生計を共にしている集団としての世帯があり、世帯単位の福祉、世帯単位の給付をずっとやってきたわけです。今回の10万円給付金もそうですね。
 ところが、この世帯のあり方がもう相当壊れている。壊れていていいか悪いかは横に置いといて、内部にDVがあって、一緒に住めなくなっている。でも、書類上は世帯になっている。あるいは、都会の大学に行っているから、住民票上は田舎にいるんだけど、本人は都会にいるというケースもあります。10万円給付金についても、こういう人たちに対する働きかけが世帯単位福祉だとできないから、個人給付にしてくれという議論が出ていますよね。
 筋論からいえば、もちろんそうでしょうと私も思います。一人一人の人間の生活を助けるために10万円を給付する。だから個人に給付しようという意見はごもっともです。ところが、都会で一人で住んでいる学生が住民票を移動させていない場合、そこにその学生さんが住んでいることを国家は知る術がない。中央政府が知らないだけでなく、市町村だって知らない。それで給付するのは無理でしょうと。

――そもそも、知らないわけだから。

大屋 それはまずいということなら、情報基盤から変えないといけない。世帯主が世帯の構成員に適切に配慮するというのは、いくらなんでもフィクションが強すぎるということなら、一人の人間を行政の単位として捕捉しないといけない。そうするとやっぱりマイナンバー制度の風通しをもっとよくするなり、中央の住民データベースを作るなりといった方法で、個人を単位とする課税と福祉のモデルに切り替えていかざるを得ないとは思います。

データ利用とセンター試験

――中央がデータを集めて運用することでメリットもある一方、先程から大屋さんも指摘している誤用、濫用という問題もあります。国家と民間含めて、中国的な社会信用スコアやアーキテクチャ型リヴァイアサンに問題があるとしたら、どのようなデータ利用が望ましいのでしょうか。

大屋 まず、市場の民間サービスについて言うと、健全な競争環境の維持というのが一つの答えになると思います。中国で社会信用スコアを運営している芝麻信用(ジーマ・クレジット)の何が怖いかというと、かなりの独占状態になっていることです。つまり、あれ一つしかない。仮に似たようなスコアが3つぐらいあって、どれでも選択的に使えるというなら、個々人のリスクは減ると思うんです。不合理なスコアリングをする企業のスコアはだんだん信用してもらえなくなるという効果が生じるはずですから。複数のサービスがあって、競争的であるという環境を維持すれば、一つの安全策になる。
 さらにいうと、芝麻信用の最大の長所であり、最大の欠点というのは、スコアが一つの数字に還元されることです。自分の信用が700点というふうに点数化される。それはとてもわかりやすいけれど、たとえば外部で仕事を頼む人を探しているときに、その人の交友関係や財産、学歴などはどうでもよくて、仕事のクオリティや締切の守り具合がわかればいいわけですよね。そうすると個人の評価といっても、どういう使途を考えるかによって必要な評価領域は変わってくるはずです。そういったものを複合的に出せるスコアリングシステムのほうが本当は有利だと思います。
 私がよく使う例は、センター試験なんです。センター試験は測り方は統一しているわけですね。同じ試験をみんなが受ける。だけど、その測ったものをどう使うかは大学や学部によって異なります。文系学部だから数学と理科は見ないとか、文系だけど数学も重要だから採点に組み込む、あるいは採点に組み込むけど比率は少し落とそう、ということを各大学や学部は工夫する。こういう形でスコアリングシステム自体が単一でも、評価の多様性に開かれたシステムなら、競争は維持できるはずです。
 ただし、民間領域についてはこれである程度いけるはずだけれども、国家は同じように考えてはダメです。国家というのは理論上、領域内で単一なので、競争が発生しない。だから国家がたとえば統合データベースを運用するとか、個々人の情報を集積するという場合には、何を集積して、どう使うかということについての明確な規制が必要です。具体的に言うと、支持政党であるとか、投票行動に関する情報は絶対に集積してはいけないし、つなげてもいけないといったルールを明確にする必要があります。

コロナ危機でアクチュアリティが増した一冊

――最後になりますが、このインタビュー連載は「NHK出版新書を探せ!」ということで、大屋さんがお読みになったことのあるNHK出版新書を書棚から発見して紹介してもらうというオマケがついています。大屋さんの問題関心からいうと、『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐、高口康太著)を挙げてくださるのではないかと踏んでいるのですが(笑)。

大屋 まさにそうです(笑)。

――この本では、大屋さんの『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩書房)も参照しています。本日お聞きした社会信用スコアや監視システムの実態、そしてそれらは自由ではないけれど幸福を中国の人々にもたらしているように見える。著者らは多くの文献を参照しながら、理論的にも中国モデルを分析して、問題点を抉り出しています。大屋さんはこの本をどのように読まれましたか。

大屋 非常に興味深い本でした。いま説明してくれたように、中国社会の実態がかなり明確に描かれているわけですが、その分析も含めて、これは他者のお話じゃないということが重要です。中国というと、人権を認めないとか、個人を重要だと思わないという先入観がありますが、中国も個人の幸福には配慮することを考えていることがよくわかります。その具体的に採られている手法も、われわれと根本的に違うものではありません。ただ、我々から見れば、思い切りがよすぎる。一つの筋が通った思いきりのいい社会をつくっているように見えるわけです。
 逆に言うと、我々には、ここに行っていいのかというためらいがある。そのためらいが何であるのか、ためらう理由がどこにあるかというのは必ずしも明確ではない。だから、そのためらいがなくなる理由が我々にあれば、むしろこのような中国的な思い切った社会がモデルとして選択されることになるはずだというのを明確に示している点が、極めて挑発的だし、説得的です。
 そのためらいの一つの理由としてあるのは、やはり個人の自由とか人権ですが、それと、たとえば疫病の危険が天秤にかけられたときにどうなるか。そういった問いが、この著者たちが思いもしない形で現在表面化しているわけです。データ社会の進行が不可避である以上、遅かれ早かれ、自由と幸福の天秤をどう考えるかという問題が突きつけられることになると思っていましたが、この本が出て半年ほどで我々は、いやおうなくその問題に直面している。その意味で、現在ものすごくアクチュアリティが増してしまった本でもあります。

――同感です。大屋さんの『自由か、さもなくば幸福か?』と併せて読むと、問題意識が通底していることがよくわかります。

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今回挙げていただいた『幸福な監視国家・中国』。本書を読めば、コロナ危機後の世界と中国が、いかに親和性が高いかよくわかる。

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あらかじめ大屋さんに撮影してもらっていた研究室の本棚。右下に、NHK出版新書があるのが確認できる。

『自由か、さもなくば幸福か?』のその先へ

大屋 最後に自分の本に関してもコメントすると、『自由か、さもなくば幸福か?』は2014年の本なので、その後、少し考えも変わってきたんです。

――というと?

大屋 あの本では、個人の自由・自己決定と幸福の両立が難しくなったこれからの社会のゆくえとして、三つの選択肢を出しています。三つの選択肢が何なのかは本を読んでほしいのですが、当時は、三つの選択肢よりも、19世紀来の近代的な個人のほうが望ましいんだけど、それはもう難しいだろうと悲観的に考えていました。しかし最近は、個人の再建をもう少し粘れるんじゃないかと思っているんです。
 これには二つの方向があります。一つは制度改善の方向です。もともと個人の意思を集計するときに、それをコーディネートすると言えば聞こえがいいし、歪めるような装置として政治があったわけです。
 そこで考えてみたいのが一人一票の代表民主制の意味です。批判はよく出ますよね。たとえば経済学者の坂井豊貴さんは、一人一票制の普通選挙は、マーケットデザインのメカニズムとしては非常に出来が悪いと批判している。でも実はそこが重要だったんじゃないか、ということを考え始めているんです。
 一人一票制というのは非常に特殊な財の配置です。つまり能力や資質にかかわらず、一人につき一つ、しかも移転不能な特殊な財を持たせる。それは統治者としての人間の有限性に対応している。つまり、すべての人間に一個しか命はないし、その一個はかけがえがないんだという我々の信念と、一人一票制はどこかで照応しているわけです
 あるいは、我々は選挙を通じて人間を選ぶという形で、さまざまな選択肢を縮減させているわけです。現実にはいろいろな政策領域があって、政策領域ごとに意見は違う。しかしそれを人間単位で集約することによって、いいとこ取りができないようにする機能が一応はある。
 こういう一人一票制の意味を咀嚼したうえで、民意をコーディネートする制度的な改善はまだ可能なのではないか。とくに日本の場合、制度設計上の問題があるのはよくわかっているので、直したらまだ使い物になるだろうと思っています。
 具体的に言うと、選挙制度が小選挙区という多数派を強調して民意のなかにある格差を増幅するシステムと、比例代表制という市民の忠実な反映を作り出そうとする制度の両がけ天秤になっていることはいかにも不格好です。たとえば衆議院は小選挙区制でダイナミズムを実現しようとし、参議院は比例代表制でブレーキとしての国民の広汎な合意を体現するとか、政治制度全体を踏まえた再デザインが可能だろうと思っています。
 もう一つは、パーソナルAIエージェントという考え方です。現代の情報技術を使って個人の自己決定性を促進するようなコーディネートはまだできるだろうと。『自由か、さもなくば幸福か?』の段階では、個人の情報処理能力や判断力が社会に追いついていかないことを悲観的に捉えていました。しかしパーソナルなAIエージェントを使って、いろんな意味で肉体を持った個人の限界を乗り越えることができるならば、自由と幸福のマリアージュというモデルを維持し続けることができるかもしれません。

――近代をあきらめないための方策はまだあると。それがまた著書としてまとまるのを楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

*取材・構成:斎藤哲也/2020年4月23日、リモート取材にて収録

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プロフィール

斎藤 哲也(さいとう・てつや)
1971年生まれ。ライター・編集者。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『もっと試験に出る哲学――「入試問題」で東洋思想に入門する』『試験に出る哲学――「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。

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