「形」を知ると、身体のしくみと進化が見えてくる!――「キリンと人間、どこが違う?[生き物に“ざんねんな進化”はない!]」 郡司芽久
見出し画像

「形」を知ると、身体のしくみと進化が見えてくる!――「キリンと人間、どこが違う?[生き物に“ざんねんな進化”はない!]」 郡司芽久

本がひらく
 キリンと人間はまったく違う動物? 生き物の身体の「形」を比べてみると、意外な共通点が見つかります。動物学者で「キリン博士」こと郡司芽久さんが、動物の身体をめぐる謎やユニークな進化についてわかりやすく解説。浅野文彦さんのイラストも必見!
 ついに連載は最終回。一見非合理な進化にも、愛すべき自然の大らかさがうかがえます。郡司さんにとって「非合理的に見える進化を遂げた動物ランキング」1位に輝く「ウ」の羽の秘密とは? 進化は「妥協点」を探る過程なのでしょうか。
 *当記事は連載第10回(最終回)です。第1回から読む方はこちらです。

すごいぞ! 進化

 早いもので、今年も残すところあと1か月ほどである。2月に始まったこの連載も第10回を迎え、今回が最後となる。
 これまで、各回につき1つの器官に焦点を当て、その器官の基本的な機能や進化について、さまざまな動物を例に出しながら解説してきた。第1回の「肺の進化」に始まり、ツノ、首、四肢、皮膚、腎臓、消化器官、心臓、そして第9回に再び、肺を含む「呼吸器」と、全部で8つの器官を取り上げてきた。なかには、角やエラのように「ヒトにはない器官」もあったが、ほとんどはヒトとほかの動物が共通してもつ器官について紹介してきた。
 ただし、「共通の器官」は「同じ構造」「同じ機能」を意味するとはかぎらない。これまでの連載で紹介してきたとおり、器官の由来(起源)と名前が同じだけで、構造や機能は種ごとに異なる、というケースはとても多い。哺乳類の肺と鳥の肺はずいぶん異なる構造をもつし(第9回参照)、淡水魚の腎臓と海水魚の腎臓は機能が異なる(第6回参照)。ヒトの胃と反芻(はんすう)動物の胃のように、構造と機能の両方が異なる器官もある(第7回参照)
 生き物の体は、生活する場所や食べるものなどに関連しながら、異なる進化を遂げてきた。水中で暮らすもの、陸上を闊歩するもの、空中を生活の場としたもの。あるいは植物を食べるもの、肉を食べるもの。はたまた1トンを越すような巨大なもの、数ミクロンの小さなもの……。同じ地球上を生きていても、個々の生物が直面している世界は異なっている。体の構造や機能は、それぞれが生きる世界に適した〝かたち〞に進化してきたのである。

 さて、本連載を始めるにあたり、はじめに出版社から提案されたテーマは、「大人が読んで楽しめる〝進化〞の話」だった。2020年夏にNHK出版から発売された『すごいぞ!進化 はじめて学ぶ生命の旅』という絵本の監修を担当したことがきっかけで、「この絵本の大人向けというイメージで、連載しませんか?」とお声がけいただいたのだ(なお、この絵本はイギリス人作家のアンナ・クレイボーンさんが執筆したもので、子ども向けではあるけれど、大人でも読みごたえ十分の充実した内容である。絵も可愛く、装幀はとてもおしゃれだ)。
 生物の進化に関する研究をしていると、「すごいぞ! 進化」と言いたくなってしまうようなときはたくさんある。第6回で紹介した腎臓の濾過システムなど、その最たる例だ。腎臓内部には、3層構造の〝濾過装置〞が存在し、血液中に溶け込んださまざまな物質を「腎臓から排出したい不要な老廃物」と「体内に残したい有益な物質」に選り分けていく。
 3層のうち、2つはいわゆる“濾過フィルター”で、「小さな穴や細い隙間があいた膜で濾過し、大きさごとに選り分ける(血球など大きなものは体内に残し、小さな物質だけを体外に排出する)」というものである。そして残りの1層はマイナスに帯電した膜で、「マイナス同士は反発しあい、マイナスとプラスは引き寄せあう」という電気の特性を利用して、必要な物質だけを体内に跳ね返す仕組みになっている(詳細は第6回を参照)
「どこかに設計者がいるのではないか」と感じてしまうほど、洗練された美しい構造である。そうした進化の話はとても魅力的で、心からワクワクする。
 その一方で、「こんな感じでいいの……?」と思ってしまうような進化も、世の中には存在している。反芻ができないゾウやウマは、食べた植物の大部分を未消化のまま排泄してしまうし、シカのオスがもつ立派なツノは、毎年落ちてなくなってしまうので、春が来るたびに新たに生やさなくてはならない。本連載では、こうした非合理的に見える進化を多々紹介してきた。
 これらは、ときには「ざんねん」と評されてしまうようなものなのかもしれない。「反芻すれば、栄養を無駄なく吸収することができるのに」「ツノを落とさず生えたままにしておけば、カルシウムを無駄にすることはないのに」–––人間目線で見ると、ついそんなふうに言いたくなってしまう。それでも、そんな進化を遂げた動物たちを、私は心から愛おしく思う。そこには、「自然界のおおらかさ」があるからだ。
 一番ではなくても、効率的ではなくても、その動物自身が生きている世界でなんとかやっていければ、それで良いのだ。

濡れない羽と、濡れちゃう羽

 私のなかの「非合理的に見える進化を遂げた動物ランキング」で堂々の第1位に輝くのは、「ウ」である。川や海に生息し、黒光りした美しい羽をもつ、比較的身近な鳥だ。鵜飼いをご存じの方も多いかもしれない(鵜飼いで利用されるのは、ウミウというウの一種)。ペンギンなどと同じく、潜って魚を捕まえて食べる鳥だが、ペンギンとは違い、立派な翼で空を飛ぶこともできる。
「潜水も飛行もできる」というとなんだか万能に聞こえるが、体にはずいぶん無理が生じているように感じる。翼を動かして飛ぶように泳ぐペンギンとは異なり、ウは足を使って泳ぐ。翼は「飛翔専門」、足は「遊泳専門」と役割分担をしているのだ。そのため、飛ぶのに必要な大きな胸筋と、水中で足を動かすのに適した「短くて筋肉が発達した太腿」をあわせもち、「短足で上半身が大きく、全体的に筋肉質」というアンバランスな体になっている。
とはいえ、これだけならば非合理的とまでは言えない。彼らの体には、いったいどんなユニークな特徴があるのだろうか?

 連載第5回で「皮膚」を取り上げた際、ペンギンをはじめとする潜水性の鳥類は、羽に〝撥水加工〞をほどこすことを紹介した。尾羽の近くから分泌される皮脂を、くちばしを使って全身に塗り、水をはじくようにするのだ。いわゆる「羽繕い」の動作だ。皮脂を用いた撥水コーティングにより、長時間潜水したあとでも、上陸して体をぶるぶると震わせるだけで、羽の表面についた水滴ははじかれ、あっという間に乾いてしまう。雨の日にレインコートを着て外出するのと似たようなものだ。帰宅後にバサバサと振れば、付着した雨粒は飛んでいって、レインコートはすぐに乾く。
 このような撥水加工の利点の1つは、断熱効果が高まることだ。潜った際に羽が濡れてしまうと、周囲の冷たい水が皮膚に直接触れ、どんどん体温を奪われてしまう。羽が濡れないようにすることで、体のまわりに「空気を含む羽の層」を作り、体温の低下を防止することができるのだ。入浴後のドライヤーが面倒臭くてしょうがない私からすると、なんともうらやましい仕組みだ。
 ところが、だ。ウの仲間は、潜水性の鳥類でありながら、羽には撥水能力がなく、潜ったあとはびっしょりと濡れてしまう。皮脂を分泌する器官(尾脂腺)は存在しているし、ほかの種と同じように羽繕いもするのだけれど、羽の構造が水を吸いやすいようになっているのだ。
前述したとおり、羽が濡れていると体が冷えてしまうし、水を吸った羽は重くて、空を飛ぶのも難しくなる。そのためウは、潜水後、翼を左右に大きく広げ、乾くまでじっと待ちつづける。日当たりや風の強さによって翼を広げる時間が変化するらしく、洗濯物を干すかのようだ。

画像1

 翼を乾かしている最中のウはちょっとコミカルなポーズで、見かけるたびに、「ほかの水鳥たちはそんなことやってないよ」「どうして、ほかの水鳥みたいに良い仕組みをもたなかったの?」なんて気持ちが湧いてしまう。「乾かしている最中に捕食者に襲われたらどうするのだろうか?」と勝手に心配にもなってしまう。そのときは水中に逃げ込んで、また乾燥をやり直すのだろうか。
 ほかの潜水性鳥類があっという間に体を乾かす様子と比べると、なんだかとっても非合理的で、さすがに「劣化」なのではないかと思えてしまう。

非合理的な進化のかたち

 では、彼らはなぜそんな進化を遂げてしまったのだろうか?
 まだわかっていない部分もあるようだが、濡れてしまう羽には1つだけ確実なメリットが存在している。水をはじいて空気の層を作ることができないため、圧倒的に潜りやすいのだ。空気の層が増えれば増えるほど浮力は増し、潜水することは難しくなる。撥水加工をした羽で潜るというのは、ライフジャケットを着たまま潜るようなものなのだ。
 しかも、近年の研究により、ウの羽は完全に水没してビショビショになるのではなく、ほんのわずかに濡れない部分があることが報告されている。羽は、「瞬時に濡れる外側部分」と「防水性の高い内側部分」の2層構造になっていて、最低限の空気の層は確保しているようなのだ。どうやらウの仲間の羽は、潜りやすく、かつある程度は体温を維持できるような〝いいとこ取り〞の構造になっているらしい。潜水後、羽を広げて乾かすことは、その代償なのだ。

画像2

 そう思うと、コミカルに見えていた「乾燥のポーズ」が、堂々と胸を張った立派な立ち姿に見えるような気がしてくる。それでもやっぱり、どこかコミカルで可愛らしく感じてしまうけれど。
 ちなみに、このことを示した研究論文のなかでは、「ウの羽は撥水性がない」というネガティブな表現ではなく、「ウの羽は水との親和性が高い(=水が付着しやすい)」というポジティブな書き方をしている。世の真理は多面的で、見ようによっては真逆のとらえ方になるということをつくづく痛感する。ビショビショになってしまうウの羽は、けっしてペンギンの羽に劣っているわけではないのだ。

「進化」という言葉は、一般的には、「強くなること」「洗練されること」「進歩すること」といったニュアンスで使われることが多い。一方、「退化」という言葉は、進化の対義語として扱われ、「劣化」に近いネガティブな意味合いで使われている。
 ところが生物学では、進化と退化は反対の概念ではなく、退化も〝進化の一部〞として扱われる。
 たとえばウマの仲間は、進化の過程で中指以外の指が退化して小さくなり、いまでは中指1本だけになってしまった。指の減少は「退化」と評されるが、こうした変化は、走行に適した「進化」でもある。生物学において、進化とは「変化」のことで、変化の方向がプラスかマイナスかは関係ないのだ。

 そもそも、進化にプラスやマイナスという概念は存在するのだろうか。
一本指のウマは、安定して力強く地面を蹴って走ることができる代わりに、物をつかむことはできない。水に濡れるウの羽は、潜りやすい代わりに、潜水後は羽を乾かさなくてはならない。目的や優先事項が異なるもの同士を比較して、どちらが〝良い〞のかジャッジすることなど不可能だ。
 このような「あちらを立てればこちらが立たぬ」という状況は、生物の進化において頻繁に生じている。ある面では生存に有利な良い構造であっても、別の側面ではむしろ悪い効果をもたらす、というケースは意外に多いのだ。
 私がキリンを愛する理由の1つは、彼らがそんなジレンマを大いに抱えていることにある。
 キリンの長い首は、ほかの動物が届かないような高い場所にある葉を食べることを可能にした。けれども同時に、長い首の先端にある脳まで血液を届けるには、異常なほど血圧が高くなる必要性があり、結果として血液循環器系には大きな負荷がかかることとなった。生物は、基本的に体が大きいほど長命になる傾向があるが、そのなかでキリンの寿命はきわめて短い。ゾウやサイが50〜60歳まで生きるのに対し、キリンはどんなに長生きしても30歳程度だ。キリンの長い首は、文字どおり、命を削って得られたものなのだ。
 さまざまな生き物の体の構造を見比べていくと、メリットのみの進化なんてごくごく一部の例外なのではないだろうかと思わされる。さまざまな制約のなかで、デメリットを受け入れたうえで、「それでもなんとかうまくやっていける」という妥協点を探る過程が、進化の本質なのかもしれない。

おわりに:自分の体を知ることは

 解剖学の道を歩みはじめて、10年以上がたった。
 私が「解剖学と出合えて良かった」と思う点の1つは、自分の体のなかには信じられないほど精巧な器官がたくさん詰まっていて、それらが絶え間なく働くことで生きている、と知れたことである。突然の腹痛や頭痛、脱水症状や日焼けの痛みなど、これまではまるで「敵からの攻撃」のように思えていた体のシグナルを、「味方からの救難信号」に思えるようにもなった。
 心臓も肺も腎臓も、私の意思とは関係なく、一日中休むことなく動きつづけ、命を支えてくれる。呼吸する。血液を送る。食べ物を食べ、消化し、栄養をとる。水を飲み、尿を排泄する。日々当たり前に行っていることは、奇跡にも思えるほど精巧で複雑な器官によって成り立っているのだ。そう思うと、なんだか自分が誇らしく思える。
 自分自身にがっかりしてしまったとき、絶望してしまったとき、「自分が素晴らしいと思える存在」が体内にたしかに存在し、いつもと変わらず働きつづけていることは、私にとって1つの救いだった。
 振り返ってみると、各臓器の働きを1つずつ学んでいく過程は、自分のことを少しずつ認めていくような作業だった。「家族や友達が自分を支えてくれる」と思うのと同じように、解剖学から得た知識は、私の気持ちをいつも支えてくれていた。苦しいときに寄り添ってくれるのは、なにも人間やペットだけではないのだ。

 第1回で説明したように、私の専門である比較解剖学は、動物同士を比較することで「この動物に固有の特徴なのか」「それとも、ほかの動物にも見られる特徴なのか」を整理していく学問である。ヒトのことだけ考えていても、ヒトのすべてを理解することはできないのだ。
 本連載では、ヒトのことを大々的に取り上げるようなことは一度もなかった。それでも、キリンやゾウ、ペンギンなど、さまざまな動物の話を通じて、あらためて自分自身の体について考えるきっかけになれば、とてもうれしい。

 自分の体は、生まれた瞬間から死ぬときまで一度も自分から離れることがない唯一の存在だ。興味と敬意をもって、大切に接していきたいと強く思う。

画像3

ひとつ前に戻る

プロフィール
郡司芽久(ぐんじ・めぐ)

東洋大学生命科学部生命科学科助教。2017年3月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了し、博士号(農学)を取得。同年4月より日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館勤務後、筑波大学システム情報系研究員を経て2021年4月より現職。専門は解剖学・形態学。第7回日本学術振興会育志賞を受賞。著書に『キリン解剖記』(ナツメ社)。
*郡司芽久さんのTwitterはこちら

関連コンテンツ

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

「スキ」してくださり感謝です♪
本がひらく
NHK出版の書籍編集部が、多彩な執筆陣による連載小説・エッセイ、教養・ノンフィクション読み物や、朝ドラ・大河ドラマの出演者や著者インタビューなどをお届けします。新刊情報も随時更新。ときどき編集部裏話も!