本がひらく
そろっていく事件をつなぐピース。残された最大の謎の存在――中山七里「彷徨う者たち」
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そろっていく事件をつなぐピース。残された最大の謎の存在――中山七里「彷徨う者たち」

本がひらく

本格的な社会派ヒューマンミステリー『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く、「宮城県警シリーズ」第3弾。震災復興に向けて公営住宅への移転が進む仮設住宅で発生した、殺人事件。〈シェイクハンド・キズナ〉と仮設住宅での殺人事件がつながる背景を探るべく、笘篠刑事と蓮田刑事が向かった先は裏稼業として“情報屋”を営む五代良則のもと。そこでふたりは“迷惑系”NPOの裏の役割とともに、祝井建設とのつながりを知る――
※当記事は連載第16回です。第1回から読む方はこちらです。


 翌日、二人は南三陸町の料亭〈くにもと〉に向かっていた。
 理由は言われずとも承知している。貢のアリバイを洗い直すためだ。五代からの情報で、貢が仮設住宅から住人を追い出しにかかっていたらしいと知れた。その上、貢には天窓を外せる技術もある。つまり動機と方法を兼ね備えていることになる。
 残るはチャンスだ。貢が捜査線上から外れているのは、犯行時刻に森見議員と〈くにもと〉にいたというアリバイがあるからだ。このアリバイが破られたが最後、貢は最有力の容疑者として浮上する。
 今日は蓮田がハンドルを握っている。笘篠は助手席でただ前を見つめている。
「急げ」
「え」
「制限速度は五十キロだ」
 見ればメーターは四十キロの辺りを前後していた。蓮田は慌ててアクセルを踏み込む。
「考えごとか」
「いいえ」
「森見貢のアリバイ崩しは気が進まないか」
「私情は挟んでいないつもりです」
「なら、いい」
 やがてレガシィは〈くにもと〉の駐車場に到着した。降車する際、笘篠は周辺をぐるりと見渡す。
 女将を捕まえ、応接室を用意してもらう。再度の訪問に、女将は猜疑心さいぎしんも露わだった。
「森見先生と田崎様のご会食の件は、先日お話しした通りでございますよ」
 しかし女将さん、と笘篠は穏やかに食い下がる。
「お得意さんで、しかも県会議員とその後援会長です。ただの会食であったとしても外に洩れては困る話題があるでしょう」
「もちろん心得ております。本来は前菜からデザートまでをひと品ずつお出しするのですが、温かいうちに召しあがっていただきたい焼物や椀物以外はふた皿ずつお出しして、なるべく邪魔にならないように心掛けております」
「同行された秘書も同じメニューなのですか」
「違いますよ」
 女将は当然だと言わんばかりに即答する。
「座敷の二人はコース料理ですが、秘書の方は一品料理のみのご提供です」
 やはり議員たちと同じものは食えないのかと、蓮田はわずかに同情する。
「一品料理。それでは皿の上げ下げに出入りすることもありませんね」
「はい。座敷のデザートを片づける際、一緒にお下げするようにしています」
「確認します。では最初に一品料理を出してから〈霞の間〉のデザートを片づける約三時間、秘書が待機する部屋には誰も足を踏み入れなかったのですね」
「そういうことになります」
 思わず蓮田は笘篠に目配せする。
〈くにもと〉から吉野沢の仮設住宅までクルマで飛ばしたとして十五分。決して遠い距離ではなく、三時間もあれば現場で犯行を終えて舞い戻っても充分余裕がある。
 蓮田の興奮をよそに、笘篠は平然と質問を続ける。
「では秘書が退席してしばらく戻らなくても、料亭の側では把握できないのですね」
 ようやく質問の真意に気づいたらしく、女将は急に表情を固くした。
「わたくしどもが知る限り、森見先生や秘書の方はずっとお料理を楽しんでいらっしゃいました」
「法廷で証言できますか」
「わたくしどもが知る限り、と申しました」
 語るに落ちた、と思った。
「言い換えれば、途中で料亭を出た可能性もあるという意味ですね」
「お客様を四六時中、監視している訳ではありませんので」
 笘篠の唇が微かに緩む。相手の弱みを摑んだと確信した時の顔だった。
「女将さん。駐車場に防犯カメラが設置されていますよね。データをお借りできますか」
 途端に女将の顔色が変わった。
「それは正式な捜査の申し入れでしょうか」
「ちゃんとした手順を踏むなら捜査関係事項照会書を出しますが、そうなれば本案件と関係のないデータも分析の対象になるでしょう。たとえば森見議員以外にこの店を利用している客の出入りとか」
 女将の顔がますます険しくなる。
 南三陸町のみならず〈くにもと〉は近郷に名の通った料亭なので、森見議員以外にも贔屓にしている客が少なくない。中には会合を持つこと自体を知られたくない輩もいるだろう。
「小耳に挟みましたが、有名店であれば反社会的勢力と呼ばれる団体も利用しているかもしれませんね。店側で承知していても断る訳にもいかないでしょうから難しいところですな」
 客のプライバシーを守秘する立場の〈くにもと〉にすれば、データ全てを分析されるのは何としても回避したい事態に違いない。笘篠はその悩ましい部分を突いているのだ。案の定、女将は追い詰められた小動物のように切実な表情になっていた。
「ただし今の時点で捜査にご協力いただければ、我々も必要のないデータは後順位に回せます。分析終了後は速やかにデータを返却することも約束しますよ」
 後順位に回すだけで決して消去するとは言わない。相手に言質を取られない言い回しだが、追い詰められた女将は逆らいようがない。
「本当に、即刻ご返却いただけますか」
「約束しますよ」
 特に期限を設けていないから、返却が遅れても女将の側は文句一つ言えない。
「すぐに用意させます」
 女将は笘篠をひと睨みしてから応接室を出ていった。
「引いたか」
「いえ」
 笘篠は表情を失くしていた。
「強引な交渉に見えたか」
「捜査のためなら当然です」
 口にしてから、あっと思った。
 笘篠の真の交渉相手は女将ではない。
 自分だ。
 笘篠が脅迫紛いの交渉までするからには、貢を知悉ちしつしている蓮田も綺麗ごとでは済まされない。過去の友情も絆も犠牲にして容疑者に向かわなければならない。
 覚悟はできていたはずだったが、迷いも残っていた。笘篠はその迷いを断ち切ろうとしているのだ。

 女将から提供された防犯カメラのハードディスクは、その日のうちに鑑識に回された。沙羅の名義であるベンツS550は既にナンバーも控えてあるので、すぐに判別ができる。
「当該車がいい場所に停めてあった。車種からナンバーまで一目瞭然だ」
 鑑識課の両角はモニターを指差しながら説明を始めた。モニターにはベンツがテールランプを点灯する直前から映っていた。
「停めてあったベンツが料亭の敷地を出たのが午後八時十五分」
 タイムコードが20:15を指した時、画面の奥から貢の姿が現れる。貢は辺りを警戒しながら素早く運転席に滑り込む。テールランプが点き、ベンツは撮影範囲から消え失せる。
「その後、戻ってきて当該車が同じ場所に駐車する。これが午後九時二十二分」
 タイムコードが21:22を表示すると画面奥から同じベンツが出現し、最前の位置にぴたりと停まる。ドアを開けて貢が降車し、料亭へと小走りに駆け出す。
 タイムコードが、貢のアリバイが破れた事実を代弁していた。
 蓮田は困惑する。本来であれば昂揚こうようするべきなのに頭の中が冷えている。状況を把握するために冷却しろと脳が命じている。
 両角が立ち去ると、冷静になった頭がようやく回転し始めた。
「これで森見貢のアリバイが崩れました」
「ああ」
「任意で引っ張りますか」
「どう思う」
 笘篠は逆に訊き返してきた。
「動機・方法・チャンスの三つが揃った。後は本人の自供だけだ」
「現状、自供は難しいと思います」
 貢の性格と現在の立場を考え併せれば、笘篠や蓮田が尋問してもおそらく彼は容易に陥落しない。密室を構築した方法も動機もあくまで推測であり、料亭〈くにもと〉を出た貢が午後八時十五分から同九時二十二分までどこで何をしていたかが判明しない限り、とぼけられて終わりだ。
 笘篠の尋問で落ちない容疑者は少ないが、貢は間違いなくそのうちの一人だろう。冷静で常に相手の隙を窺っている。味方にすれば頼もしいが、敵に回せばこれほど厄介な相手はいない。
「状況証拠だけではのらりくらり逃げられるのがオチでしょう。自供を引き出すには物的証拠が必要になります」
「俺もそう思う」
 笘篠は短く答えたが、何やら含みのあるような口調だった。真意を尋ねようとした時、蓮田の卓上電話が鳴った。一階受付からの内線だった。
『吉野沢事件の担当者に面会希望です』
「誰ですか」
『被害者のご遺族とのことです』
 掛川勇児の遺族と言えば妹の美弥子しかいない。彼女がいったい何の用なのだろう。
 受付の声が聞こえていたらしく、笘篠は片手を上げた。
「防犯カメラの分析結果を課長に報告しなきゃならん。済まないが対応してくれないか」
 常日頃、被害者遺族には正面から向き合う笘篠らしからぬ言葉だったが、来客を待たせては申し訳ないので単身一階フロアに向かった。
「捜査でお忙しいところを申し訳ありません」
 久しぶりに見た美弥子は頰が少しこけていた。
「取りあえず落ち着ける場所に」
 一階の隅、パーテーションで仕切られた一角に美弥子を案内する。話の内容が機密を要するものならば、すぐに移動するつもりだった。
「まだ犯人の目星はついていないんですか」
 開口一番だった。新しい情報でも提供してくれるのかと期待していた分、蓮田は気落ちする。
「すみません。捜査の進捗状況はご遺族にもお教えできません」
「容疑者が特定できているかどうかだけで構いません」
 それ自体が捜査情報なのだが、説明してもおそらく美弥子は納得してくれないだろう。
「捜査は進んでいる、とだけ申し上げておきます。もう少し待ってもらえませんか」
 蓮田に見つめられると、美弥子は次第にうつむき加減になっていく。頭の天辺てっぺんをこちらに向けたかと思うと、細く嗚咽を始めた。
 テーブルの上に水滴が落ちる。
 蓮田は慌てて自分のハンカチを取り出したが、差し出す前に美弥子が自前のハンドタオルで顔を覆った。
「すみません。最近、すっかり涙腺が緩んでしまって。まるで花粉症の末期症状みたい」
 彼女の握ったハンドタオルは、取り出した時には既にれていた。ここに来る前に使用した証だった。
「事件のことを、兄のことを思い出す度に涙が出てくるんです。悲しいとか悔しいとか感じる前に、自然と溢れてきて」
 情緒不安定になって心身の調整ができなくなっているのだろうか。だとすれば美弥子が戸を叩くべきは警察ではなく病院の方だ。
「ホントに悔しくて悔しくて。前にもお話ししましたけど、わたしたち兄妹は震災で両親を亡くしています。折角生き残れた兄をあんなかたちで奪われて、犯人が憎くて堪りません」
「犯人は必ず挙げてみせます。ですから心配しないように」
「刑事さんはそう言ってくれますけど」
 不意に美弥子の目が昏い光を帯びる。
「森見善之助という県会議員をご存じですか」
 いきなり名前を出されて意表を突かれた。だが顔には出さずに済んだ。
「知っています。県議会最大派閥の長でしたね」
「議員の自宅が南三陸町の志津川地区にあることもですか」
 敢えて答えずにいると、美弥子の顔に猜疑の色が差した。
「警察が森見議員の自宅を訪ねたのは本当ですか」
「誰がそんなことを」
「志津川地区にいる知人が教えてくれました。その知人はクルマが趣味で、車種がレガシィでリヤガラスがスモークガラスなら十中八九覆面パトカーなんだって」
 不必要な知識を持った知人がいたものだ。蓮田は未知の人物に悪態を吐きたくなった。
「もし県会議員が兄を殺した容疑者なら、警察は逮捕を躊躇しているのではありませんか」
「あなたは勘違いをしています」
 我知らず声が大きくなってしまった。蓮田は自制心を総動員して落ち着きを取り戻す。
「まず車種とリヤガラスの仕様だけで警察車両と断定するのは早計です。今日びガラスをスモークにカスタマイズするクルマ好きは大勢います。また、仮に議員の自宅に警察車両が停めてあったとしても、お兄さんの事件とはおそらく関係ありません」
 努めて淡々と話したのが功を奏したらしく、美弥子の表情から固さが抜けていく。信用を取り戻すには、あとひと息だ。
「三番目が最も大きな誤解ですが、容疑者が県会議員であろうが著名人であろうが、相手の肩書で警察が捜査の手を緩めるようなことは一切ありません。それは警察に対する侮辱になりかねません」
 口にした瞬間、言葉は己の胸に突き刺さった。
 相手の肩書どころではない。旧知の間柄という理由で腰が引けている自分は、もっと警察を愚弄しているではないか。
「すみません」
 美弥子は俯き加減だった頭を更に低くした。
「警察を悪く言うつもりはないんです。でも、事件の報道があれ以来立ち消えになってしまい、歯痒はがゆくて」
 頼むから頭を上げてくれ。
 罪悪感と自己嫌悪で胸が黒くなるように感じた。
「どうか頭を上げてください。ご遺族の無念は承知しています。後追い記事が出なくて焦る気持ちも分かります。ですが捨て鉢にはならないでください。必ず犯人は捕まえますから」
 この場に笘篠がいれば安請け合いはするなと釘を刺すに違いない。だが美弥子に告げなければ、蓮田の自我が変調を来たしそうだった。
 私情と公務がこんなかたちでせめぎ合うとは想像もしていなかった。
 ようやく気を取り直したらしく、美弥子はゆっくりと顔を上げる。涙と鼻水に濡れて気の毒だったが、表情は穏やかだった。
「ご迷惑を、おかけしました」
「いえ」
「迷惑ついでにお願いがあります。もし犯人を逮捕したら、一番に連絡をいただけませんでしょうか」
「分かりました」
 美弥子は最後に深々と頭を下げて県警本部を出ていった。
 玄関まで見送った蓮田は今更ながら、自分一人に対応を任せた笘篠の真意に気づいた。〈くにもと〉の女将に強引な交渉を試みたのと同様、蓮田を被害者遺族の悲嘆に直面させたのも、私情を断ち切る方策だったのだ。
 いささか強制的なやり口を恨んだが、その一方で感謝の念が胸にともった。
 刑事部屋に戻ると、笘篠も自席に戻っていた。安手の椅子に背中を預けて宙空に視線を漂わせている。
「戻りました」
「ご苦労さん」
 美弥子と何を話したのか訊こうともしない。きっと話の内容くらいは見当をつけているのだろう。
「考えごとですか」
「最後のピースを探している」
「動機と方法とチャンス。あとは」
「凶器だ」

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プロフィール
中山七里(なかやま・しちり)

1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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