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世界は哀しくも愛おしく、そして不確かな存在――「八咫烏シリーズ」著者・阿部智里の短編小説『唯一の君』

累計130万部を突破中の大人気和風ファンタジー小説「八咫烏シリーズ」の著者が描く、生命と尊厳、現実と虚構が入り交じる不可思議な世界。前作『秘密のお客さま』に続く、待望の短編小説第2弾。

「すぐる。お前、お見合いをしてみないか?」
 苺のショートケーキを頬張っていた僕は、唐突なお父さんの言葉にぽかんとした。
「お見合い? 僕が?」
「とても素敵なお嬢さんから、そういうお話があったんだ。どうだろうか?」
 どうだろうか、と言われても。
 今日は僕の十八歳の誕生日だった。
 数分前までバースデーソングを歌って、ケーキの蝋燭の火を吹き消して、欲しかったサッカーシューズをプレゼントにもらって上機嫌だったのに、浮かれていた気分は一気に吹き飛んでしまった。
 学校では、すでにお付き合いしている女性がいると言う友人もいるけれど、結婚をしている人はひとりもいない。
「……僕にはまだ早いんじゃないかなあ?」
 助けを求めてお母さんを見たが、ホールケーキを切り分けた包丁のクリームをぬぐいながら、彼女は笑顔でこう答えた。
「とても素敵なお嬢さんなのよ。きっと、すぐるも気に入ると思うわ」
「でも、お見合いということは、結婚を前提にお付き合いをするってことでしょ?」
「すぐるが孫の顔を見せてくれたら、お母さんもお父さんも嬉しいな」
 今までそんな話をされたことはなかったので、僕は面食らってしまった。
「いきなり孫の話? いくらなんでも気が早いよ」
「すぐるは十八歳になったんだ。もう、十分に父親になれる年齢なんだよ」
 その優しい笑顔に、ああ、もうお見合いすること自体は覆せないんだな、と悟った。
 どうだろうか、と訊かれて、僕の意見が通ったことはあんまりない。
 無理強いされているというほどではないし、お父さんとお母さんを悲しませたくはないから、僕はそれでもいいと思っていた。
 でも、結婚とか孫とか、あまりに性急な話には戸惑ってしまう。
「僕、そんなに気が進まないんだけどな……」
「大丈夫。来週の土曜日には、お会い出来るからね」
「楽しみねえ」
 やんわりと、でも有無を言わせない口調で言われて、結局僕は口を噤んでしまった。

*     *     *

「いいんじゃないかな? 僕達だって、もう十分父親になれる年齢だもの」
 翌日の放課後、親しくしている友人達に相談すると、彼らは平然とお見合いに賛成した。
「おめでとう。すぐる君もようやく父親になるんだね」
「すぐる君はとっても良い男だから、きっと良い子が生まれると思うなあ」
 おめでとう、おめでとう、と口々に祝福されて、僕はううん、と唸った。
「女性とお付き合いしたこともないのに、早過ぎるように思うのだけど。皆だって、結婚なんてしないだろ?」
 少し及び腰になった僕に気付いたようで、友人達は揃って首を傾げた。
「すぐる君は、お見合いに乗り気ではないのかな」
「でも、健康的に精通を迎えているのだろう?」
「心配しなくていい。僕だって、今度彼女と結婚するんだよ」
「本当に?」
 僕だけじゃないのかと思って目を見開くと、彼は僕を安心させるように笑った。
「性交だって普通にしている。皆、普通にそうするものなんだよ」
 これまで友人達とは授業の内容やサッカーのことくらいしか話したことがなかったというのに、いきなり過激な話をされて僕は大いに狼狽した。
「待って待って、駄目だよ。公の場でセクシュアルな話をしたらいけない」
「すぐる君は、もう十八歳になったんだ。父親として、子どもを作る年齢になったんだよ」
 昨日まで駄目だったことが、今日からはいきなり許されるということなのだろうか?
 急な変化についていけず、僕は口ごもる。
「すぐる君は、何が不安なの? 保健体育で習ったじゃないか。男性器を女性器に入れて、ただ射精すればいいんだよ」
「ひえっ」
 あけすけな言葉に、顔から汗が噴き出すのを感じる。
 そんな僕を見て、友人達は苦笑した。
「すぐる君は、あんまり想像したことがないのかな」
「でも、想像出来ないと、行為に支障が出るかもしれないだろう?」
「心配しなくていい。明日、僕がポルノグラフィを持って来てあげるよ」
「いいよ、そんなの!」
 僕はもはや泣きそうだった。
「大丈夫。こういうことはね、自然と分かるようになるものだから」
「お見合いまでに気分を高めていけるように、頑張ろう」
「僕達もお手伝いするからね」
応援しているよ、と言われ、僕は再び口を噤むしかなかった。

*     *     *

 嫌だ嫌だと思っているうちに、お見合いの日はすぐにやってきた。
 場所は、町外れにあるおしゃれなフレンチレストランだ。
 普段、町の外に出てはいけないと言われているから、こんな遠くに来たこと自体、初めてだ。
 今日のために新調したスーツを着た僕の両脇は、ニコニコと嬉しそうなお父さんとお母さんがしっかり固めている。逃げようなんて思いもしなかったけれど、もし仮にそう考えたとしてもどこにも行けやしないだろう。
 お見合いをしようと告げられてからというもの、僕の周囲はそういうことに、やたらと積極的になってしまった。
 友人達は生々しい性行為が描かれた雑誌を見せようとして来るし、お父さんもお母さんも、「孫の顔が見たい」と言うばかりだ。
 これが大人になるということなら、十八歳になんかなりたくなかったなあと思ってちびちびとレモン水を飲んでいると、レストランの出入口の鐘がカランと鳴った。
「ああ、ようこそいらっしゃいました、真理さん」
「どうぞどうぞ、こちらにいらしてください」
 嬉しそうなお父さんとお母さんの声がする。億劫に思いながら顔を上げて――僕は、衝撃のあまり息が止まりそうになった。

 そこに立っていたのは、四十過ぎと見られるおばさんだった。

 一目見た瞬間、こんな人、今まで見たことがないと思った。
 お相手は僕と同年代だと思い込んでいたので年齢も意外ではあったのだけれど、そんなのは些細なことだった。何が違うのかは分からない。でも絶対に、何かが他の人とは決定的に違う、と強烈に感じるものがあったのだ。
 愛想笑いもせずに、彼女ははっきりとした眼差しを僕に向けている。
 その瞳はシャンデリアの光を受けて繊細な虹彩まで浮かび上がり、髪には白髪が数本見えて、顔にはうっすらと皺が寄っている。
 何だろう。全体的に、とっても複雑だ、と思った。
 彼女はまじまじと僕に無遠慮な視線を向け、不意に微笑んだ。
「……うん。あんたなら大丈夫そう!」
 妙に大きな声に、僕はびくりと震える。
 彼女の笑顔を見た両親が歓声を上げた。
「ああ、良かった」
「どうやら、真理さんはすぐるを気に入ってくれたみたいね」
 真理さんと呼ばれたおばさんは、嬉しそうな僕の両親を素通りしてこちらに近付き、僕の腕をつかんだ。あまりに強い力にびっくりする僕に構わず、そのまま強引に引っ張って立たせる。
「待って待って、何をするんですか」
「何って、子作りに決まってるでしょ」
「は?」
 啞然としている僕を引きずるようにして、おばさんはレストランの奥にある個室と思しき扉に向かって行く。
「真理さん、すぐるは未経験なのです」
「お手柔らかにお願いいたしますね」
 おばさんは僕のお父さんとお母さんの言葉を無視した。
「ああ、まだ若い男が残っていて本当に良かった……」
 ブツブツと呟きながら、慣れた手つきで扉を開ける。
 その部屋の中央には、シーツの整えられた大きなベッドが置かれていた。
 僕は絶句した。
「早く服を脱いで、ベッドに上がって」
 命令されて、あえぐようにおばさんを見上げる。
「何……? 何なの?」
 友人達の見せてくれたポルノグラフィでは、確かに、行為は急に始まっていた。こんなシチュエーションのものも、確かにあった。これが普通なのかもしれないが、それでもあまりに唐突で、絶対勃起なんて絶対出来そうにない。
 固まってしまった僕を見て、おばさんは顔をしかめる。
「何をぼんやりしているの?」
「あの、あの、僕……こんなの初めてで……」
「初めてでも大丈夫。あたしが教えてあげるから」
「教える?」
「あたし、経験はあるからさ。ごちゃごちゃ言ってないで喜びなさいよ、あたしがあんたの子どもを産んであげるって言ってるんだから」
 そう言いながらワンピースを脱ぎ捨てたおばさんの目は血走っていて、とても正気とは思えなかった。
 おばさんは僕の顔をつかんで、嚙みつくように唇を合わせてきた。
「ほら、ね? 一緒に赤ちゃん作ろう?」
 生ぬるい吐息と共にぬるりと口元を舐められて、全身に鳥肌が立った。
 気が付けば、反射的に下着姿のおばさんを突き飛ばしていた。
 恐かった。
 それがどんなに失礼で、父親になるべき男の行為としてふさわしいものでなかったとしても、受け入れられない。気持ちが悪くて仕方がなかった。
 体を翻し、お父さんとお母さんのもとに戻ろうとしたが、髪をつかまれる。
「逃げないでよ!」
「やめて、やめてください」
 無我夢中で彼女の手から逃れ、なんとか扉のほうに向かおうとしたが、シャツの襟首をわしづかみにされ、ベッドのほうに放り投げられる。
「なんで……なんで嫌がるの!」
 なんで、と叫ぶおばさんの声は吠えるようだった。
 ベッドのへりに背中をぶつけ、転がり、助けを求めながら立ち上がろうとするが、足が震えて這いつくばるようになってしまった。
 その上に、おばさんが容赦なくのしかかってくる。
 乱暴な手つきで腰を抱えられ、ベルトのバックルに手を掛けられて、僕は恐怖のあまり絶叫した。
「やだやだ、来ないで!」
 もう、半狂乱だった。
 叫び声に、おばさんが背後で怯む気配がしたが、その反応を窺う余裕なんてなかった。手を振り回しておばさんを払いのけ、部屋の隅に寄ったが、それ以上、どこにも逃げ場はない。
「助けて、お母さん、助けて!」
 あまりに泣き過ぎて、呼吸がおかしくなった。
 息が出来ない。頭が痛い。
 えずいたせいで、先ほど口にした少量の水が、胃液といっしょに絨毯にこぼれた。
 死んでしまうと思ったその時、遠くから、脳みそを直接揺さぶるようなアラームが鳴り響いた。
 音を聞いた途端、こちらを覗き込むようにしていたおばさんが、慌てたようにその場から飛び退く。
 視界の端が黒く染まりつつある中、不意にパカリと、天井が開くのが分かった。
 開かれた空間のその先は、蛍光灯のような熱くて冷たい光に溢れている。
そのまばゆい光の中で、二つの目玉が浮かんでいた。
 そう、目玉だ。涙で視界は滲んでいたが、見えたものはそうとしか言いようがなかった。
 限りなく白に近い、水色の瞳。ヤギのように瞳孔は横に割け、餅のようにもったりとした瞼は青白い。
 そんな目がゆっくりと瞬きながら、こちらを凝視しているのだった。
 目玉の浮かぶ光から、何かがにゅっと部屋へと落ちて来た。
 指だ。先っぽが少しだけ膨らんだ形をした、指。
 完全に部屋の中に入り、全貌が見えた時、それは真っ白な手であると認識出来た。
 そして、その手は僕の体をつかみ、そっと空中に持ち上げたのだった。
 体があの光に包まれるのが分かる。
 到底現実ではあり得ない状況にもっとパニックになってもおかしくはなかったのに、手が体に触れた瞬間、言いようのない懐かしさを覚えた。ほのかに体温の感じる手は、消毒液とバラの香料を混ぜたようなにおいがしている。
 それは久しく感じていなかったもので、でも、どうにも慣れ親しんだものには違いなくて、気付けば僕は叫んでいた。
「お母さん!」
 皺のよった、ぶよぶよとした感触の指に縋りつき、僕は泣いた。
 すると、オパールのような虹色の光沢を持った爪の先が、僕の頭を優しく撫でたのだった。
 それは化け物だと頭では分かっているのに、本能の部分ではどうしようもなく安心して、僕はそのまま気を失ってしまった。

*     *     *

 目を覚ました時、僕は自分の部屋のベッドで横になっていた。
 お父さんとお母さんは、心配そうな顔で僕を覗き込んでいる。
「すぐる」
「大丈夫? 気持ち悪くはない?」
 何か言おうとしたが、喉が塞がれたように声が出ない。
「怖かったね。お母さん達が悪かったね」
 お母さんはそう言って、僕を抱きしめてくれた。
「びっくりさせちゃったね。もう、大丈夫だからね」
 頭がぼんやりする。
 小さい頃は、よくこんなふうにお母さんにだっこされていたっけ。
 ぎゅっと、お母さんを抱きしめ返す。
 ――消毒液と、バラのにおいがした。

*     *     *

 それから、お見合いの話はなかったことにされたようだった。
 三日後から再び学校に通い始めたけれど、友人達は全くお見合いについては触れてこなくなった。
 相変わらず「子どもを産める年齢だ」という言い回しは出てきたけれど、無理やりポルノグラフィを見せつけてくるような真似はせず、お母さんとお父さんがそうしたように、まずは僕が元気になるのを優しく見守ることにしたらしい。
 誕生日の前にそうしていたのと同様、放課後は友人達とサッカーボールを追いかける日々だ。
 そうしていれば、いずれあの日のことを思い出さずに済むんじゃないかなんて、甘い期待を抱いていた。
 でも、無駄だった。
 いつも通りの学校生活に戻ったはずの僕は、しかしあれ以来、これまで普通だと感じていた日常に違和感を覚えるようになっていた。
 たとえば、お父さんとお母さん、そして、友人達の見た目だ。
 初めてあのおばさんを見た時、僕は彼女を“複雑”だと思った。
 ――自分と同じように。
 僕の虹彩は焦げ茶色で、細かい模様が入っている。
 まだ髭は生えてこないけれど、口元には薄い産毛があって、ほっぺたには小さなニキビが出来ていた。
 それらはいずれも、周囲の人間には見られないものだ。
 僕は小さい頃、自分が少し変わっているのではないかと悩んでいた時期があった。なんとなく見た目も変だし、周囲の人となじめない感じがあったのだ。
 でも、お父さんもお母さんも友人達もそんなことを全く気にした様子がなかったので、そういうものだと無理やり納得していた。自分は普通だ、何も変なことはないのだ、と。
 でも、あのおばさんを見て気付いてしまった。
 僕はやっぱり、皆と少し違っている。
 僕も彼女も、他の人より“複雑”なのだ。
 それは裏を返すと、僕達に比べ、お父さんもお母さんも友人達も学校の先生も、どこか“のっぺり”している、ということだった。
 思い返せば、あのおばさんとは、話がやたらと嚙み合っている気もした。
いきなりあんなことになって恐かったし、ろくに会話なんか出来なかったというのに、それでも、容易にコミュニケーションが出来ていると感じたのだ。
 僕の知っている、他の誰よりも。
 それに気付いてしまえば、違和感はいよいよ強くなっていった。
 お父さんもお母さんも友人達も、僕の言葉にはちゃんと言葉を返してくれる。でも、何度同じ言葉を繰り返しても微妙に話が通じない場面もしばしばあった。一発で僕の言葉を正確に理解していたおばさんを思うと、それまで普通にしていた会話が、妙にまだるっこしくなってしまった。
 挙句、彼らの瞳が真っ黒で、単純なつくりをしていると確認してしまえば、これまで通りの対応は出来なくなる。
 健康的な人間にあるまじきことに、あんな、おそろしい行為をしてきたおばさんよりも、親しくしてきた人々のほうが、何だか遠く感じられるようにまでなってしまったのだ。
 気になることはもう一つあった。
 あの、お見合いを中断した「手」のことだ。
 僕はお見合いの最中に過呼吸を起こして気絶し、家に運ばれたのだとお父さんから説明を受けていた。おかしなものを見たのは、過呼吸のせいで見た幻覚なのだと思い込もうとしていた。
 でも、過呼吸で見た、ただの幻覚だったはずのそれに、僕は見覚えがあったのだ。
 まだ小さい頃の話だ。
 当時は、二階に自室を与えられたばかりだった。ベッドで横になった後、どうしても水が飲みたくなって、自室から台所に下りた。台所にはまだお母さんがいたので、驚かせてやろうと思って隠れると、不意に、お母さんがフローリングで逆立ちをした。
 そして、その皮が“裏返る”のを見た。
 天井に向けられたスカートがずるずると床に向かってめくれ、しゅうううう、と深い息を吐くような、空気の抜けるような音を立て、笑顔のまま顔がしぼんでいった。
 目の部分がずるりとたわみ、皮膚がハリを失い、スカートが落ちるのと同時に、中身が露出する。
 出てきたのは、お母さんの体ではなく、巨大な白い手だった。
 天井から差し込まれた手が、まるで手袋を脱ぐかのように、お母さんの皮を脱いだのだ。
 何が起こっているのか分からずに呆然としていると、ふとその手が動きを止め、ぎょっとしたように震えた。
 それから、僕のほうに手が迫って来たところまでは覚えている。気が付いたらベッドの上だったので、これまではただの怖い夢の一つとして、すっかり忘れてしまっていた。
 だが、僕の周囲の人達への違和感が募る中で思い出した今、もはや無視は出来なかった。
 怖い夢を見たと思っていたが――あれは、本当にただの夢だったのだろうか?

 ひと月以上経っても、お見合いは僕の中でなかったことになど出来なかった。
 あんなに恐い思いをしたというのに、気付けば、僕はあのおばさんのことばかり考えるようになっていた。
 なんとかして忘れようとしたのに、どうしてもお見合い前の僕には戻れなくなっていたのだ。
 このままではいられない。
 
 自室で、僕は裸になって鏡の前に立った。
 じっくり見回したその姿は複雑で、やっぱり、あのおばさんと同じなのだった。
 鏡をぺたぺたと触り、息を吐く。
 僕は覚悟を決めて服を着て、二階の自室から一階へと降りた。
 台所では、お母さんがいつも通り夕食を作っていた。
「お母さん」
「あら、どうしたのすぐる。もうすぐご飯ですからね」
「あのおばさんと――真理さんと、もう一度合わせてください」
 母は手を止めて、慌てたように振り返った。
「今、真理さんって言った? あの時はごめんね」
 まだ嫌な気分が残っているの、と訊かれて、首を横に振る。
「違うんだ。お願いがあるの。真理さんと、もう一度会わせてください」
「真理さん、怖かったでしょう。お母さん達が焦っちゃったね」
「違うんです。真理さんと、会わせて欲しいと言ったんです。会いたいんです、彼女と」
 何度も同じ言葉を繰り返し、ようやくお母さんに意味が伝わる。
「……やっとその気になったのね? 今度は、もっとゆっくり仲良くなりましょうね!」
 嬉しそうなその様子に、僕は猛烈な虚しさを覚えたのだった。

*     *     *

 その翌日、前回と同じレストランで、早々にあのおばさんと会うことになった。
 今度は、おばさんが先に席についていた。両隣にはご両親と思しき年配の人がいて、固まったような笑顔を浮かべている。僕のお父さんとお母さんも同じような笑顔で、自分の席にさっさと腰を下ろした。
 彼女の姿を見た瞬間、一か月前のことがフラッシュバックして身が竦んだ。
 またあんな感じで迫って来られたらどうしよう、と思って身構えていたのだが、当のおばさんは、どこかきまりが悪そうだった。
 目も血走っていないし、大声も出さない。
 前回とは別人のような雰囲気に少し変だな、と思ったその時、おもむろに彼女は立ち上がり、僕に向かって深々と頭を下げた。
「先日は、本当に申し訳ありませんでした」
 突然の謝罪に呆気にとられる。
 白髪交じりの彼女の後頭部をまじまじと見つめているうちに、やっぱり同じだ、と僕は思った。
 ――しょんぼりとしている彼女を、もう怖いとは思わなかった。
「どうかお願いです。もう、あんなことはしないでください。あんなふうにされて、僕はとてもとても嫌でした。今でも、足が震えます」
「そう……そうでしょうね……」
「でも、僕はあなたとお会いした時、あなたと僕が、“同じ”だと感じたんです」
 おばさんは、出会ったあの日と同様に、強い視線を僕に返した。
 僕は唾を呑み込む。
「あなたが怖いのに、それでも、あなたに会いたくて仕方なかったんです」
 これは一体どういうことなんでしょう、と。
 それを聞いたおばさんの顔が、ふと歪んだ。
「……可哀想に。もしかして、今まで“同族”と会ったことが一回もなかったの?」
「同族――」
 小さく体が震える。心臓が跳ねまわって、背筋に冷たい汗が湧いた。
「僕の家族は、僕と、同族ではないのでしょうか……?」
 おばさんは僕に憐れむような眼差しを向けてきた。
 そして、穏やかな口調で、彼女の脇を固める両親らしき「人」に向かって話しかける。
「もういきなり襲ったりなんかしないから、この子と二人っきりにさせてくれない?」
 二人は困ったように首を傾げる。
「すぐるくんをあんなに怖がらせたんだからな」
「ちゃんと前回のことを謝らないとダメよ?」
「違う。それはもういいから、二人にさせて欲しいって言っているの」
「ちゃんと反省しているのか?」
「あなたはお姉さんなんだから、ちゃんとリードしてあげないとダメよ?」
 ――会話が、微妙に嚙み合っていない。
 今までは、これが普通だと思っていた。でも、このおばさんと――真理さんと改めて話をしてみた今、やっぱり何かが変だと思った。
 僕は立ち上がり、意を決して、自分から真理さんの手を取った。
 僕のお父さんとお母さんが、背後で嬉しそうな声を上げる。
「ああ、すぐるが、自分から真理さんに近付いていったぞ!」
「頑張るのよ、すぐる」
 うん、とおざなりに頷き、その足で、一か月前に死ぬような思いをした部屋へと移動する。
 ベッドに距離を取って二人で腰掛けると、真理さんは溜息を吐いた。
「あなた、今まで自分があいつらとは違う生き物だって、本当に気付かなかったの?」
 当然のように家族が自分と同族ではないという前提で質問され、僕は呻いた。
「……少しだけ、僕が変わっているのかなって思ったことはありました。でも、それにちゃんと気付いたのは、あなたとお会いしてからです」
「ああ、じゃあやっぱり、あいつらに人工哺育されてきたんだね」
 人工哺育という言葉に、どこかで何かが、パチン、とはまる感覚があった。
「彼らが人なら、僕らは何なのでしょう」
「人工哺育ってのは言葉のあやだよ。私達が人で、あいつらが違う何かなのかもしれないし」
「違う何かって?」
「さあ」
 あたしにもよく分からない、と真理さんは言う。
「でも少なくともあたし達の同族は、もうほとんど絶滅しちゃったんだと思う」
「絶滅――」
 真理さんの言葉を繰り返すしかない僕に、彼女は困ったような顔になった。
「もう死んじゃったけど、あたしは同族の両親に育てられたから、同族とそうじゃない奴の区別はちゃんとつくんだけどね。でも、あなたはきっと、赤ん坊の頃からあいつらに育てられただろうから……」
 初めて“同族”である真理さんに会って、ようやく自分の周囲の違和感に気付いたのだろうと彼女は言う。
「あなた、この町から出たことはある?」
「いえ」
 お父さんとお母さんからは、町の外に出てはいけないと言われていたし、僕自身、出てみたいだなんて思ったこともなかった。
「この町は、全部あなたを育てるために作られたんじゃないかな」
 出ようと思ってもここから出ることは出来ないし、出られたとしても、そこに自分達の同族はどこにもいない。あたしが来たところもそうだった、と真理さんは淡々と語る。
「あたしの親の、そのまた親の親が生きていた頃はね、あたし達の同族はもっといっぱいいたんだって。こんな小さな作り物の町じゃなくて、大きな世界が丸々あたし達のものだったって言ってた」
 だが過去に「何か」があって、同族は消え失せ、住処はなくなってしまった。
「……多分、あたし達が最後の生き残りなんだと思う」
 小さな声で言い、真理さんはうつむいた。
「あいつらはね、何とかしてあたし達を増やそうとしているみたい。あたし達がなるべく普通に生活出来るように、わざわざ昔あった環境を再現して、あたし達の同族の真似をしているの。両親は、気味が悪いと言ってたけど」
 あたしも苦手、と真理さんは弱々しく苦笑する。
 悪い夢を見ているような、しびれたような感覚だった。
 だが、世界が作り物だと言われても、僕は自分でも意外なほどにショックを受けていなかった。腑に落ちることがあまりに多くて、ああ、そうだったのかと、長年のささやかな違和感の積み重ねが氷解していく快感すらあった。
 何も言わない僕をどう思ったのか、真理さんは説明を続ける。
「いまいち分かってないみたいだから言うけどね。この『お見合い』って、本当はあたし達のペアリングだったんだよ」
「ペアリング?」
「あたしと君を無理やり番わせて、新しい子どもを産ませたいって、あいつらは考えてんの」
 返す言葉もない僕に、真理さんは自嘲するように笑う。
「あたし、君と会う前にも一回ペアリングして失敗してるんだ。十六歳になったばかりの頃のことだけど、相手がもう、ずいぶん年を取ったおじいちゃんでね。その人自身は悪い人じゃなかったんだけど、男性器が使いものにならなかったから、変な薬を飲まされて無理やりセックスさせられたの。そのせいか知らないけど、彼、すぐに死んじゃった」
 その次があなたみたいな子どもなんだから、やっぱりもう、他にろくな同族は残ってないんだろうなあ、と真理さんは呟く。
 その言葉の生々しさにぞっとすると同時に、前回と今回の真理さんの態度の違いにはたと気付く。
「もしかして、前にお会いした時は――?」
「そう。あたしも、同じような薬を飲まされてたの」
 そろそろ普通に妊娠が出来るか怪しい年だからね、とそう言った時の表情は、どこか寂しそうだった。
「まあ、そういう薬だって分かって飲んだんだから、被害者ぶるのはちょっと違うよね。あたし、どうしても自分の子どもが欲しくて、子どもが産めるなら薬くらいいくらでも飲んでやるって思ってたからさ」
 でも君が泣いているのを見て我に返ったよ、と囁くように言う。
「君こそ、まだほんの子どもじゃないかって気付いて、あたしったら何やってんだろうって愕然としちゃった……。あんなことするつもりじゃなかったんだよ、本当に。自分でも、最低なことをしたと思う。恐がらせちゃって、本当にごめんなさい」
 再び深く頭を下げる彼女に、僕は慌てて首を横に振った。
「いえ。それはもう、いいんです」
「優しいんだね」
「誰も、悪気があったわけじゃありませんから」
 その「誰も」に、同族ではない彼らも含まれていることを察したのか、真理さんは怪訝そうな顔をした。
「あいつらの正体を知った今も、あいつらのこと仲間だと思ってるの? 昔いた同族達の言葉を、それっぽく繰り返しているだけで、本当はあたし達が何を言っているか、全然分かっちゃいないのに」
「いえ。僕を育ててくれた“何か”が、僕の言葉を全然分かってない、ということはないと思いますよ」
 少なくとも、完璧ではないが、僕の言いたいことをある程度分かってくれていると思う。
 真理さんとぽんぽん話が通じている今、これまでの会話がスムーズだったとはとても言えなくなっていたけれど、それでも、意思の疎通はそれなりに取れていた。
「……君、あいつらにすごく可愛がられて育てられたんだね」
 真理さんは、僕の言い分に呆れ半分、感心半分、といった様子だった。
「前回、あたし達のペアリングを失敗した時、あいつら、慌てて助けに入ったよね。普段は絶対姿を見せないようにしているのにさ。あたしだってああいう姿を直接見たのは、これまで二、三回しかないよ」
「僕は小さい頃に一度、お母さんの本当の姿を見たことがあります」
 やはりあれは、現実だったのだ。
「全部、パペット(手人形)だったんですね……」
 僕の家族も、友達も、みんな。
「こんなとんでもない話をされたのに、あなた、随分落ち着いているよね。怖くはないの?」
 真理さんに訊かれて、僕は一瞬口を噤み、首を横に振った。
 お母さんもお父さんも友人達も、同じ“人間”ではなかったのだと思えば確かに悲しい。だからと言って、自分を育ててくれた事実が変わるわけではないのだ。
「……その正体が何であれ、僕は愛されて育てられたと思っています」
 もしかしたら彼らに対する違和感が少ないのは、「人工哺育」して来た分、僕を育ててくれた“何か”は僕をよく分かっていて、真理さんの場合よりも会話が成立しやすいのかもしれない。
 家族や友人達をその手で演じて、僕が助けを求めれば救い上げてくれた、「お母さん」。
 正体が飼育員のようなそれだと知らされても、怖がったり、憎んだり恨んだりする気持ちには到底なれなかった。
「そう。あんたにとって、アレは今でも親なんだね」
 僕を見る真理さんの目は、どこか遠くにあるものを見るかのようだった。
「じゃあ、これからどうする? あいつらの期待に応えて、あたしと子作りしたいって思う?」
 挑発するような言葉だが、なんとなく本気でないのは感じられた。それどころか面白がっているような彼女を見つめ返し、僕は急に泣きたくなった。
「たとえ、真理さんと『お母さん』がそれを望んでいたとしても――今ここで、そういうことをするのは、やっぱり変だって思うんです」
 僕の同族を増やそうとしている「お母さん」達は、僕達が無事に子作り出来るかどうか、今も固唾を呑んで見守っているのだろう。
 彼らを嫌いにはなれない。育ててもらったことにも感謝している。薬のせいでおかしくなっていただけで、真理さんも、きっと本来は優しい女性なのだと思う。

 それでも、ここで言いなりになるのだけは、絶対に嫌だと思った。

 自分でも、どうして急にそんな風に思ったのかは分からない。分からないけれど、死んでも奴らの思い通りになってやるもんか、という怒りにも似た強い感情が生まれていた。
「ごめんなさい真理さん。僕、真理さんの旦那さんにはなれません」
 少しはがっかりするかと思ったが、彼女は楽しそうに笑っただけだった。
「君にそれを求めるのは酷だよねえ。あたしも、なんだか気が抜けちゃった」
 そう言って、ベッドの上に大の字に寝転がる。
「あーあ、結局、子どもは無理かぁ……」
 ごめんなさいと再び謝ったが、それには答えずに、真理さんはじっと天井を睨んでいる。無言のままだった彼女は、しばらくして視線を動かさないまま呟いた。
「あたしが子どもを欲しいと思ったのはね、世界にひとりぼっちになるのが寂しかったからなんだ」
 世界にひとりぼっちは辛い。
 本当にそうだな、と僕は思った。
 僕を大切に育ててくれた「お母さん」は、それでも僕の同族ではないのだ。
「僕も、その気持ちは同じです」
 言ってしまってから、ふと、思いついたことがあった。
「あの、さっきの今でこんなお願いをするのはアレなんですけど、僕達、お友達として一緒にいることは出来ないんでしょうか……?」
 それを聞いた真理さんは目を剥いて、「友達!」と叫んだ。それから、けらけらと声を上げて笑いだした。
「そうかそうか、友達かぁ。そういう言葉もあったねえ」
 すっかり忘れてたよ、とひとしきり笑ってから、彼女は涙をぬぐう。
「そうだね、いいよ。あいつらがいつまで許してくれるか分からないけど、出来る限り一緒にいようか」
 ――友達として。
 僕は頷き、思いきって、真理さんの隣に飛び込んだ。
 ベッドのスプリングがトランポリンみたいになって、真理さんの体が勢いよく弾む。ぎゃあ、と叫ぶ真理さんが面白くて僕が笑うと、仕返しに脇腹をくすぐられてしまった。
 子どもみたいにじゃれあい、馬鹿みたいに笑いあう僕らに、見守っている彼らは困惑しているんじゃないかって気がしたけれど、そんなの構うものかと思った。
 何せ僕と真理さんは、この世で唯一の友達なのだ。

プロフィール
阿部智里(あべ・ちさと)

1991年生まれ、群馬県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少受賞。14年、早稲田大学大学院文学研究科に進学、17年、修士課程修了。デビュー以来、「八咫烏シリーズ」を7冊刊行し、累計130万部を突破。同シリーズのコミカライズも好評発売中。19年、最新長編小説『発現』を上梓。20年9月、「八咫烏シリーズ」最新作『楽園の烏』を刊行予定。
※『発現』特設サイトはこちら
※「八咫烏シリーズ」公式サイトはこちら
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