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崩された密室トリック。いまだ残る謎は容疑者のアリバイと動機――中山七里「彷徨う者たち」

本がひらく
本格的な社会派ヒューマンミステリー『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く、「宮城県警シリーズ」第3弾。震災復興に向けて公営住宅への移転が進む仮設住宅で発生した、殺人事件。完全犯罪と思われた密室トリックの謎は関係者ならば知り得る手口で“抜け穴”があったことがわかる。容疑者候補が絞られるも、決め手に欠く笘篠と蓮田だった――
※当記事は連載第11回です。第1回から読む方はこちらです。

 翌々日の捜査会議で笘篠が〈ヤマトハウス〉の高橋からレクチャーされた内容を発表すると、普段冷静沈着であるはずの東雲が珍しく声を弾ませた。
「死体を放り込んでから密室を作る。ふむ、その手があったか」
「高橋さんの話によると、採光窓が二重構造になっているのを知った上で取り外すのは素人では無理とのことでした」
「確かなのか」
「自分で試してみました」
 事もなげな返事だったが、東雲をはじめとした出席した捜査員たちの間に微かな動揺が広がる。驚いたのは蓮田も同様だ。笘篠の生真面目さは承知していたが、自分で実験していたのは初耳だった。
「住宅展示場にあった仮設住宅を使わせてもらって、ずぶの素人に採光窓の取り外しが果たして可能なものかどうかを検証してみました」
「どうだった」
「屋根材は嵌め込み式になっていてコツさえ摑めれば簡単に外せるとのことでしたが、これだけで二十分以上かかりました。窓枠を固定しているLアングルという金具と野地板に至ってはお手上げでした。熟練した者のサポートがなければどうしようもありませんでした」
 無骨ながら笘篠の言葉には信憑性がある。東雲は納得したように頷いてみせた。
「つまり犯人は建設業者、もしくはかつて建築関係の仕事に従事した者である可能性が濃厚ということになる」
「犯行時、明かりの乏しい中での作業になるし、しかも目撃されないためには短時間で終わらせなければなりません。現場は撤去作業中だったから梯子や脚立といった道具を調達できたにしても、即座に対応できるのは経験者くらいかと思われます」
「ますます素人には無理な仕事か」
 東雲は再び頷くと捜査員たちに向き直った。
「鑑取りで被害者掛川勇児の背後関係を洗っているが、現在に至っても犯罪に結びつくようなものは浮かんでいない。目先を変える。掛川は役場の建設課に所属していた。仕事柄、彼に接触していた建築関係者は少なくないと思われる。その全員の交友関係とアリバイを洗う」
 思いきりのいい判断だと思った。鑑取りは被害者の背後関係から動機を探る作業だが、この際動機の解明よりは犯行の方法から容疑者を絞り込もうというのだ。
 捜査が暗礁に乗り上げつつある状況だったので、新たな切り口の提示は捜査員を鼓舞するに充分だった。
 捜査員たちが散らばる中、笘篠は迷う素振りも見せずに会議室を後にする。蓮田は慌てて追いかける。
「笘篠さん、どこに行くんですか」
「管理官の指示に従うのさ。建築関係者を調べる。まずはお前のお馴染みから当たってみようか」
「〈祝井建設〉にはもう行きましたよ。ちゃんと報告したと思いますけど」
「それでどうだった。何か目ぼしい動機なり被害者との接点なりが見つかったのか。地元では最大手の業者なんだろう」
 貢から聴取した内容は概ね笘篠にも伝えている。仮設住宅の跡地が再開発されるとなれば〈祝井建設〉のような地元業者が絡むのはむしろ当然であるが、関与しているとは明言されなかったことも報告した。ただしプライベートな話題で貢と口論になりかけた件については必要なしと判断して伝えていない。
「〈祝井建設〉は株式公開しているものの、決算報告が全面的に信用できるかどうか。同社の経営状況の実態が把握できません。祝井……森見貢の証言が裏付けできないのが痛いです」
「〈祝井建設〉の方面から攻めて手応えがないのなら別の切り口を考えるべきだろう」
 笘篠の言わんとすることはすぐに察しがついた。
「議員秘書としての森見貢、ですか」
「婿養子が再開発絡みで犯罪に関与しているとすれば、県会議員である義父が全くの無関係だとは逆に考え難い」
「まさか森見議員を直撃するつもりなんですか」
 すると笘篠は振り返って怪訝そうな顔を見せた。
「どうした」
「何がですか」
「実際はともかく、刑事相手に自分の秘書までしている娘婿を悪しざまに喋るものか。不平や不満があっても黙っている。本気で疎ましく思っているなら尚更だ」
 言われてみればその通りなので、蓮田は恥じ入る。通常なら当然に思いつくはずの常識がすっかり思考から吹き飛んでいた。
「悪い噂を訊きたかったら、そいつの敵方に尋ねるべきだ。もう県庁では予算特別委員会が始まっている頃だ」

 宮城県議会庁舎は県警本部庁舎と目と鼻の先にある。笘篠と蓮田は五階大会議室に向かう。
「まさか捜査で県議会の質疑を傍聴する羽目になるとは思いませんでした」
「予算特別委員会の模様はネットや地元のテレビ局が中継しているから、与党側も野党側も有権者にアピールするため、普段より質疑応答が激烈になる。質疑応答が激烈になるとどうなるか分かるか」
「いつもなら思っていても黙っていることが、うっかり口に出ます」
「そうだ」
 理屈は分かるものの、では笘篠がどの議員に注目しているのか、この時点では皆目見当もつかなかった。
 大会議室のドアを開けると質疑の最中だった。笘篠と蓮田は空き気味の傍聴席に潜り込む。
 笘篠のことだから事前に調べていたのだろう。議長席前の演壇には森見善之助が、対面演壇には女性議員が立っていた。
「森見善之助に質問しているのは野党側の会派に所属している照前昭子(てるまえあきこ)だ」
 議員の顔も名前も知らない蓮田は、笘篠の説明を聞きながら議員たちのやり取りを眺める。
『わたしが伺いたいのは本年度予算について復興事業費があまりに突出している事実です。これは年初に知事が出された財政運営の基本方針から逸脱するものではありませんか』
『森見善之助くん』
『えー、確かに予算額としては昨年度を大きく上回るように見えますが、予算全体が底上げされているのでパーセンテージとしては微増程度に留まっております』
『照前昭子くん』
『パーセンテージとしては微増と仰る。復興事業費としてはそうでしょうが、問題なのは復興事業費の内訳として仮設住宅跡地再開発の占める割合が八割を超えていること、またその再開発の詳細な内訳が一切示されていないことです。言い換えれば巨額の費用を未だ使途不明の予算に割り当てているという事実です。到底、健全な予算配分とは思えません』
『森見善之助くん』
『ただいま照前議員から、復興予算の多くが仮設住宅跡地再開発に占められているのはおかしいとの指摘がありました。私としては、質問された照前議員が本当に宮城県民であるかどうかを先に論議したい気分であります』
 人を食ったような答弁に、照前議員は満面朱を注ぐ。
『あの震災から七年、我が宮城県は依然復興の半ばであります。ヒト、モノ、カネの全てが流出し、今も尚、元には戻っていない。ヒト、モノ、カネの流れをこちらに戻すためには新しい街作りが急務であります。最初に容れ物を作ってからアクセスを充実させ、然る後に人を集める。これこそが再開発の肝要であり、復興への最短距離と言えます。言い換えれば再開発は宮城県民の悲願なのです。それを何故、同じ宮城県民である照前議員がお分かりにならないのか理解に苦しみます』
『照前昭子くん』
『容れ物さえ作ってしまえば自ずと経済は上向き、人が集まる。それは今やカビが生えたような箱モノ行政の典型ではありませんか。森見議員の価値観はアップデートというものがないのでしょうか』
 照前議員の演説に議場から野次が飛ぶ。十中八九、森見議員サイドからの声だろう。
『森見善之助くん』
『カビが生えたような箱モノ行政と言われ、私は以前に政権を奪取したものの非常な短命に終わった政党のキャッチフレーズを思い出しました。〈コンクリートから人へ〉でしたか。清新な響きと相俟(あいま)って人口に膾炙(かいしゃ)するのが早かったが、廃れるのも早かった。あのキャッチフレーズが日本経済を壊滅的にしたと言っても過言ではありません。地域活性化に必要だった公共事業を軒並み頓挫させ、雇用創出機会を破壊し逆に大勢の失業者を創出させたのです』
 議場から一斉に喝采が湧き起こる。反論の野次もあるにはあるが大勢の声に搔き消されてしまう。
『思えば東日本大震災が発生した時、政権を運営していた彼らがまともな復興対策をしていれば宮城県もこんな体たらくにはなっていなかった。公共事業にもう少し理解があれば、こんなにも復興が遅れることもなかった。同党に籍を置く照前議員にカビが生えただのアップデートがどうだの言われるのは大変に心外です』
『照前昭子くん』
『再開発事業に多額の予算が充てられているのは、森見議員のご身内に業者がいるからではありませんか。再開発事業を進める理由には利益供与が存在しているのではありませんか』
 一瞬、議場は水を打ったかのように静まり返る。だが直後に嵐のような怒号が巻き起こった。
「デタラメを言うなあっ」
「誹謗中傷じゃないか」
「証拠でもあるのか」
「演壇を降りろおっ」
『静粛に願います。森見善之助くん』
『通常であれば失礼極まりない発言ですが、照前議員はまだまだ議員経験が浅いので大目にみましょう。さて利益供与云々の話が出ましたが、前回の選挙で八人もの逮捕者を出したのはどこの会派だったのか、もう一度記憶を辿ってから発言していただきたい』
 再び喝采と野次が起こり、森見議員は勝ち誇った顔で演壇を降りる。対面する照前議員は痛さを堪えるような表情のまま演壇に立ち尽くす。
 傍聴していた蓮田は複雑な思いに駆られる。
 未曾有の大震災に見舞われた際、公共事業に消極的あるいは否定的だった前政権の復興施策はお世辞にも褒められたものではなかった。景気の低迷と失業者の増加という事情も手伝い、散々な呪詛(じゅそ)と罵倒を浴びながら政権はわずか三年の短命に終わった。大まかな背景と経緯は森見善之助が演説した通りだが、ではあの時に現政権が舵を握っていれば今よりも復興は進んでいたのだろうか。
 かつてどの時代もどんな政権も経験し得なかった災厄だった。政治の世界にifはない。現政権がどこまで被災地を復興できたかは想像でしかなく、森見善之助が照前昭子を謗るのはいささか一方的な気もするのだ。
 議長に促されて照前議員が降壇すると、笘篠は静かに席を立った。
「聴取相手が決まった。議員控室で待つぞ」

 笘篠と蓮田が待っていると、予算特別委員会の終了直後に照前議員が姿を現した。聞き役の笘篠が身分を明かした途端、照前議員はひどく意外そうに二人の顔を眺めた。
「二人とも傍聴席では見かけない顔だから何関係の人かと思ったら、まさか刑事さんだなんてね」
「傍聴人の顔をいちいち憶えているんですか」
「地元の報道関係者か、さもなければ地方政治に興味をお持ちの奇特な方々しか来ませんからね。言ってみれば常連さんたちです」
 照前議員の言葉には自虐的な響きがあるが、それが地方政治に対してのものなのか、傍聴席の常連たちに対するものなのかは判然としない。
「県警捜査一課の刑事さんなんですね。ひょっとして誰かの選挙違反を捜査しているんですか」
「いいえ、違います。公職選挙法違反は捜査二課の担当ですが、一課は主に強行犯を扱っています」
 照前議員は残念そうに肩を竦めてみせる。
「誰か選挙違反をした人間に心当たりがあるんですか」
「別に。県議会主流派の先生たちを二、三十人ほど逮捕してくれると大変助かると考えただけです」
「あまり穏やかな話ではありませんね」
「傍聴席でご覧になったでしょう。森見先生が束ねる主流派の数に比べて、ウチは議席がたったの三つです。議会での声の大きさは議席の数に比例するんですよ」
「確かに劣勢の感は否めませんでした」
「あれだけ数に開きがあると、委員会はただ報告をする場所に堕ちてしまいます。こちらが反対しようと疑念を持とうと、議案はどんどん可決されていきます。そういう無念が積もり積もると、つい他愛もないことを考えてしまって」
「議員三十人もの逮捕者を出す事件というのは他愛もない話じゃないのですけどね」
「ところで強行犯というのは強盗や殺人といった案件ですね。物騒さでは選挙違反の比じゃないと思うんですけど、わたしに何を訊くおつもりなんですか」
「森見議員の秘書に関してです。発言中に少し触れられていましたよね」
「ああ、あの婿養子のことね」
 照前議員はさらりと言ってのけるが、傍で聞いている蓮田の心中は穏やかでない。
「言われてみれば、確かに失言でした。何一つ証拠がないのに、あんな風に決めつけた言い方はまずかったな」
「証拠もなく公式の場で中傷したんですか」
「証拠はないけど、公共事業を推し進める県議会最大派閥の長と地元建設業者なんですよ。邪推するなという方が無理な話です。でも、あの秘書さんを出したのはちょっと後悔しています」
「何故ですか」
「だって、あんまり秘書さんが気の毒で。森見先生を糾弾することには何の躊躇いもないけど、あのお婿さんを引き合いに出すのはねえ」
「彼が政治家ではないからですか」
「あら。議員秘書になった時点で政治の世界に両足を突っ込んでいるんですよ。あのお婿さん、ええと、名前は何だったかな」
「森見貢、旧姓は祝井です」
「そうそう、貢さん。あのねえ、刑事さん。政治の世界で議員秘書がどんな立ち位置にいるのかご存じですか」
「議員の影として付き従うイメージがあります」
「影、ねえ。間違ってはいないけど正確でもない。時には相棒、時には母親。時には友人、時にはメモ帳。そして時には尻拭い役で、詰め腹を切らされる役。議員によって扱いが変わる場合もあれば、秘書の資質によって役割が決まる場合もある」
「森見貢はどうなんですか」
「あれは絶対服従の使用人みたいなものね」
 事もなげな口調だったが、蓮田の胸を刺すには充分だった。
「スケジュール管理や面談のセッティングは当然として、関係各所との連絡、応対、文書作成、資料・情報の収集と整理、会議やパーティーの準備、来客の接待から経理的な事務、それから」
「まだあるんですか」
「昼食の手配、健康管理、事務所備品の買い出し、加えて運転手」
 貢が森見議員にこき使われているさまを想像すると憤りを覚える。確執が解消されないまま今に至るが、兄弟同然に育った者が顎で使われているのを聞けば、やはり腹が立つ。
「だけど森見先生の場合はまた別の面倒があって……あの、これはあくまで噂話なんだけど」
 一瞬、照前議員は気まずそうに顔を曇らせる。
「噂話で結構です」
「もう一つ。わたしは党派や政策において対立関係にあるけれど、先輩議員としての森見先生をとても尊敬しています。それは、はっきり申し上げておきたいです」
 何やら言い訳めいた物言いなのは、県会議員の肩書に後ろめたい気持ちがあるからだろう。逆に言えば、肩書に背いてまで部外者に語りたい意識を隠しきれていない。笘篠は相手の内心を見透かしたかのように、無表情のまま頷いて先を促す。
「森見先生が震災で奥さんを亡くしたのは知っていますか」
「ええ、議員名簿のプロフィール欄で拝見しました」
「その翌年くらいから、森見先生の控室には素性の分からない女性が出入りするようになったんです。それも毎回のように違う女性が」
 陰険な口調で、訪問したのが商売女らしいと察しがつく。
「盲点ですよね。ホテルで密会を続ければいつかマスコミにスクープされる惧(おそ)れがある。今の雑誌は政治家のプライベートにも遠慮なく首を突っ込んできますから。不思議な話、マスコミ関係者は議場を取材しても議員の控室までは追ってこないんですよね」
「まさか議員控室がそうした用途に使用されているとは想像もしないでしょうから」
「もう独身なので、複数の女性と関係を持ったとしても倫理的に問われないとお思いですか」
「一般市民が風俗遊びをするのとは同列にできないでしょうね」
「県会議員の品格の問題です。第一、公共施設の一室をホテル代わりにするなんて言語道断じゃないですか」
「しかし表沙汰にはならない」
「議会最大派閥の領袖だから、皆黙っているんです。別に法律を犯している訳じゃない、男やもめじゃ仕方がないって、いったい今は昭和なのかと思います。女性を性的搾取の対象としか認識していない」
 それから照前議員は延々と男性議員の認識不足を論(あげつら)った後、こう告げた。
「惨めなのは秘書さんでね。森見先生が女性と睦まじくしている最中、控室の前で見張りをしているんですよ。間違っても報道関係者が迷い込まないように、こう、直立不動で。県議会に身を置いている人たちは事情を知っているから、控室の前を通る時も見て見ぬふりをするんだけど、その時の秘書さんがホントにキツい無表情をしていて。そりゃそうよね。ドア一枚の向こう側で義理の父親がとっかえひっかえいかがわしい行為をしていて、自分はその見張りをさせられているんだから無表情を決め込めなきゃ、やってられない」
 蓮田は居たたまれなくなる。『絶対服従の使用人』という意味が、嫌になるほど理解できた。
 控室の前で立ち続ける貢の姿を思い浮かべると我がことのように恥辱に苛まれる。雇用主というだけではなく義理の父親なのだ。本人の恥ずかしさと情けなさは想像するに余りある。
「そんな扱いを受けても、貢氏は尚も森見議員に付き従っているんですね」
「刑事さん、〈祝井建設〉の法人登記はもう確認したの」
「一応は」
「森見先生に関する噂はもう一つあってね。経営が思わしくなかった〈祝井建設〉の工場が津波で流されて、いよいよ倒産という憂き目に遭いかけた時、森見先生が相当な金額を援助したんじゃないかって。祝井貢さんが森見家に婿養子にきた時期とも符合するしね。〈祝井建設〉の役員の中に森見先生が名前を連ねているでしょ。あれは名実ともに〈祝井建設〉の生殺与奪の権を森見先生が握っている証拠。だからあの秘書さんは、どんな辱めを受けても森見先生の許を離れることはできない」
「絶対服従、ですか」
「右を向けと言われたら右、左を向けと言われたら左。もう使用人というより飼い犬と言った方が正確かも」
「周囲に同情する人はいないのですか」
「森見先生がそういう扱いをするものだから、後援会でもやっぱり飼い犬扱いされているみたい。後援会長なんて彼を顎で使っているなんて話も聞いている」
 思わず腰を浮かしかけた。
 貢はプライドの高い男だった。プライドが高いから、なかなか本音を吐かずに仮面を被る。義父からも後援会からも犬扱いされ、それでもきっと感情を押し殺して従属しているのだろう。
「わたしが森見先生の秘書さんについて話せるのはこのくらい。どうです。参考になりましたか」
「ええ、大変に」
「ところで刑事さん。まだ肝心なことを教えてもらってないのだけれど、あの秘書さんにはいったい何の嫌疑がかかっているの」
「申し訳ありませんが、捜査情報をお教えする訳にはまいりません」
「わたしからは訊くだけ訊いておきながらあんまりね。じゃあ質問を変える。捜査の結果次第で森見先生が失脚する可能性はあるの」
「やはりお答えできません」
「卑怯ねえ。まあいいわ。あなたたちの捜査が実を結ぶよう、陰ながら応援しています」
 控室から出た後も、しばらく笘篠は無言でいた。友人の受けた恥辱を蓮田がどう感じているのか慮(おもんぱか)っているようだった。
「俺のことなら気を遣わなくてもいいですよ。容疑者に友人もイワシの頭もありませんから」
「そうか」
 笘篠はぶっきらぼうに答える。
「だが、刑事には話せないことも友人には話せる場合がある。さっきも話が出たが、森見善之助は〈祝井建設〉の役員でもある。〈祝井建設〉が大型公共事業を受注して利益を上げれば、その一部は正当な役員報酬として森見善之助の懐に入る。報酬額は誰が決めると思う」
 森見善之助が〈祝井建設〉の経営権を握っているとすれば己の報酬額など、どうにでも操作できる。再開発事業の許認可を弄(いじ)れる者が随意契約で請負業者を決め、最終的な利潤を我がものとする。単純な錬金術だ。
「貢は疑惑を否定しましたよ」
「照前議員の話を聞く前と聞いた後では状況が変わってこないか」
 言われてみればその通りで、蓮田は貢が実家の利益を目論んでいると考えていた。だが森見善之助が私腹を肥やすために貢を動かしていると想定すれば、別のかたちが見えてくる。
「吉野沢の仮設住宅が計画通りに撤去できれば、その分再開発事業がスムーズに進行する。掛川勇児の殺害がどう絡んでいるか現時点では不明だが、採光窓の取り外しの件を考え合わせるとお前の友人に対する疑惑は晴れるどころか、ますます濃厚になる」
 蓮田はひと言も言い返せなかった。

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プロフィール
中山七里(なかやま・しちり)

1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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