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連載 シン・アナキズム 「ねこと森政稔」第1回

政治思想史家の重田園江さんによる好評連載「アナキスト思想家列伝」第8回! あらためて注目が集まっているアナキズム思想の現代的可能性をビシバシと伝えていく連載です。今回は3人目として日本の現役の思想家を取り上げる待望の回「ねこと森政稔」の前半です!
※これまでの各シリーズは下記よりお読みいただけます。
 「序 私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」へ
 「ジェイン・ジェイコブズ編」の第1回へ
 「ヴァンダナ・シヴァ編」の第1回へ

駒場のねこたち

 去年の秋のことだ。ミネルヴァ書房から本が送られてきた。送り主は森政稔。あれ、本を出すなんて聞いてないけど、と包みをビリビリ破ると、中から『猫と東大。』なる本が出てきた。「あっ、すごい」。表紙はおそらく、あとで森政稔との2ショット写真を載せるミレちゃん(現在推定14歳)だ。
 この本には、ねこ好きやねこ飼いの東大の先生たちが出てきて、ねこの魅力をさまざまに伝えている。本郷のねこ、教員たちの飼いねこ、世界のねこ、そして研究対象としてのねこなど。いろんなねこちゃんたちの写真がたくさん載っていて、眺めているだけでニンマリしてしまう。そのなかでも燦然と輝く名文が、森政稔が2005年に書いた、駒場の愛されねこへの追悼文「さよなら、まみちゃん」である。もともと駒場の『教養学部報』に書かれた文章だが、あまりの抒情性に涙を抑えきれない読者も多く、長く語り継がれてきた。これが再録され、また森政稔とミレちゃんとのキラキラ写真を見られるだけでも、2200円(税抜)のこの本は買うに値する。
 まみちゃんは、長く駒場でかわいがられた美しいねこだった。かつて駒場にはたくさんのねこがいて、とくに昔の生協食堂あたりのベンチは、座っていると勝手にねこが膝に乗ってくる、無料野外ねこカフェ状態であった。1990年代のことだ。私が駒場で大学院生活を送ったのは1992年から1997年あたりで、このころはいくつかの場所にテリトリーを持つねこのコロニーが別個に存在していたと思う。9号館周辺を根城としたまみちゃんは、正門から遠い2号館方面にもちょいちょい出没していた。ここは森政稔研究室と、私が所属した相関社会科学専攻の大学院生室があり、また9号館近くには教養学部図書館があったので、まみちゃんを目にする機会は多かった。
 まみちゃんは、とても美人だった。「ふわふわっとした純白の体に、赤みがかったグレーの顔と縞模様のしっぽ。きりっとした眼差しに上品な美貌」[※1]。まみちゃんの毛の具合はことばでは言い表しにくいが、普通の三毛ねこなどと違い、少しもやがかかったようなふわふわした色で、シャーベットカラーとでも表現すべきその曖昧な色味が、美しい顔立ちを引き立てていた。「今でもまみちゃんがひざのうえに乗ってくるときの、うにゃ、とした気持ち良い感覚が残っています。まみちゃんの死は天寿を全うしたので仕方がありませんが、このようなすばらしいねこに出会うことはないかもしれないという気にもなります。……本人には聞けませんでしたが、まみちゃんはたぶん幸せなねこでした」[※2]。
 まみちゃんとの切ない別れを経験した森政稔は、しかしその後もねこの世話をつづける。世の中に「地域ねこ」という概念が浸透し、生まれてすぐにカラスに食われて死んでしまうような子ねこを減らすためにも、ねこを見守る人たちの手で避妊手術がされるようになった(大学院生、獣医さん、職員、近隣住民が協力したという)。そのため今では、駒場のねこたちの数はめっきり減っているらしい。現在森政稔といちばん仲がいいねこは、写真のミレちゃんだが、他にもミレちゃんの子孫のチャッピーや「乱暴ねこ」のミロなど、何匹かのねこたちが駒場を闊歩しているようだ。

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ミレちゃんと森政稔。ご覧のとおりの猫背。ミレちゃんは足先だけ白いのが靴下を履いているようで、少しカギ尻尾なのも魅力的。

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森政稔の足元で香箱(こうばこ)座りをするミレちゃん。暑くなってきたのでかなり毛が抜けていた。全身に毛があるから暑そう。

ねことアナキズム

 シン・アナキズムとねこに何の関係があるの、と思われたかもしれない。まず、アナキズム、とりわけアナルコ・サンディカリズム[※3]のシンボルとして黒ねこが使われていることは有名だろう。おおざっぱに言ってしまうと、社会運動においてしばしば「犬」は悪い意味で使われ、雇主の御用組合は「黄色い犬」、組合外しの労働契約は「黄犬契約」などと言われる[※4]。これに対して、ねこは独立独歩、自尊心が強く決して群れない(群れて日向ぼっこや夜の会合などしているが、あくまで好き勝手な集まり)。まさにアナキズムに相応しいシンボルである。ドッグレースはできてもキャットレースはできない。ねこは古代エジプト時代からネズミを獲って重宝がられたようだが、それも人間のためではない。

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すごく人の言うことを聞かなそうなアナルコ・サンディカリズムのシンボルねこ。シカゴの労働組合運動家で、未来の労働者のために芸術と運動を結びつけたラルフ・チャップリン(1887―1961)が描いたもの。

 いま思いつく痛恨の例外は犬儒派(キュニコス派)で、彼らほどのアナキズム精神にはなかなかお目にかかれない。なのに犬とは! 猫儒派に変えてほしい。もっとも彼らは「野良犬」で、人の食べ残しを平気であさり、どこででも用を足すのが犬のようだと言われていた。尻尾を振ってクンクン鼻を鳴らす現代の飼い犬とは、別犬種ということになるだろうか。それで思い出したのが、『ジョジョの奇妙な冒険』の中でも人気の高いキャラクターである犬のイギーだ。イギーもまた、野性味を失わず誰にも媚びない犬だった。

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『ジョジョの奇妙な冒険 第3部 スターダストクルセイダーズ』第24巻145ページ、「愚者(ザ・フール)」のイギー VS ハヤブサのペット・ショップ(ホルス神) ©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社

 キュニコス派のイギー。その最期に号泣が滝になって収拾がつかなくなった人も多いだろう。それもこれも、イギーが物理的力で劣る相手にも屈せず、独立自尊と誇り高さを貫いたからだ。イギーありがとう。
 話が逸れたが、ねこは絶対に自分の嫌なことはしない。その分、察するに敏で、風向きが怪しくなると音も立てずにその場からトンズラしてしまう。そして気が向いたときだけ、相手の状態などお構いなしに、読んでいる新聞の上にひっくり返ってこっちを見てくる。パソコンのキーボードをめちゃくちゃに打ちまくって、勝手に文書を完成させる。人が寝ていると起こそうとして顔を舐める。うちの普通の三毛ねこエルちゃん(現在8歳)の常套手段だが、耳元で突然大きな声で鳴き、顔をベロベロ舐められたら嫌でも目が覚めますよ。ネコの舌はざらざらだから痛いし。そしてさんざん騒いで完全に人を目覚めさせた直後に、エルちゃんは一仕事終えた風情でぐーぐー寝ている。まったく恐ろしい生き物だ。これが人間にはツンデレにも見えるのだが(森政稔のねこ好きの理由の一つもそのツンデレっぷりだろう)、ねこにしてみれば、その時々に好きなようにしているだけなのだ。わがまま、気まま、独立独歩、つかず離れずの距離感。これがねこの生き様であり、実にアナキスト的と言わざるをえないところだ。

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普通の三毛ねこ、エルちゃん。ご飯を食べすぎてハウルの荒地の魔女みたいな見た目。

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このように変なところに座るのがねこの特性のようです。

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6匹のねこを飼うツワモノ、明治大学の同僚、髙山裕二家のねこたち。右からグラ、グリ、キキ、コボス。

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髙山家のねこ、ナカノさん。石垣島出身なだけあって、石垣カラー。

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髙山家のねこ、コトちゃん。もふもふ。

 ねこの七不思議を知りたい人は、『セトウツミ』[※5]を読んでみてほしい。ねこの胴が意外に長かったり、カブトムシみたいに引っかかって取れなかったり、窓の外の鳥に「うにゃにゃっ」と奇声を発したりすることが分かる。この漫画家のリアリズム画力はすごいものだが、とくにねこの描写は真に迫っている。瀬戸と内海が話している川沿いのなんだか分からない場所(Wikipediaによると大阪府堺市のザビエル公園)に現れる三毛ねこの「ニダイメ」は、つねに彼らの話に臨席している。けっこうシリアスで重大な展開があるときにも、ニダイメは黙って聞いているだけだ。しかしその存在はとても重要で、ねこを真ん中に挟んだ会話であるが故の独特の間合いが、この作品を素晴らしく抑制が利いた、なおかつパンチあふれるものにしている。そしてラストシーン。やっぱりニダイメか!(何を言ってるのかと思われる方はぜひ作品をお読みください)

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『セトウツミ』3より、亡きミーニャンに似ているから「ニダイメ」。©此元和津也(秋田書店)2014

焼きそばパンとお船の旅

 では、森政稔の方はどうだろう。もちろん、駒場のまみちゃんやミレちゃんにデレデレのただの人として森政稔を持ち出したわけではない。ミレちゃんたちとのつかず離れずの距離感はなんとも微笑ましいものだが、この人は、日本ではとても珍しい「アナキズムの政治思想」研究者でもあるのだ。

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森政稔(2021年7月撮影)

 森政稔は1959年、三重県(のたしか熊野方面の沿岸部)に生まれた。東京大学文科一類入学後、法学部政治学科に進級、そのまま大学院に進んだ(指導教授は佐々木毅)。1学年上に杉田敦や川崎修がおり、大学院では1つ上に川出良枝もいた。早稲田大学の齋藤純一も1958年生まれで、政治思想の世界では1958―59年生まれは大豊作と言われている。博士課程退学後、東京大学社会科学研究所助手を経て、筑波大学社会科学系専任講師となる。筑波で3年勤めたあと、「駒場」に呼ばれて東京大学大学院総合文化研究科で教えるようになる。駒場に移ったのがちょうど1992年ではないかと思う。ちょうどというのは、私が駒場の大学院に進学したのが92年だからである。そして、森政稔ぬきには、私は自分が政治思想の領域でやろうとしていること、やるべきことについて、おそらくきちんと言語化することはできなかった。その意味で、この出会いは決定的だった。
 森政稔はどちらかと言えば奇人の部類に入り、人によっては「仙人」とも形容するだろう。筑波大学を離れてかれこれ30年近く経ついまも、当時と同じ茨城県取手市の、本人曰く「団地」に住んでいる。コロナで対面授業が行われない間も、猫たちのご飯のために週に4日は駒場に通い、そこからリモート授業を発信している。フロム取手トゥー駒場である。私は大学院生の頃から何度も「引っ越した方が合理的だ」と進言したが、そんな理にかなったことを森政稔が聞き入れるわけがない。ただし、表立って私の(かなりもっともな)意見に反対したり、全否定して相手に不快感を与えたりはしない。猫のようにするりと人の忠告をかわし、今日も生きたいように生き、猫をなでなでしながら控えめに微笑むのだ。
 森政稔は長い間、私の勤務先である明治大学の和泉校舎で、法学部の自由科目(社会思想史)を教えてきた。亡くなられた柴田寿子さんが教えていた科目を引き継いだ形だ。私の所属は駿河台校舎なのだが、あるときゼミの売り込みか何かで和泉校舎に行ったら、売店近くの噴水のあるベンチのところで、秋の陽を浴びながら佇んでいる森政稔に遭遇した。ベンチ周りには枯葉がちらほら舞っていて、森政稔はまるでねこのように静かで幸福そうだった。思わぬ場所でばったり会ったので少し面食らったが、膝に何やら調理パンらしきものを載せた状態でぼーっとしている。かなりかわいらしい状況である。
 「それはなんですか」
 「焼きそばパンです」
 「焼きそばパンて食べたことがないんですが、美味しいですか」
 「そんなに美味しくありません」
 「どんな味がするんですか」
 「焼きそばの味とパンの味がします」
 さすが森政稔である。焼きそばパンなんだから、焼きそばの味とパンの味に決まっている。申し分のない答えだ。しかもそんなに美味しくないらしい。これを聞いた私は、いまも焼きそばパンを食べたことがないままだ。

11+★キャプションからクレジットをトル★

これが焼きそばパン。焼きそばの味とパンの味がするそうです。

 森政稔はまた、お船が大好きである。いつのころからか、会って話すと三分の二くらいはお船の話をしている気がする(もちろんこちらは何も知らないので「へーー」と言っているのみ)。お船といっても主題となるのは豪華クルーズ船のようなチャーター船ではなく、公共性の高い乗り物であるフェリーがメインで、あとは荷物を運ぶ貨物船である。国際貨物輸送の99パーセント以上を占める船舶が、なぜこんなに輸送機関として顧みられないか不思議だというのが、森政稔の持論である(国内輸送活動量〔輸送量に距離をかけたもの〕でも約44パーセントが船)。たしかに船は、渋滞も起こさず大量の荷物を一度に長距離輸送できる。環境負荷も飛行機と比べたら格段に小さいし、素晴らしい輸送手段だ。
 また、最近どうも鉄オタの方々は、ブームの過熱によって人数が増えすぎ、居心地が悪くなった人たちが船に移行してきているそうだ。鉄オタのマナーについてはあちこちで非難が巻き起こるが、それに嫌気がさした一部のファンが、まさに「ブルーオーシャン」であるフェリーへと乗り換えているらしい。鉄道から船に乗り換える(乗り物オタクだけに)と、その非三密さ加減に一様に歓喜するそうだ。
 森政稔にとっては、船に乗ることそのものが目的である。だからたとえば、最近就航した横須賀から新門司までを21時間かけて結ぶ「東京九州フェリー」に乗っても、横須賀から23時45分発に乗って翌日の21時に新門司に着き、そのまま新門司発23時55分発に乗って翌日20時45分に横須賀に帰ってくるようだ。私みたいな人間にはまるで分からない旅程を組んでいる。『阿呆列車』の内田百閒が、苦労して行った場所に泊まることを渋っていたのを思い出してしまった。他にも、新幹線に乗っていってすぐさま船で帰ってきたり、いろいろと謎の旅行をしている。もちろん森政稔にとっては謎でもなんでもなく、最も魅力的な旅程なのだろう。
 速さと効率の近代の発想からすると、旅行とは目的地に着いて観光するために行くのであって、途中の行程は飛ばせるものなら飛ばした方がいい。リニア新幹線の発想はその最たるもので、コナンの映画に出てきたとおり、東京-名古屋間の三分の一はトンネルになっている。景色を楽しんだりしないならその方が早くて便利だ(目下静岡県とJR東海が揉めているところ)。なんなら「どこでもドア」で世界各地に瞬時に行ければいいのに、と思っている人は多いだろう。しかし、旅に目的地がなければいけないということはないし、目的地が目的でなくてもいい。お船に乗って旅程そのものを楽しむ旅は、速さと効率と「意味」から解き放たれた、小さな脱近代経験ともいえるのだ。
 過程としての旅は、地球上のさまざまな場所が決して均質ではないという地理上のでこぼこと、時間もまた移動の在り方によって異なった陰影を帯びることを示してくれる。森政稔のルソー論にも書かれているとおり、近代のとば口に立ったルソーは、古代と近代、都市と田舎、発展する乗り物(当時は主に馬車)と徒歩旅行を行き来しつつ、非均質的な空間と時間のあちこちに身を置き、それらのはざまで思索した。
 またまたルソーが出てきてしまって、どんだけ好きなんだと思われそうだ。しかし、近代の内と外、文明の進歩とそれがもたらす退廃や貧困、つまり近代の光と影にいち早く勘づいた思想家として、やはりルソーは最重要人物なのだ。「ルソーは異なる空間のあいだを生き続けることによって、実在しながらそのいずれでもない〔古代でも近代でもない-引用者〕ような空間への想像力を作り出したといえよう」[※6]。
 18世紀は、フランスで王室財源による「幹線道路」網が作られはじめ、これが地方の道路網と接続し、移動のためのインフラ整備がさかんに行われた時代である[※7]。この頃形づくられた、早く、便利に、国中をつなぐという発想の延長上に、リニア新幹線まで来たのが近代社会である。その一方で、ピエール・リヴィエール(1815―40)の時代にも、殺人犯が1カ月間徒歩で600キロ移動しても捕まらないような、森と小道と集落が散在する世界が残されていた(毎日20キロ歩いたと考えると、昔の農夫って強壮だ)[※8]。そもそも世界は均質な空間とはほど遠いのだが、距離の感覚を移動時間からつかむのが常となっている現代人は、空間もまたそこを通り過ぎるのにかかる時間という単一の尺度で捉えることに慣れてしまっている。お船に揺られて長い旅をすると、そうした距離の感覚もまた相対的でしかないことを実感するのだろう。

政治思想史は、社会思想史・経済思想史とどう棲み分けてきたか

 森政稔のアナキズム研究は、なぜ重要なのか。ここには「政治思想史」という森政稔(および私)の専門分野と、アナキズムのイメージ、そして最近流行している人類学系のアナキズムとの違いが関わっている。以下、順番に説明していくことにする。
 「政治思想史」という分野は、聞き慣れない人も多いだろう。どんな人がそんな酔狂な研究をするのかと思われるかもしれない。とくに体系的な調査をしたわけではないが、日本では大学法学部の政治学科の中に、政治思想史関係の講座が置かれていることが多い。私のように政治経済学部の政治学科出身の場合もある。もっとも日本の大学で政治経済学部を置いているところはかなり少なく、研究者養成という観点からすると、私の出身である早稲田大学と現職の明治大学の政治経済学部政治学科が中心ということになるだろう。政治学という、学問方法論があるんだかないんだか分からない分野の中でも、政治思想史というのはやや特異な領域である。南原繁と丸山眞男といえばピンとくるかもしれない。そして女性研究者は悲惨なほど少ない。
 その政治思想史は、戦後日本では長きにわたって、社会思想史と経済思想史を隣接分野としてきた。たとえば私は政治思想学会と社会思想史学会に入っているが、それ以外に学会誌をしばしば参照するのは経済学史学会である。そしてどうやら、これら三分野には微妙な棲み分けができていたようだ。まず共通する点として、日本の近代の成り立ちの経緯から、これらの思想史はいずれも欧米の思想を主な研究対象としてきた。もちろん日本についての研究もあるが、それ以外の地域に関しては、現在に至るまで研究はきわめて手薄である。
 1980年代にポストモダンの地殻変動が起こるまで、社会思想史は日本独特のマルクス思想の浸透過程との関係で、19世紀以降の「マルクス主義成立・発展史」が主な研究対象であった。経済思想史の方は、17世紀の重商主義から18世紀の自由主義経済学成立期を経て、同時代に近い20世紀までの自由主義経済思想を扱うことが多かった。政治思想史はこれらの学問より扱う期間がはるかに長く、政治学のはじまりとして神話化されている古代ギリシアからを対象とする。そして古代ギリシアの政治共同体である「ポリス」が、政治学ということばの直接の起源であるという話が、必ずと言っていいほど冒頭に置かれる。
 政治学の古さと現在の社会科学の中でのその凋落ぶりを見比べると少し悲しくなるが、いま問題なのは政治思想史研究がいつ頃までを扱うかである。さまざまな理由があって、1980年代くらいから、政治思想の「通史」というのは簡便な教科書以外あまり書かれなくなった。そしてその頃までの政治思想史(政治学史)の記述では、はじまりは古代ギリシアで終わりはヘーゲルかマルクスになっていたと思われる。ただし、マルクスはどちらかといえばつけ足しのような扱いで(商品論や価値論は主題的に扱われない)、だいたいカントとヘーゲルあたりで終わっている感じになる。現在では、こうした時代区分にとらわれず、たとえばトクヴィルやアーレントなど、19・20世紀の政治思想家も人気があり、研究する人も増えている。だがこういう思想家たちも、たとえばアーレントのいう「労働」や「再生産」の領域に積極的に踏み込んでいくのではなく、むしろそれらの領域による浸食から政治に固有の領域を守ろうという構えを取っている点は共通している。
 つまり、政治思想史にとって労働や社会の問題は、それらが台頭することで政治の領域が脅かされるような、何らかの「異質なもの」「外部のもの」として扱われてきたということになる。この背後には、日本で偶然に起きた学問上の区分にかぎられない、もっと根本的な問題がある。
 近代政治思想の出発点には何人かの思想家が置かれてきた。そのなかで、ボダンとホッブズは、主権を定義しそれに沿って政治共同体のあり方を示した、代表的な政治思想家である。彼らにとって、主権のない状態とは国家のない状態である。そして国家のない状態とは無法状態に等しい[※9]。ホッブズにとっては、無法状態とは自然状態で、万人の万人による闘争、すなわちアナーキーの状態である。そして、アナーキーはきわめて危険で最も回避すべき状態である。無差別殺戮に他ならないアナーキーを回避するためには、国家を樹立しなければならず、社会契約によって立ち上げられた国家は、並ぶもののない権力=主権を有する。ホッブズは、ボダンの教え、つまり主権は決して分割されず一つでなければならないという命題に従っている。主権が分割されたらそれは必ず内乱を生み、アナーキーを招来するからだ。
 このようにして、アナーキーか分割不可能な国家かの二択を迫るのが、ホッブズ主権論の特徴となる。ところがこれに対して、同じ社会契約論者とされながら、ロックは別の考えを示している。ロックにとって、専制はアナーキーより悪いのだ。これについて森政稔は次のように言う。「ホッブズにおいてはアナーキーは何よりも避けられるべき悪として捉えられ、これとの対照においてはあらゆる善悪の質の差が消失したのに対して、ロックにあっては専制はアナーキーを凌ぐ悪であって、アナーキーの脅威を理由にした専制の正当化は否認される」[※10]。ロックにおいてこの顚倒がなぜ起こるかは、森政稔の論文ではおそらく紙幅の都合で書かれていない。だが次のように推察することができる。ロックには、(論理的に言って)政府樹立後の市民状態以前にある自然状態において、何らかの秩序が想定されている。これは、国家以前の「市民社会」や、労働価値説に基づく所有の秩序、あるいは政府への「信託」以前に存在する人間の社会性に根ざした自然な秩序が、ロックによって想定されていることを示唆すると言われてきた。
 ここでは、政治思想史/経済思想史/社会思想史の区分に即して、この問題をもう少し先まで見ておくことにしよう。ロックは、人間は自らの労働によって(土地の)所有権を正当に主張できるとした、労働価値説に基づく私的所有権擁護の先駆として知られる。ここで起きていることをよく考えてみよう。ホッブズにおける人間が他者と自分を比べ、妬み、戦い、人のものを取ったり殺し合ったりする存在であるのに対して、ロックの人間は労働してその成果を貯め込むような存在である。そのためロックにおいては、政治共同体の成立のための基盤としての経済活動が、ホッブズの場合よりはるかに重視されていることが分かる。しかもロックにとって、労働しその果実を所有するという人間の経済的な活動は、専制支配に抵抗する根拠を与え、暴君をまともな君主に取り替える可能性を拓くものとなっている。暴君を放伐してもアナーキーは到来しない。なぜならそこには、労働と所有権に基づく「原」秩序が依然残されているからだ。これがのちに、政治秩序を創造する権力、「憲法制定権力」と言われるものだ。ロックは、秩序の前には秩序がないのでいつまで経っても秩序ができないという「ホッブズ問題」を回避し、政治秩序以前に存在する、労働や所有という基盤を持った別の秩序の源泉を名指したことになる。
 こうして、政治秩序の根源に経済活動が占める場所を与えたロックの時代以降、経済活動の役割は、貿易と植民地の拡大、そしてイギリスに発する産業革命による生産力の爆発的増大によって、人間生活においてますます大きなものとなっていく。閉じた共同性の中で自給的に営まれていた農村社会の生活構造は変化し、都市と商業を中心としてそこに農村が従属するような、近代的な国家社会へと徐々に作りかえられていく。そうしたなかで、経済活動と政治共同体との関係のみならず、そもそも貿易はどうあるべきか、分業は何をもたらすのか、富とは何かなどなど、経済をめぐるさまざまな思索がなされるようになる。これがのちに経済思想史が対象とする、経済学という領域の誕生である。
 政治思想史と経済思想史の棲み分けにはこうした背景がある。それによって、たとえばヒュームやスミスは豊かな政治思想を持ちながら、近年まで政治思想史の対象として扱われることは少なかった。もっとも、ボダンやホッブズによる主権か無秩序かの二者択一の「脅迫」を拒む思想は他にもあった。たとえばギールケの団体論的な思考は、主権の一元性というのはヨーロッパの長い歴史の中で例外的な考えにすぎず、むしろさまざまな身分からなる多元的な集合体として、中世から近世にかけての政治共同体を理解できるとした。そのためホッブズ的二元論とは異なる大陸的団体論の思想家である、アルトジウスやプーフェンドルフに依拠して、多元的な国家論を再興する試みがなされた。
 だがこうした多元的国家論も、政治思想史ではかなりマイナーな思潮で、むしろ法制史などの法学分野、また歴史学との結びつきが強かったように思われる。つまり戦後の政治思想史は、経済的なものの勃興以降の思想、あるいは主権の単一性とは異なった基礎を持つ思想を扱うのが苦手だったということになる。たとえもっと最近の思想家が扱われる場合にも、あくまで政治の領域を経済的なものの侵入から防衛するといった構えで理解されることが多かった。ルソーの思想もこうした文脈で読まれ、彼の文明批判と古代ローマ賛美は、政治的なものの栄光の時代への一種のノスタルジーとして捉えられることもあった。ルソーはヒュームの同時代人だが、経済活動の拡大にはきわめて懐疑的で、古き良き「家」としてのエコノミーを擁護する立場であったから、この見方は当たっているようでもある。ただし、ルソーの社会契約論の近代性(主権の単一性・絶対性)と、古代社会や古い「家」の世界への憧れをどう結びつけるかは難問である。
 つまり、経済の領域が人間生活のなかで大きなウェイトを占めるようになる時代に、そこで何が起きているかを政治的観点から捉え、また経済の領域そのものの中で秩序と組織の問題を考えるような思想は、政治思想史ではこれまであまり注目されてこなかったのである。そしてこうした特徴にぴったり当てはまるのが、森政稔が終生の研究対象に据えたプルードンであり、またゴドウィンやペインの時代の先駆的アナキズムの思想と運動なのだ。
 しかし、プルードンといえば「初期社会主義者」の一人で、社会思想史においては十分取り上げられてきたのではないか。これに関しては、私はこれまでのプルードン研究をくまなく読んだわけではなく、また1960年代の学生運動高揚期以降に優れたプルードン研究がいくつかあるとも言われる。しかし、少なくとも政治思想研究者がプルードンを取り上げることはなかった。さらに、戦後日本の社会思想史が長らく「マルクス主義成立史」であったことを考えると、マルクスに藁人形にされて理不尽かつ不当に叩かれたプルードンを、その文脈から自由に扱うことは、社会思想史研究においてはなかなかに難しいことではなかっただろうか。

プルードンの時代――産業化と社会の再組織化

 森政稔は、プルードンを「産業化」の時代の只中にあった思想家として捉えている。19世紀の欧米社会は、劇的なしかたで地殻変動を起こしていた。産業の発展によって社会組織の「器」と「中身」の間に齟齬が生まれ、秩序の機能不全が明らかになった時代は、グローバル化に脅かされる現代に似ているところもある。どちらも古いものが壊れていくのに新しいものが間に合っていない状況だからだ。産業化の時代に最も深刻な問題として現れたのは、都市と農村の両方に巣食う貧困問題であった。農業が私的所有と大規模経営の対象となることで、土地を追われた零細農民たちが都市の底辺労働者や浮浪者となる。こうしたことは17・18世紀から徐々に生じていたが、それを個人の怠惰や資質の問題、あるいは金持ちによる施しの対象と見る、宗教的意識と混濁した道徳観ではもはやもたなくなってきていた。19世紀には、篤志家による慈善や「悪い貧民」の怠惰を改善するなどと吞気なことを言っていられない、民衆全体を覆う貧困があちこちで発生し、これらは「貧窮問題(pauperismus)」と呼ばれるようになった。
 貧困とは貧民の生活および尊厳の問題であったが、それはまた秩序の問題へと直結していた。そのことを最初にはっきりと証明し、ヨーロッパ世界を震え上がらせたのが、フランス革命である。つまり革命を経た19世紀初頭には、下層民の貧困、都市に流れ着く身分にも地縁にも結びつかない人々の暮らしを、進展する産業化とうまく結びつけ、社会秩序を安定させることが必要だという認識が広く共有されていた。この問いへの解答はさまざまなやり方で与えられたが、とりわけのちの時代に「初期社会主義者」といわれた人々は、社会を産業の発展に合わせて再組織化しなければならないという強い問題意識を持っていた。それがフランスであればサン=シモンであり、フーリエであり、ルイ・ブラン、そしてプルードンもこうした系譜のうちにある(世紀末のデュルケムもこの系譜を十分意識して思想を形づくった)。もちろん彼らの間で産業の組織化の青写真はそれぞれ異なっていたが、この時代、社会契約に基づく政治秩序の創造といった言語や思考では、もはや新時代には対応できないという共通了解があった。
 したがってこれらの試みは、社会契約と主権に代わる新しい時代の政治の言語の探求となる。つまり、経済と産業が発展し、それに固有のメカニズムが生み出す貧困、不正、不幸にどう応え、社会をどう変革するかは、政治的に対処すべき事柄として理解されていたのだ。国家や政治秩序を否定するのがアナキズムなのに、政治思想でアナキズムを研究するなんて、定義上おかしいのではないかと思われるかもしれない。しかしこの時代のアナキズムは、国家へと収斂しない形での社会の再組織化の言語であり、その意味で政治秩序の新たな探求であったのだ。
 森政稔がなぜこのことに気づいたのか、なぜゴドウィンからプルードンへという奇特な研究対象を選んだのかは分からない(聞けば答えが得られるのかもしれないが、聞いてみたことがない)。しかし少なくとも私はそこに、「生権力」について語るすべを持たない政治思想史、あるいは統治の領域を重視せずになされてきた政治思想史研究、そして「下部構造」不在のまま政治的なものの擁護に終始してきた政治思想史に対抗するような、新しい政治思想史の可能性を見出した。つまり、政治思想でミシェル・フーコーを取り扱うという無理筋な私自身の研究主題を、もっとずっと大きな近代秩序そのものの文脈へと引き寄せてくれる手がかりを、森政稔のアナキズム研究の中に見つけたのだ。ああよかった。この偶然の出会いがなければ、私は自分の研究を政治思想史のうちに位置づけるのに手こずり、もっとずっと長い間漂流していた気がする。ありがとう森政稔。

「ねこと森政稔2」を読む

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※1 森政稔「さよなら、まみちゃん」東京大学広報室(編)『猫と東大。――猫を愛し、猫に学ぶ』ミネルヴァ書房、2020、p. 75.
※2 同上、p. 77―78.
※3 アナルコ・サンディカリズムは日本語に直訳すると「無政府的労働組合主義」。既存の政治的手段(たとえば議会政治)に訴えるのではなく、直接行動によって労働者の要求を実現しようとする。主な戦術はゼネスト。
※4 なぜ「黄色」なのかを最近何かの文献で読んだのだが、忘れてしまった。知っている人がいたら、ぜひ教えてほしい。
※5 此元和津也『セトウツミ』1―8、少年チャンピオン・コミックス、2013―17.
※6 森政稔「ルソーと空間の政治学」『現代思想』2012年10月号、p. 238.
※7 詳しくは、重田園江『統治の抗争史――フーコー講義1978―79』勁草書房、2018、第6章を参照。
※8 ミシェル・フーコー編著、慎改康之他訳『ピエール・リヴィエールの犯罪――殺人・狂気・エクリチュール』河出文庫、2010。原題は『私、ピエール・リヴィエールは、母と弟と妹の喉をかき切って殺しました……』で、そのとおりの罪を犯し、1カ月森と村々をさまよったあと逮捕された。異常なほど克明な記憶に基づく手記を書き、のちに収監された刑務所で首を括って自殺した。
※9 ただしボダンには、家と父権、そして統治の問題圏があり、これは主権論に回収されきらない領域である。
※10 森政稔「アナーキズム的モーメント」『現代思想』2004年5月号、p. 71.

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)

明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。

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