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エッセイ「空想居酒屋」 〔闇市メニュー〕島田雅彦

 感動の美酒に、死ぬまでにもう一度食べたい逸品の肴……。島田雅彦さんが体験してきた酒場天国の数々をコトバで再現し、「こんな酒場で飲みたい」という欲望を“善きドリンカー”たる読者と共有しながら実際に「空想居酒屋」の開店を目指す、至極の酒場エッセイ。
 ※本記事は連載第15回です。最初から読む方はこちらです。

 米軍の容赦ない空襲により焦土と化した都市の光景を目に焼き付けた人はその後、事あるごとにフラッシュバックを経験している。アポロ計画で人類が月面に立った時も、また阪神・淡路大震災で神戸長田地区が焼け野原になった時も戦後の焼け跡を思い出したそうだ。ヨーロッパの諸都市も同様で、戦後は何処も焼け跡から再出発し、戦争のトラウマをどう乗り越えるかが共通のテーマであった。黒澤明の映画『羅生門』は平安時代の物語でありながら、やけに生々しいのは背景や人物像に焼け跡とそこで生きる人々のイメージが重ね合わされているからである。大金を投じて朽ちた羅生門のセットが作られたが、本当はその近くに闇市のようなものを再現したかったらしい。
 闇市は映画やドラマでしか見たことがない。実際にそれを自分の目で見た人はどんなに若くても、八十歳を越えている。ヨーロッパの焼け跡では復興は教会の再建から始まったといわれるが、日本の場合は闇市から始まった。厳しい食糧難の最中、配給だけでは賄い切れず、誰もが闇市を必要としていた。大きな風呂敷包みを背負って歩く人を見かけたら、後について行く人がいた。そのうち何かを売り始めるだろうから。生き延びる道は全て闇市に通じていた。新宿の闇市には隣の駅からも見えるまばゆい電灯が照らされ、『光は新宿より』が合言葉になっていた。そこでは金さえ出せば、たいていのものは手に入った。だが、持たざる者は餓死さえも覚悟しなければならず、その恐怖を忘れさせてくれるのが酒だった。だが、メチルアルコールやホルマリンが混じったその酒を飲み干すと、あの世が近くなった。目がかすみ、足腰が立たなくなっても、その酒を飲まずにいられない人々がいた。

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1946年の東京の闇市

 私が『退廃姉妹』という作品を書いた時は、映画や小説、戦後史、風俗史の本からかき集めた情報から闇市の光景を再現したが、刑務所を出所した前科者が闇市で何をしたかを描いている。出所者には餞別の九十五円と握り飯五食分が与えられる。一人は闇市に足を踏み入れるや、むしょうに甘いものが食べたくなり、一杯二十円の汁粉を食べ、一本三十円のビールを飲み、おでんを四十円分食い、残りの五円で再生煙草を吸ったら、文無しになった。二人目は五円で七輪を買い、二十円で大鍋を買い、一つ二円の汁碗を十個買い求め、大鍋で雑炊を煮て、売る商売を始めた。
 この二人目の男は「何処でも居酒屋」の元祖みたいなものである。闇市の食堂の名物に「シチュー」というのがあったが、それは米軍御用達の売店PX付属の外国人専用食堂から出る栄養価の高い残飯を再利用して作るシチューのことである。粘り強く食堂裏に張り込み、生ゴミが外に出されるや間髪を入れずにそれを持参のバケツに集め、回収してくる。そして、残飯に混入している煙草の吸い殻やマッチ棒、鼻をかんだ紙などを丁寧に取り除く。残飯には食べ残したステーキの肉片やハム、歯型のついたチーズ、鶏の皮や豚の背脂やあばら骨、魚の頭、ジャガイモの皮、リンゴの芯など雑多なものが入っている。料理人がそれらを大鍋にぶち込み、じっくりと煮込んでしまえば、生ゴミの痕跡は綺麗に消え、食欲をそそるシチューに再生されている。一杯五円で売り出すと、「体がぽかぽかになる」とか「滋養がしみわたる」と評判を呼び、同じ値段で売っているすいとんややきめしなど見向きもせず、客はこのシチューに殺到したという。おそらく成人男子が一日に必要とされるカロリーを一食で満たすことができただろう。食糧難が続いていた時代はカロリーのコスパが重視されていた。健康志向で高カロリー食が敬遠される現代でも、貧困層のあいだではこの原則が生きている。ちなみに最も安価にカロリーを摂取できる代表的メニューはアメリカならマカロニチーズ、日本ならペヤングソース焼きそばのメガサイズか。
 食いしん坊や酒飲みにとって、戦時中、終戦直後の食糧難と配給制度は悪夢だっただろう。戦争も震災も疫病も普通に享受できた生活を一変させ、心荒む禁欲を強いる。米の配給制度が始まった頃、「肉なし日」なるものがもうけられ、肉を使った料理を一切作らない、売らないというお達しが出た。何を食おうが勝手だという反発もあったが、今日の自粛警察みたいな相互監視が働く中、料理人や食通は抜け道を探した。海の物は肉ではないという理屈で、「肉なし日」の八日と二十八日には鯨を食べる人が増え、巷では鯨テキ定食が人気を集めた。オットセイの肉を出す店もあったらしい。やがて、酒類も配給制になり、清酒は三ヶ月で一人当たりたったの四合、夏の四十日間でビール八本という、酒飲みからすれば、暴動に発展しかねないほどしみったれたものだった。節酒にはなるが、どうしても飲みたい人は闇で配給切符を手に入れるほかなかった。
 さらに食糧難が進むと、備荒食(びこうしょく)なるものが登場し、トンボの佃煮やゲンゴロウの天ぷら、タンポポのおひたし、トカゲの塩焼などが奨励されたりした。大豆やどんぐりを使った代用コーヒーも登場し、公園の花壇には麦やキャベツが植えられ、日比谷公園は日比谷農園に変わり、川の土手や線路脇はトウモロコシが植えられ、競馬場も広大な芋畑に変わり、庭には油を取るためのヒマワリが植えられた。このようにして、日常生活全てが総力戦の準備となるよう仕向けられたのである。

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闇市で売られていた「サンマのバタ焼」。「一皿五円」は高値だった

 コロナ禍の巣籠もり期間、ホームセンターは大いに賑わっていた。ちょうど苗を植える時期だったこともあるが、庭のある家ではガーデニングに精を出す人が増えた。私は多摩丘陵の住人なので、よく里山を散歩するが、常に足元を見ていて、食べられる野草、キノコ、タケノコを探している。住宅街の中に残った自然はわずかではあるが、散歩者の晩酌のお通しになるくらいのものは自生している。ずいぶん前だが、テレビ番組の取材で多摩川の河川敷に暮らす人の仮設小屋を訪ねたことがある。その人は小さな家庭菜園を持ち、また土手に生える野ゼリやツクシ、ノビルをこまめに摘んでいた。ノゼリのおひたしやノビルの酢味噌和えを勧められ、口にしたが、鼻に抜ける香りがたまらなかった。野草は八百屋には売っていないので、貴重だ。里山や川べりでは散歩者が弁当を広げる光景もよく見られたが、私はスーパーで買った惣菜をつまみに持参したワインや酎ハイを飲む野酒をやっていた。散歩道の途中にはキンカンやビワの木もあるし、大根やブロッコリーの畑もある。果実は木から落ちた物を拾い、大根やブロッコリーは盗掘するわけにはいかないので葉っぱの部分をちぎってつまみにする。
 焼け跡からの復興が進み、経済成長に向かおうとしていた頃、都内は開発ラッシュとなるが、東京湾の埋め立て工事が盛んに行われていた。そこに栄えた労働者向けの歓楽街を舞台にした川島雄三監督の『洲崎パラダイス 赤信号』という作品がある。これは歓楽街の入り口にある小料理店が主な舞台になっているのだが、物語は行き場を失った流れ者の男女がそこに流れ着くところから始まる。橋の上で途方に暮れていたが、所持金百円でタバコを買い、お釣りが六十円。煮え切らない男に愛想を尽かして、そこに来たバスに飛び乗る。運賃を差し引いて、残りは四十円。バスを降りたところに「女中求ム」の張り紙を見て、二人はその小料理店に入り、ビールを注文する。張り紙を見ると、焼酎は四十円だが、ビールは百二十円である。女は小料理店でそのまま住み込みで働くことになり、かろうじて無銭飲食は避けられる。
 川べりの貸しボート屋を兼ねるその店にはこれから歓楽街に女を買いに行く男たちが景気付けに一杯ひっかけにやってくる。神田でラジオ店を営む落合という男もその一人だが、流れ者の女と懇意になる。男の方は女将の口利きで蕎麦屋の出前になる。
 店の作りは粗末で、喧嘩があればすぐに壊れそうなカウンターひとつで、闇市の露店より少しマシになった程度だ。女将の夫は別の女と出奔してしまったが、あとでバツが悪そうに帰ってくる。子供が二人いて、奥座敷が生活の場になっており、住み込みで働き始めた女は急な階段を上った屋根裏部屋で寝る。ゴールデン街の酒場には、梯子を上がると、仮眠できるスペースを持つ店があるが、それと似ている。メニューはライスカレー、ラーメン、やきめし、塩豆といったところだ。この映画を何度も見返すのはこの店で飲んだ気になりたいからである。
 詩人の草野心平がかつて経営していた居酒屋もそんな感じだった。福島の文学館の一角にそのレプリカが展示されていたが、六畳一間くらいの狭いスペースにカウンターと小テーブルがあり、客は満員電車状態で酒を飲む。「おまえの肘が当たった」とか、「その一言は聞き捨てならない」などと喧嘩が絶えなかったという。自棄酒率が高ければ、酒場は自ずと諍いの場になる。昔と今で酒飲みの何が変わったかといえば、喧嘩が減り、皆紳士になったことに尽きるだろう。メニューは暗号で書かれていて、「冬」は豚の煮こごり、「泥んこ」は鰹の酒盗、「白」は冷奴のことだった。二級酒の暗号は店の屋号と同じで、「火の車」。そんな屋号をつけたのが災いしたのだろう、わずか四年で店はたたまれたという。いつかそんな店を持ちたいが、屋号はよくよく考えなければならない。

連載第16回へ続く

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プロフィール
島田雅彦(しまだ・まさひこ)

1961年、東京都生まれ。作家・法政大学教授。東京外国語大学ロシア語学科卒業。在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』で注目される。『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、『虚人の星』で毎日出版文化賞を受賞。ほかの著書に『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『悪貨』『ニッチを探して』『オペラ・シンドローム』など多数。2010年下半期より芥川賞選考委員を務める。
*島田雅彦さんのTwiiterはこちら

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