連載

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「愛と性と存在のはなし」第6回 〔愛と欲望の痛みと傷〕 赤坂真理

「愛と性と存在のはなし」第6回 〔愛と欲望の痛みと傷〕 赤坂真理

※連載第1回から読む方はこちら すべてが性愛になる  前回、フレディ・マーキュリーとクイーンを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』のことを書いた。  対比で思い出すのは、フランスの女性作家マルグリット・デュラスの少女期の自伝的小説『愛人 ラマン』だ。  いや、対比というよりは連想。  主人公に男女というちがいがありながら、不思議なほどよく似た手ざわりのものとして、わたしは両者を思い起こす。  両方とも「植民地」での性愛が核の部分にある。そこが起点となっている。フランス

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「愛と性と存在のはなし」第5回 〔『ボヘミアン・ラプソディ』に見るマジョリティの希望〕 赤坂真理

「愛と性と存在のはなし」第5回 〔『ボヘミアン・ラプソディ』に見るマジョリティの希望〕 赤坂真理

 sometimes I wish I’d never been born at all.  そう、まったく生まれないほうがよかった。  影も形も。  こんなに孤独なら。  この世界に属せない、疎外感だけなら。  存在するということの、まったき孤独。   孤独だから、誰かを求めるのか。  求めても孤独。  本当の望みなど、知らないほうがよかった。  本当の自分をわかりたいだなどと。  かなわないなら。  手に入らないなら。  このふたつに分かれた世界に、望むものが、ないのな

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