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ギリシャへの旅で痛感した人間の愚かさ――「マイナーノートで」#26〔ヘロドトス漬け〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
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ヘロドトス漬け

 ギリシャ旅行に行くのに、どの本を持っていけば良いか、考えた。そこにあまりにタイミングよく、尊敬する西欧古典古代研究者の桜井万里子さんから、新刊『歴史学の始まり ヘロドトスとトゥキュディデス』(講談社学術文庫、2023年)が届いた。天の配剤とはこのことだろう。ギリシャ悲劇はソフォクレスやアイスキュロスなどひととおり読んでいたが、歴史書は読んだことがなかった。さっそく岩波文庫版のヘロドトス著『歴史』3巻本を手に入れて、旅立った。

 「歴史」と名乗っているものの、桜井さんによればヘロドトスのいう「ヒストリア」とは説話や伝承を含むものらしい。昨今の歴史学は民俗学や文学とも接近しつつあるが、なるほど「歴史」とはもともと語りものだったのだ。とりわけヘロドトスの『歴史』は戦いに次ぐ戦いを記録した戦記もの。日本でいえば太平記みたいな語りもので、各地を放浪してはその時の伝承をとりこむなどしてご当地ヴァージョンを語って聞かせた成り立ちもよく似ている。ところどころ作者自身が顔を出して「私にはとうてい信じられないが」とか「ただ聞いた話をありのままに記しただけである」と注釈をつけ加えているのもおもしろい。

 アテネではまっ先にアクロポリスへ行った。アクロの語源は「崖」、ポリスは市民の共同体、つまり山上の要塞都市である。だからアテネだけでなく、各地にアクロポリスがある。日本でいえば戦国時代の山城だろうか。日本では武士という武装集団同士が戦って、城外にいる百姓たちはその戦いを横目で見ていただけだが(どちらにせよ、支配者が変わっても彼らの生活はたいして変わらなかった)、ギリシャでは要塞のなかに市民が居住して、いったんことがあれば武装市民として戦闘に参加した。勝った方は富を略奪し、街を破壊し、女、子どもを殺戮したり戦利品にし、負けた民族を奴隷にして売買した。日本の「戦陣訓」に「生きてりょしゅうはずかしめを受けず」というものがあって、これが玉砕戦を促したと批判があるが、もともと戦国時代の戦争は「捕虜をとらず」、すなわち敗者は女、子どもに至るまで全員討ち死にするせんめつ戦だったのだ。ギリシャの戦争もよく似ている。敵の指揮官は処刑され首を切られ、さらし首にされる。伝令や交渉役は殺される覚悟で行き、実際に殺される。占いのはずれた占者は耳を削ぎ鼻を削がれる。女たちは乳房を削がれ、貢ぎ物にされた男児は去勢されて奴隷にされる。いやはや、血なまぐさいこと。日本にはこの身体変形だけはなかったようだ。

 ヘロドトス『歴史』の圧巻は、紀元前500年から前449年までの約50年間に4回にわたったペルシアとギリシャのあいだのペルシア戦争である。その戦争の前史にも、ギリシャ諸民族の同盟や対立、裏切りや和解、侵略や復讐などがあり、ペルシア軍という圧倒的な軍事力を目の前にした弱小都市国家群がどのようにがっしょうれんこうしたかが、手に汗握る説話として物語られる。

 このなかに、中江兆民の『三酔人けいりん問答』よろしく、民主制ととう制と独裁制のどれがいいかというディベートが登場する。ペルシアに民主制を導入しようと、オタネスは民主制を擁護してこういう。「われらの内の一人だけが独裁者となることは、好ましいことでもなく善いことでもないのであるから、そのようなことはもはやあってはならぬ(中略)最も重大であるのは私がこれから申すことで、それは独裁者というものは父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪うことだ。それに対して大衆による統治は先ず第一に、万民同権イソノミアという世にも美わしい名目を具えており、第二には独裁者の行なうようなことは一切行なわぬということがある。(中略)されば私としては、独裁制を断念して大衆の主権を確立すべしとの意見をここに提出する。」

 それに対してメガビュゾスは寡頭制を支持する。

 「主権を民衆に委ねよというのは、最善の見解とは申せまい。何の用にも立たぬ大衆ほど愚劣でしかも横着なものはない。(中略)さながら奔流する河にも似て思慮もなくただがむしゃらにかかって国事を押し進めてゆくばかりだ。(中略)われらは最も優れた人材の一群を選抜し、これに主権を賦与しよう。もとよりわれら自身も、その数に入るはずであり、最もすぐれた政策が最もすぐれた人間によって行なわれることは当然の理なのだ。」

 三番目にダレイオスが独裁制を主張する。

 「ここに提起された三つの体制――民主制、寡頭制、独裁制がそれぞれその最善の姿にあると仮定した場合、私は最後のものが他の二者よりも遥かに優れていると断言する。(中略)寡頭制にあっては(中略)各人はいずれも自分が首脳者となり、自分の意見を通そうとする結果、互いに激しくいがみ合うこととなり、そこから内紛が生じ、内紛は流血を呼び、流血を経て独裁制に決着する。(中略)一方民主制の場合には、悪のはびこることが避け難い。さて公共のことに悪がはびこる際に、悪人たちの間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感で、それもそのはず、国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行なうからだ。このような事態が起り、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を決することになる。その結果はこの男が国民の讃美の的となり、讃美された挙句は独裁者と仰がれることになるのだ」と、結局どちらにころんでも「独裁制が最高の政体であることが明らかではないか」と他のふたりを論破してしまうのだ。

 だがダレイオスが独裁者になった後、ダレイオス率いる強大なペルシア軍を、アテナイが打ち破ったことによって、ヘロドトスによれば「自由平等ということが、単に一つの点のみならずあらゆる点において、いかに重要なものであるか、ということを実証した」結果になった。「というのも、アテナイが独裁下にあったときは、近隣のどの国をも戦力で凌ぐことができなかったが、独裁者から解放されるや、断然他を圧して最強国となったからである。これによって見るに、圧政下にあったときは、独裁者のために働くのだというので、故意に卑怯な振舞いをしていたのであるが、自由になってからは、各人がそれぞれ自分自身のために働く意欲を燃やしたことが明らかだからである。」

 ヘロドトスのアテナイびいきは、アテナイが彼を保護したことによるから割り引いて聞かなければならないが、ここには、ギリシャの都市国家の市民がつねに「自由か隷属か」をめぐって戦ったこと、そして自由市民たちによる防衛軍がもっとも高い戦意を発揚することの核心が述べられている。徴兵制による国民軍の強さは、傭兵に勝るのだ。そしてその事実をわたしたちはまざまざとロシアのPMワグネルと、ウクライナの祖国防衛軍との戦いに見ている。そして西側諸国がつねに戦争の目的を「自由と民主主義を守る戦い」とフレーミングすることにも。

 もちろんこの万民平等は男性の自由民のあいだだけのことで、民主制が奴隷制や性差別、人種差別と完全に両立可能であることもいっておかなければならない。とにかく出てくる固有名詞がほとんど某々の息子なにがし、とみごとに父系的で、女の出る幕はほとんどない。

 それにしても。ペルシア戦争は紀元前5世紀の話だ。裏切り、謀略、復讐と名誉、驕慢と過信……人間の愚かさは少しも進歩していないのか、と呆然とする。槍と弓矢が銃と大砲に、そして爆弾と大量破壊兵器に変わっても、やっていることはギリシャの昔と少しも変わらない。かえって手にした武器の破壊力が増すばかりだ。ヘロドトスを読みながら、ああ、ここはあれに当たるな、と2000年を超す時間を飛び越えて、いつのまにか、ヘロドトスの目で今を見ている自分がいる。

(注)Private Military Company(民間軍事会社)の略。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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