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いつ、どうやって切り替えるか――メンタルヘルス研究の世界的権威が語る「柔軟な脳」の作り方

人は1つのことをする状態から、別のことをする状態に頭を切り替えることが難しく、そのつどエネルギーを消費しています。切り替えにかかる負荷は思わぬストレスになり、切り替えがうまくできなければ同じ間違いを繰り返してしまうのです。
一方で、機敏に思考や精神を切り替えることができれば、最高のパフォーマンスを発揮し、より軽やかに楽に生きることができます。では、いかにして「フレキシブルな脳」となるのでしょうか。『SWITCHCRAFT(スイッチクラフト)切り替える力――すばやく変化に気づき、最適に対応するための人生戦略』(NHK出版)を上梓した認知心理学者・神経科学者のエレーヌ・フォックス氏が、「切り替える力」を身につけるヒントを伝えます。
*インタビュー:長野 光
バナー写真© Mark Bassett


──「SWITCHCRAFT(スイッチクラフト)」とはどういうものなのでしょうか?

エレーヌ・フォックス(以下フォックス) あなたはゴルフをしますか? ロングショット用のクラブや短いショット用のクラブ、砂地や草むらから抜け出すためのクラブなど、ゴルフコースを攻略するには、いろいろなゴルフクラブを使うでしょう。あるクラブはある状況には有用ですが、別の状況では機能しません。状況に合わせてクラブを使いわけることは合理的です。
これは人生とも似ています。困難に立ち向かうためにはさまざまな戦略や技術が必要です。「スイッチクラフト(切り替える力)」とは、まさにそういうことです。今のやり方に固執することが正しい場合もあれば、切り替えなければならないときもある。つまり「いつ切り替えるか」と「とどまるか」の技術なのです。

──「メンタル・アジリティ」の重要性について語っていますが、「メンタル・アジリティ」とは何でしょうか?

フォックス メンタルを切り替える能力のことです。家にいて鍵が見つからない状況を想像してみてください。多くの人は鍵を決まった場所に置いている。だから、何度も行ったり来たりして、同じところを繰り返し確認してしまう。これは脳がいかにこりかたまったはたらき方をするかを示しています。とくにストレスや制約があるほど動きが固定的になり、同じ解決策を追い求めてしまうのです。

すばやく柔軟な対応力を上げるには、一度俯瞰して異なる方法を試すことです。私が研究室で行っている実験の話をしましょう。「タスク・スイッチング」と呼ばれるもので、1つのタスクから別のタスクへと切り替える実験です。
研究室ではこれをシンプルな形で行います。次のようなものです。
・コンピュータの画面に数字が表示される。
・赤色の数字の場合は、質問に対して数が奇数か偶数かボタンを押して回答する。
・数字が緑で表示されたら、その数字が「9」より多い数か少ない数かボタンを押して回答する。
・表示される数字の色によって課題が変わる。

課題の変更は、脳に多くの妨害や混乱を与えます。思考が一時的に止められてしまうからです。実験中に脳中の電気信号の活動と反応の時間を調べると、タスクが変更されるたびに思考が妨害され、エネルギーが消費されていることがわかります。

本を書いたり、論文を書いたり、学校の業務の資料を作成したり、授業の準備をしたりと、私は日々さまざまなプロジェクトを抱えています。それらはすべて異なる作業ですが、忙しいときは 1つの作業が終わると、すぐ次に取りかかります。しかし、ここに課題のスイッチがあります。心理学の研究が証明していることは、1つのことから次のことに移行するときには、あいだに小休憩が必要だということです。そうしないと、かなりエネルギーを消費してしまいます。

1つのことを終えたら、すぐに次に移らず、部屋の中を歩き回ったり、コーヒーを飲んだり、数分でもいいので小休憩をはさみましょう。1つのプロジェクトから次のプロジェクトへ移るとき、あるいは人生の転機の移行期に、このように「間」を置くことが大切なのです。

──脳の認知的柔軟性とはどういうものでしょうか?

フォックス 認知的柔軟性は機敏さの根底にある脳のプロセスです。数字がこの色で出たら偶数か奇数か言い、数字が異なる色で表示されたら「9」より多いか少ないか言う。これこそまさに認識的柔軟性です。課題の切り替えにどれだけ時間がかかるかで、認知的非柔軟性を測ることができます。認知的柔軟性が高い人は切り替えが上手な人です。

うまくいかないと切り替えに時間がかかります。認知心理学ではこれを「スイッチ・コスト」と呼びます。1つのことから別のことへ切り替えるまでにかかる時間のことです。スイッチ・コストは認知的柔軟性を測る良い方法です。反応のスピードを脳のスキャン画像で見ることができますが、認知的柔軟性が良い状態にあるほど、メンタルの機敏さを獲得することができるのです。

──認知的柔軟性は訓練によって鍛えられるのでしょうか?

フォックス 本の中でも紹介したある訓練方法はとても簡単で、誰でも認知的柔軟性を鍛えることができます。前述のとおり、1つのことから次のことへ移るときには「間」をとることがとても重要です。1つの任務を解除してから次へ移るのです。しかし、トレーニングではあえて真逆のことをします。

たとえば、3つの課題を用意して次々順に取りかかる訓練があります。実際に自分がやらなければならない課題を3つ用意してください。あまり複雑でないことがいい。何かの書類を書く。誰かに長めのメールを書く。あるいは、レストランの予約をするなど。3つであれば、なんでもかまいません。

10分なり15分なり、一定の時間内で3つすべての課題を終えると決めます。そして各課題に、2分や3分など、数分ずつ時間を振り分けます。1つの課題を終えたら、すぐに次の課題に取りかかる。1つ目の課題が終わっていなくても、時間になったら次に移る。時間がきたら、2つ目から3つ目、また時間がきたら、3つ目から1つ目へと作業を移行していくのです。

実生活ではそのような取り組み方は効率的ではありませんが、1つのメンタルセッティングから次のメンタルセッティングへ移行するためのトレーニングとしては効果的です。

──脳の切り替え能力はストレスや心の病とも関係があるのでしょうか。本の中で「不安感が強い人にとっての最大の問題は脅威を過剰に検知することではなく、むしろ、いったん検知した脅威を意識しないようにするのが不得手なことだ」と書かれています。

フォックス 私の専門は認知心理学です。この分野の研究では、周囲の情報を人がいかに受け取るかを研究します。私たちは注意のシステムに着目して研究をしてきました。新聞や雑誌を見るときに、話の筋であったり、部分的な色であったり、何があなたの関心を引くでしょうか。悪い話に目が行く人もいるし、良い話に目が行く人もいる。そのように何に注目するかを調べることができます。同時にどのように提示された情報を解釈しているか、たとえば、ポジティブに受け止めているか、ネガティブに受け止めているか、ということも調べることができるのです。

私は長年、不安症の人を研究してきました。我々は日常的にいろいろなことを話して、しばしば間違った受け取り方をします。不安症の人はとくに曖昧な情報を悪く取りがちです。「あなたがそう言うのは興味深い」と誰かが言った場合、「どういう意味か」と疑問に思い、良い意味で褒めているのか、皮肉を込めて批判的な意味で言っているのか、ただ「興味深い意見だ」と言っているだけで他意はないのかなど、悩んでしまう。
私たちは悪いことや良いことをより強く記憶しますが、こういったバイアスは、うつや不安症に強く関係しています。うつや不安症の人は、より悪い記憶を選び、より悪い言葉に反応する傾向にあります。感知する機能にそのようなバイアスがあるのです。得た情報を悪く解釈するという傾向もあります。

私はネガティブなバイアスに問題があるという観点から、ネガティブ・バイアスからシフトするトレーニングを研究してきました。数年前に同僚とともに軍人の支援をしたときに、あることに気がつきました。戦地で闘ってきた人です。
軍人にとって危険の感知は重要です。たとえば夜、家にいたら窓の外で不審な音がしたとします。多くの場合は、ただ木の枝が動いたり風が吹いたりしたためですが、誰かが侵入しようとしている可能性もあります。そういった危険を見極めるためには注意を払い、悪いことを予想する能力が必要になる場合もあります。

ネガティブなバイアスが危険な状況ではたらくのは適切です。不安症の人の問題は、安全な状況でも危険に感じてしまうことです。安全な状況でも、不安症の人は危険を感じたり、間違えたような気持ちになったりします。それで私は、「ネガティブなバイアス自体が問題ではなく、バイアスを切り替える柔軟性の欠如に問題がある」と気づいたのです。

不安を感じにくい人であっても、就職の面接など未知の状況に対しては不安を感じることがあります。そういうときは緊張しますよね。そのようなネガティブなバイアスは適切です。しかし、危険がない状況では、その感覚は切り替える必要がある。だから「スイッチクラフト(切り替える力)」が必要となります。バイアスの切り替えが重要なのです。

──日記を書くことの効果について書かれています。なぜ、日記を書くことが切り替えるために重要なのでしょうか?

フォックス スイッチクラフト(切り替える力)にとって大切なのは、1つのやり方でダメなら別のやり方を試すことです。このような柔軟な思考を身につけるためには、自分を知ることが大切です。

自分が何に価値を置いているか。何を自分が本当に大切に思っているか。こういったことを明らかにするために日記を書くのはとても効果的です。誰かに読ませるために書かないのが重要な点です。日記はあなたの願望や思考をチャート化していく作業であり、人に読ませる必要はありません。

これを毎日続けていると、どんどん正直になっていき、自分が何を大事に考えているかが見えてくるでしょう。日記を書くとは正直に自分自身を見つめることです。また、書いたことは記録として残り、いつでも振り返って確認できます。

日記を書くことが精神衛生的に良いことは、数多くの調査で明らかになっています。なぜ日記がそんなに効果的なのかというと、日記を書くことで素直になれるからです。何を楽しみ、何を重んじ、何に価値があるかを確認することは自分を管理するうえで重要なのです。こうして、何かの選択に迫られたときに、正しい判断ができるようになるのです。

──夫で心理学者のケヴィン・ダットンさんとともに設立されたオックスフォード・エリート・パフォーマンス社では、どのようなことを行っているのでしょうか?

フォックス アスリートや軍人など、さまざまな職種の方々のライフ・コーチングを行っています。どうやって柔軟性やタフなメンタルを身につけられるか、一緒に考えるのです。英国プレミアリーグなどたくさんのチーム、個人の選手にメンタル・アジリティなどのメンタル・トレーニングを提供してきました。スポーツにおいてはこういった機敏さは重要です。

サッカーでいえば、選手には自分がやりやすいプレーがあります。たとえば、ディフェンスが得意なチームでも、対戦相手によっては戦略を変えたほうがいいこともある。その場合、ディフェンス重視ではなく、素早い攻撃型の戦略に切り替えたほうがいいでしょう。戦略の切り替えが不得意なチームには、チームや選手がもっと柔軟になれるよう指導します。

マラソンなどの競技でも、序盤は集団の真ん中ぐらいにいて、後半で一気に追い上げるというスタイルもある。けれど相手しだいでは、必ずしもそのやり方が効果的とは言えません。序盤からスピードを出して先頭をキープする。あるいは、抜きたい相手のうしろにつけたほうがいいこともある。状況に合わせて柔軟になることが求められます。

我々はビジネスパーソンのコンサルティングも行います。製品開発や目標達成のためにさまざまな計画があります。市場の状況が変われば、やるべきことも変わる。やはり柔軟性が必要なのです。


詳しくは『SWITCHCRAFT(スイッチクラフト) 切り替える力――すばやく変化に気づき、最適に対応するための人生戦略』でお楽しみください。

著者紹介
エレーヌ・フォックス Elaine Fox
認知心理学者・神経科学者。ダブリン大学、ヴィクトリア大学ウェリントン校などを経て、エセックス大学で欧州最大の心理学・脳科学センターを主宰。その後、オックスフォード大学の感情神経科学センターを設立・指揮したほか、イギリス政府のメンバーとしてメンタルヘルス研究における国家戦略も担当した。現在はオーストラリアのアデレード大学で心理学部長を務め、認知心理学と神経科学、遺伝子学を組み合わせた先進的な研究をおこなっている。またコンサルタント会社〈オックスフォード・エリート・パフォーマンス〉を経営し、トップアスリートやビジネスパーソンなどのメンタル・トレーニングの指導にもあたっている。著書に『脳科学は人格を変えられるか?』(文藝春秋)がある。
https://twitter.com/profelainefox

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