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希望を手放さない――ネイサン・イングランダー『耐えられない衝動を和らげるために』#2

厳格なユダヤ教正統派の共同体で育ち、その後イスラエル滞在を経て棄教したネイサン・イングランダー。今回は、彼がアイオワ大学の創作科に進むきっかけとなった短篇「二十七番目の男」と、同作を収録した彼の最初の短篇集『耐えられない衝動を和らげるために』に掲載されている「曲芸師」の二編を都甲幸治さんが読み解きます。

「二十七番目の男」ピンカス・ペロヴィッツ

 さて、イングランダーの原点ともなった短篇「二十七番目の男」とはどんな話なのか。1952年にスターリン統治下のソビエト連邦で実際にあったユダヤ人作家の虐殺がモデルとなっている。その首謀者はもちろん、国のリーダーであるスターリン自身だ。とは言え作品内において彼は、具体的に自分が誰を殺したかは意識していない。彼がしたことは、下から上がってきた命令書にサインすることだけだ。

 それではなぜ、ユダヤ人作家たちが殺されなければならなかったのか。ソビエト連邦において絶対的存在である共産党以外の権威を彼らが奉じているからだ。ユダヤ教の神や、イディッシュ語によって紡がれた文化の価値を信じる彼らは、スターリンの論理によれば裏切り者である。なぜなら、人は同時に二つのものに忠誠を尽くすことはできない、とスターリンが信じているからだ。だからこそ、どんな罪を負わせてでも、彼らは殺されなければならない。

 こうして、イディッシュ語文学を代表する27人の作家たちが、ソビエト連邦全土から突然、強制的に集められ、同じ収容所に放り込まれる。いや、実は何らかの手違いで一人、いまだ作家とは言えない人物が混ざっていた。それがピンカス・ペロヴィッツだ。旅館の息子である彼は、自分の部屋に引きこもり、ひたすら文字を書き連ねている。やがて旅館が家族から他人の手に渡っても、なぜか彼は部屋をあてがわれる。そして書き上げた作品を一文字も発表しない。したがって、誰も彼の作品を読んだことはない。だからこそ、なぜ彼がここに連れてこられたかは謎である。

2019年刊行の “kaddish.com” 原書kindle版の表紙。ブルックリンで暮らす正統派ユダヤ教徒の家族と、謎のウェブサイトkaddish.comをめぐる長篇小説(写真:都甲幸治)

最後の瞬間まで議論は続く

 収容所に連れて来られた時点で、実は彼ら全員が死刑となることは決まっていた。つまり、犯罪捜査や裁判の前に、もう判決は確定していたということになる。そこから逆算して、彼ら全員の罪がでっち上げられる。ソビエトの官僚たちは、彼らひとりひとりを拷問し、存在しない罪状を自白させ、彼らが死に値することを証明すべく、淡々と仕事をこなす。凄惨な暴力も膨大な書類作成も、こうした官僚たちにとっては日常業務でしかない。

 一方、収容所に集められた作家たちにとって、ほんの一瞬先の未来すら予測不能である。彼らもこうした政治的な暴力の噂は聞いていた。だが同時に、収容所に入れられたあと、何年かして解放された人々がいることも知っている。ならばひょっとして、自分たちも生き残れるのではないか。最後の瞬間まで、彼らは希望を捨てない。

 そして同じ部屋に入れられた他の作家たちと議論を続ける。よい作品にとって政治的なテーマは余計なものなのか。あるいは、そうしたものは作品の質の向上の役に立つのか。そもそもヒトラーとスターリンによって、東ヨーロッパやロシアに住んでいた膨大な人数のユダヤ人が殺され、イディッシュ語のコミュニティはすでに壊滅してしまった。そして今や、生き残った者たちの多くは遠くアメリカ合衆国にいる。ならば、そもそもイディッシュ語で書き続ける意味はあるのか。

言葉で魂に触れること

 そうした議論の中心にいつもいるのはなぜか、実績も社会的評価もないピンカスである。そしてある有名作家に対して、登場人物は政治の道具ではない、むしろリアルな存在なのだ、とまで彼は言い放つ。そしてまた、読者が激減したことにより、書くこと、さらには生きることの意味さえ見失っている大作家ツンゼルに対して、ピンカスにはそんな感覚は全くない。そもそも読者がゼロでも、ただ書くことが楽しくて続けてきた彼にとって、イディッシュ語読者の人数など問題ではないのだ。

 そのことを裏付けるように、並み居る作家たちのうち、ピンカスだけは独房内でも創作を続ける。紙もペンもない状態でどうやって書くのか。頭の中だけで何度も推敲し、それを口で唱えるのだ。とうとうピンカスの作品が完成し、他の作家たちに披露した日に、全員が処刑されることになる。

 刑執行の直前まで作品を口頭で語り続けたピンカスを、ツンデルは大いに褒め称える。偉大な彼に認められたピンカスは大きく微笑む。そしてそのまま射殺され地面に倒れるのだ。彼の行為は無意味だったのか。あるいは、きちんと彼の努力を受け止め認めたツンデルの言葉は何の役にも立たないのか。言葉によって一瞬でも相手の魂に触れること。永遠に生きるわけではない我々が、それでも物語を語ることの意味に、この短篇はしっかりと触れている。

『耐えられない衝動を和らげるために(原題:For the Relief of Unbearable Urges)』原書の表紙。本書には9つの短篇小説が収められている(写真:都甲幸治)

厳格派と曲芸師

 同書に収録された短篇「曲芸師」も良かった。作品の舞台は、ウクライナ国境に近いポーランドの街ヘウムである。第二次世界大戦の前、この街の半分以上はユダヤ人で占められていた。やがてナチスに占領されると、ユダヤ人たちは移動させられることになる。

 だが他の者たちと同じ列車に乗せられることを嫌がる少数の一団がいた。実はこの街のユダヤ人たちは厳格派と世俗派に分かれていた。必要最小限のものだけ持ってくるようにと言われて、世俗派は持てるかぎりの物を担いで集合する。それに対して厳格派は何も持たず、さらには薄い下着しか身に着けていない。

 彼らは世俗派に交じることを拒否し、勝手にトンネルに入って行くと、遠くに停まっていた列車に乗り込む。実はそれは芸人たちが詰め込まれた列車だった。やせ衰え、しかも下着しか着ていない彼らは、芸人たちに曲芸師の一団だと勘違いされる。そのことに気づいた彼らは、一か八かのチャンスに賭けてみる。

過酷な状況を生き延びるためのユーモア

 ユダヤ人だとわかれば殺されるかもしれない。ならば、列車に乗り込んでいる短時間で曲芸を身につけて生き延びてやろう。そして見よう見まねでせっせと曲芸を練習する。あるいは列車の中をうろつき、コルクだろうが布切れだろうが、使えそうなものは何でも自分たちの服に縫い付ける。

 やがて彼らは巨大な劇場に連れて来られた。準備はできていると言うと、最初の出し物として彼らは舞台に上げられた。そして彼らは必死に芸をする。すると客席に居たある男が大声で叫んだ。「見ろよ。こいつらはユダヤ人みたいに無様だな」なんとこの声を上げたのはヒトラー本人だったのだ。こうして彼らは、ユダヤ人から「ユダヤ人みたい」な存在となることで、どうにか終戦まで生き延びる。

 イングランダーの作品に出てくる状況は過酷だ。けれども同時に、登場人物たちは、持ち前のユーモアと機転でなんとか生き延びようとする。あるいは死に直面してさえ、明るい面を見ようとする。圧倒的な暴力に晒されながらも希望を手放さない人々を描くイングランダーの短篇には、特有の魅力が備わっている。

ネイサン・イングランダー。2017年、テキサス州オースティンで開催されたテキサス・ブックフェスティバルにてⓒLarry D. Moore, CC BY 4.0, Wikimedia Commons.

(第5回了)

題字・イラスト:佐藤ジュンコ

都甲幸治(とこう・こうじ)
1969年、福岡県生まれ。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読みくらべ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(Pヴァイン)、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)など、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内――境界から響く声たち』(大修館書店)など。

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