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今こそ世界の真の危機を見ろ! ジジェクの思想と政治批評にこの一冊で入門する!

パンデミックを経てますます注目される現代思想の奇才、スラヴォイ・ジジェク。NHK出版新書から発売された『戦時から目覚めよ 未来なき今、何をなすべきか 』では、ジジェクが西欧と世界で今起きている事象の本質をえぐり、混迷と分断渦巻く世界の「可能性」を問います。
気候変動、生態系の破壊、食糧危機、世界大戦――人類の破滅を防ぐための時間がもう残されていないのだとしたら、我々は今何をなすべきなのか?
本書の刊行を記念し、序文を特別公開いたします。


序 フュチュールとアヴニールのはざま

 強迫神経症的な傾向のある私は、常に目覚まし時計が鳴る数分前に目を覚ます。何時に目覚まし時計をセットしても、世界のどのタイムゾーンにいても、必ずそうなる。しかし、この奇妙な癖を、私が目を覚ます必要があることに気づいている証拠だと解釈するのは間違いだろう。むしろ、いきなり眠りから引きずりだされるのを避けるためにそうしているにちがいない。なぜか?
 かつて使徒パウロは自分の時代を、「あなたがたは、いまがどのような時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時刻が、もう来ているのです」(ローマ人への手紙13章11節)と実に的確に描写したが、近年の歴史上の出来事は、これとは正反対の事実、つまり「目覚めるのに適した時などない」ことを示しているようだ。われわれは先走って取り乱し、実体のないパニックをあおるか、手遅れになってからハッと気づく。そして、まだ手を打つ時間は残っていると自らをなぐさめるものの、突然、その時間がないことを悟るのだ。ここでも同じ疑問が湧く。なぜなのか?
 誰かが夜遅くまで仕事をしていたり、遊んでいたりすると、われわれは「こんな時間に起きているなんて」と声をかけることが多い。しかし、人類の歴史的瞬間において、目を覚ましたときがすでに手遅れだとしたら? 人類の終末とされる深夜〇時まであと五分(あるいは、あと一分、あと十秒)しか残されていない、いまが破滅を免れる最後のチャンスだという表現をよく耳にするが、その破滅を防ぐ唯一の方法が、すでにそれが起こったと仮定することだとしたら? すでに決定的瞬間から五分過ぎているとしたら、どうだろう?
 未来がない場合、この先には何が待ち受けているのか。フランス語(ほか複数の言語、たとえば私の母語であるスロヴェニア語)で、「未来」を意味する単語には、フュチュール(futur)とアヴニール(avenir)がある。英語にはその違いを明確に区別する言葉はない。フュチュールは現在の続きとしての未来、すでに定まっている傾向の実現を意味する。アヴニールは急激な断絶、現在との非継続性――将来どうなるかだけでなく、これから新しく起こる(à venir)何かを意味している。たとえば、トランプが二〇二〇年の大統領選でバイデンに勝利していたならば、(選挙前の)彼は「フュチュール(未来の)大統領」ではあったが、「アヴニール(新たに生まれる)大統領」ではなかったことになる。
 今日の終末的な状況において最終到達点とも言えるフュチュールは、ジャン=ピエール・デュピュイ(注:科学哲学を専門とするフランスの思想家)がディストピア的「固定点」と呼ぶもの、すなわち核戦争、生態系の壊滅、地球規模の経済的および社会的な大混乱、ロシアのウクライナ侵攻によって引き起こされる新たな世界大戦などを意味している。そうした惨事を無制限に先延ばしにしたとしても、対策を講じなければ、われわれの現実は徐々に「固定点」に引き寄せられていくのだ。未来の大惨事を防ぐためには、その流れを止めるために行動を起こすしかない。そうしてみると、かつてセックス・ピストルズが歌った「ノー・フューチャー(未来はない)」は別の意味で解釈できる。より深いレベルでは、この「ノー・フューチャー」は変化が不可能なことを指しているのではなく、破滅的な「未来」の縛りを断ち切ることによって「新たな何かが生まれる」スペースを切り開くべきだと訴えているのだ。
 デュピュイが言わんとしているのは、破局の脅威と真剣に向き合うつもりならば、「投企(投影)の時間」という新たな時の概念を導入しなければならない、ということである。すなわち、時間を過去と未来が互いに影響し合うループ状のものと捉えるべきだ。未来はわれわれの過去の行動によって作られるが、その行動を決めるのは未来への予測であり、その予測に対する反応である。破局を避けられない運命と捉え、その観点から自身をその未来に投影すれば、過去(その未来が持つ過去)に反事実的な可能性(「あれとあれをしていれば、破局は起こりえなかった!」)を組みこめる。これにより、今日、これら反事実的な可能性に基づいて行動を起こすことができるのだ[※1] 。

未来を変えるには過去を変えるべきだ

 アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』で立証しようと試みたのは、まさにこの概念である。伝統的なマルクス主義が共産主義の未来をもたらすべく、人々に行動せよと強いる一方で、アドルノとホルクハイマーは、破局的な未来(徹底したテクノロジー操作による「管理社会」の到来)に自らを投影し、人々がその未来を回避するために行動するよう仕向けた。皮肉なことに、これと同じことがソ連の敗北にもあてはまりはしないだろうか。右派から左派、ソルジェニーツィンからカストリアディスまで、当時の「悲観主義者」は、民主主義を掲げる西側諸国の無分別と妥協、共産主義がもたらす脅威に対して自らの倫理に基づく政治を行う力と勇気の欠如を手厳しく批判し、西側諸国がすでに冷戦に負けたと主張し、共産主義圏の勝利と西欧社会の崩壊が間近に迫っていることを予測した。今日の視点から、われわれが彼らをちょうしょうするのは容易い。しかし、彼らのそうした姿勢そのものが、共産主義の崩壊をもたらした主な要因だった。デュピュイの言葉を借りると、未来に対する彼らの「悲観的」な予想、すなわち歴史が必然的にどのように展開するかという予想こそが、歴史がその方向に向かうのを妨げる行動を引き起こしたのである。
 したがってわれわれは、現在は様々な可能性に満ち、そのなかから自由に選べるが、あとから思うとその選択はすでに定まっており必然だったという、よくある思いこみを逆転させなくてはならない。むしろ、いまは〈運命〉に導かれていると思って行動していても、あとで振り返ると、過去に別の選択肢、別の道に進む可能性があったことがわかる、と考えるべきなのだ。
 言い換えれば、過去をさかのぼって解釈し直すことはいくらでもできるが、未来に関してはそれができない。だからと言って、未来を変えることが不可能なわけではない。未来を変えるためには、まず、別の未来に向かう道が開けるように過去を解釈し直し、過去を(「理解する」のではなく)変えるべきである。ロシアによるウクライナ侵攻は新たな世界戦争を引き起こすのか? その答えは、逆説的なものでしかありえない。すなわち、新たな戦争が起こるとすれば、それは必然の戦いなのだ。デュピュイが主張するように、「たとえば災害などの大規模な出来事が起こった場合、それは、起こるべくして起きたのである。一方で、災害が起こらなかったのであれば、その災害は不可避でないということになる。それゆえに、出来事の実現、つまりそれが起こったという事実が、それが起こる必然性を事後的に作りあげているのだ[※2]」。
 (アメリカとイラン、中国と台湾、ロシアとNATO……のあいだで)全面的な軍事衝突が起これば、われわれの目には、それは起こるべくして起きたように見えるだろう。すなわち、人は無意識にその戦争に至るまでの過去を、戦争勃発を余儀なくさせた一連の出来事として解釈する。戦争が起こらなければ、同じ出来事は今日われわれが冷戦を理解するように解釈される。つまり、一触即発の状態が何度も訪れたが、どちらの側も世界戦争が致命的な結果を招くことを承知していたため大惨事が回避された、とみなされるのだ。
 中国の初代総理だったしゅうおんらいに関してこんな逸話(ほぼ作り話であることは間違いない)がある。一九五三年、朝鮮戦争の終結を目的とした平和交渉のために周がジュネーヴを訪問中、フランス人ジャーナリストが、フランス革命について彼の意見を求めた。一説によると、周は「いまはまだわからない」と答えた。ある意味では、周の言うとおりだった。その後、一九八〇年代後半に起こった東欧における「人民民主主義」の崩壊とともに、フランス革命の歴史的意義に関する論争が再び高まった。自由主義を掲げる修正論者たちは、一九八九年の共産主義の終焉がまさに絶好のタイミングで起こり、一七八九年に始まった一時代に終止符を打ったと主張する。彼らによれば、これはジャコバン派(注:フランス革命の急進的な政治党派)とともに誕生した革命モデルにとって決定的な失敗であった。しかし、フランス革命の意義をめぐる議論は、いまなお続いている。今後、政治的および社会的な束縛からの解放を目指す急進的な政治体制が新たに台頭すれば、フランス革命は歴史的な行き詰まりとはみなされないだろう。
 それはともかく、周恩来の話に戻ると、この出来事はおそらく次のように起こったと思われる。一九七二年、訪中していたヘンリー・キッシンジャーに、一九六八年にフランスで起こった抗議運動について意見を求められた周が、「いまはまだわからない」と答えたのである。この場合も、彼の言っていることは正しかった。一九六八年はフランスにとって左派による反体制運動の年だったわけだが、そのスローガン(「排他的な」大学教育政策に反対、性役割からの解放に賛成など)はまもなく政府によって適切な形に修正され、ネオリベラルかつ自由放任の資本主義へのスムーズな移行を可能にした。また、大学教育は短期マネージメントコースに取って代わられ、性役割からの解放は性の商品化に繋がった。その意味では、次のようなことが言える。

 未来が現実となっていない限り、その未来には破局が含まれると同時に、それが起こらない可能性も含まれることを考慮しなければならない。そのふたつの可能性は、一方の出来事が起きた事実によってもう一方が事後的、、、に必然となる、関連した状態で存在するのだ[※3] 。

ふたつのまろやかなクソ――原理主義右派と自由主義左派

 とはいえ、軍事、生態系、社会制度の崩壊か、それを防ぐための試みのどちらかが起こりうるということではない。その認識はあまりに安易すぎる。われわれが手にしているのは、ふたつの「重複発生した必然[※4] 」である。現在、人類が陥っている窮状では、地球規模の大惨事が起こることと、第二次世界大戦以降の歩みが着実にそれに向かっていることが必然であると同時に、われわれがそれを防ぐための行動を起こすことも必然なのだ。この重なった必然が崩壊すると、どちらかのみが実際に起こることになるため、どちらが起ころうと、歴史は起こるべくして起こったことになる。
 社会主義のユーゴスラヴィアで過ごした私の青年時代に、トイレットペーパーに関する奇妙な出来事が起こった。あるとき、店のトイレットペーパーが不足しているという噂が広まったため、行政府は速やかに、通常の需要を満たせる在庫はあると声明を出した。驚いたことに、この声明は真実であったばかりか、国民はそれが真実であるとおおむね信じた。ところが、一般消費者はこう考えたのである。噂がでたらめでトイレットペーパーが足りていることはわかっている。だが、もしも一部の人々がその噂を真に受けてパニックを起こし、余分にトイレットペーパーを買いこめば、実際に足りなくなるかもしれない。だから私も少し買い置きしておこう……と。この消費者が買い溜めをするのに、ほかの買い物客が噂を真に受けたと思う必要すらなかった。たんに、噂を真に受けたと思う人々がいるかもしれないと思っただけで、店は実際にトイレットペーパー不足に陥ったのである。
 この行動を、今日われわれが取るべき姿勢、つまり、破局を避けられないものとして受け入れる必要があることと混同してはならない。嘘から始まったのに、その嘘が示唆したことが現実化した噂とは違い、われわれの世界は実際に破局へと急速に近づいている。そして、われわれが抱えている問題は、いま私が挙げたような自己成就的預言ではなく、脅威を口にし続けるだけで何ひとつ対策を講じないという自己破壊的なものなのだ。
 よって、「もしも知性を持つ地球外生命体がすでに地球を訪れているとしたら、なぜ人間と接触を図ろうとしないのか[※5]」という大きな疑問に対して、研究者の一部が「しばらくのあいだ観察した結果、人間がとくに興味深い存在ではないと判断を下したのではないか」という答えを導きだしたのも無理はない。人間は比較的小規模な惑星の優占種であるにもかかわらず、その文明を幾通りもの自己破壊(気候および生態系の破壊、核による自己消滅、世界規模の社会不安)へと駆り立てながら、それに関してほぼなんの対策も講じていないのだから。ポリティカル・コレクトネス(注:政治的な正しさ)を掲げる今日の「左派」――大規模な社会的連帯を目指す代わりに、将来味方になりそうな者さえ偽りの道徳に基づく厳格な基準によってふるい落とし、あらゆる場所に性差別や人種差別を見出すことで、新たな敵を作り続けている人々――による愚行は言うまでもない[※6] 。
 たとえば、二〇二二年十一月のアメリカ大統領選中間選挙前の、「民主党は中絶の権利のみに焦点を絞るべきではない」というバーニー・サンダースの警告に対する反応もそうだ。サンダースは、民主党が広範な目標を掲げる必要があると訴え、アメリカが直面している経済危機に注意を向け、共和党の「反労働者」的な見解がいかに労働者階級にとって有害であるかを指摘すべきだと主張した[※7] 。するとサンダースは常に中絶の権利を支持してきたにもかかわらず、一部の熱烈なリベラル・フェミニストが即座に、反フェミニズムだとして彼を強く非難した。
 地球を観察している前述の異星人は、サンダースとは対極にある政治家に関する奇妙な事実にも目を留めたにちがいない。イギリスのリズ・トラス首相がわずか数週間の就任期間中に、支援を訴える労働者階級を無視し、自分の認識する市場の需要に従うという経済対策を取ったという事実である。とはいえ、トラスの失墜を招いたのは一般大衆の不満ではなく、彼女が重要視したその市場(株式市場や巨大企業など……)が政府の打ち出した予算案を見てパニックを起こしたことだった。これもまた、どんなに進歩的であろうと大衆に迎合していようと、今日の政策が資本の利益を代表していることの紛れもない証拠である。
 一部の報道によると(予想どおり、クレムリンは否定したが)、二〇二二年十二月初め、プーチンは自宅の階段から落ち、そうをしたそうだ[※8] 。バイデンも二〇二一年にローマ教皇を訪問したさい、同じ経験をしたと言われている[※9] 。たとえ真偽のほどは疑わしくとも、これらの逸話は「真実でなくとも、なかなかよくできた話」であり、われわれ人類が置かれた現状を的確に表している。つまりわれわれは、新たに台頭した原理主義右派と、自由主義「ウォーク(注:woke。人種差別や社会問題に対して関心を持つこと、敏感でいることを意味するスラングで、覚醒したという意味。過剰な意識の高さに対して否定的なニュアンスで使われることが多い)」左派という、ふたつのクソに挟まれているのだ。ちなみに、クソは実際に目下の流行となっている。世界で最も高価なコーヒー、「コピ・ルアク」は文字どおり、東南アジアおよびアフリカのサハラ砂漠以南に生息するネコ科生物、ジャコウネコが一部を消化し、ふんとして排出したコーヒー豆から作られている。ジャコウネコの消化酵素がコーヒー豆に含まれるタンパク質の構造を変え、酸味を薄めて、まろやかな味にするのだ。コピ・ルアクの大半はインドネシアで生産され、アメリカに輸出されて、一杯八十ドルのコーヒーとなる[※10] 。今日波及しているイデオロギー、とくに右派ポピュリストのイデオロギーは、まさしくイデオロギー版コピ・ルアクと言えるのではないだろうか。
 世界各地の政治指導者は、社会的束縛からの解放という伝統の最も高潔な部分(反ファシスト、反人種差別闘争、営利に重点を置く快楽主義的な生き方の拒否、一般人を搾取する金融エリートとの闘い、植民地主義の名残なごりを撤廃する試みなど)を呑みこむ。すると、ネオファシストあるいは新自由主義の消化酵素がそれぞれ、既存のグローバル資本主義体制を破壊しているふりをしながら急進的な酸味を取り除き、その資本主義体制に適合するまろやかなクソ(糞)へと変えているのだ。

「新しい何か」の到来を選ぶために

 ここで、真実と嘘の関係という非常にデリケートなテーマに触れるとしよう。次の退屈なジョークには、現在人類が陥っている窮地をほのめかす興味深いオチがある。
 ある日、妻が夫に、近くの店に行き煙草たばこをひと箱買ってきてほしいと頼んだ。彼は買い物に行くが、すでに夜とあって店は閉まっていた。そこでバーに行き、バーテンダーのグラマーな女性と意気投合して、彼女のアパートで何時間か情熱的に愛を交わしたあと、煙草を買うのにこれほど長くかかったことを妻にどう説明したものかと頭を悩ませ、あるアイデアを思いつく。そして、その女性にベビーパウダーがあるかと尋ね、それを手にすりこんで家に帰った。かんかんに怒って待っていた妻にどこにいたのかと問い詰められると、彼はこう答えた。「店が閉まっていたから、近くのバーに煙草を買いに行ったのさ。そこでバーテンのグラマーな女性に色目を使い、彼女の部屋でベッドインして、二時間ばかり愛を交わし、家に帰ってきたんだ……」。
 「この嘘つき!」妻がさえぎった。「両手についているパウダーに気づかないとでも思ったの? ずっとやりたかったことをやったのね? あれほどだめだと言ったのに――友達と深夜のボウリングに出かけたんでしょう!」。
 このジョークは、今日のイデオロギーがどう機能するかを表している。つまり、真実を告げると同時に、確実にそれが嘘だとみなされる状態を作りだしているのだ。たとえば、二〇二二年七月、ベラルーシの大統領、アレクサンドル・ルカシェンコが、「忘れっぽいヨーロッパ」に、祖先が犯した(ファシストの)罪の道徳的浄化を行うよう要求した[※11]が、この要求の実際の意図は、ヨーロッパの中核をなす急進的かつ解放主義的、反ファシスト的な伝統を消し去ることにあった。道徳的浄化を求めるそうした要求のあとには、混じりっけなしの荒々しい怒りが爆発することが多い。ペーター・スローターダイクが指摘したように、ヨーロッパ文明の起源ともいうべきホメロスの『イリアス』は、アキレスの怒りの歌から始まるのだ。であれば、ヨーロッパの最後を語る詩は、「プーチン大統領の怒りを歌え――ヨーロッパに数知れぬ死と喪失をもたらした残忍で呪うべき怒りを」という言葉で始まることになるのだろうか。この怒りは、二〇二二年十月、ウクライナの一部の統合を記念して赤の広場で催された大規模な軍事パレードで披露された。俳優であり歌手のイヴァン・オフロビスティンが、扇動的なスピーチを以下の激励で締めくくったのである。

 われわれはこの戦いを聖戦と呼ぶべきだ! 聖戦だ! 古代ロシア語にゴイダ(Goida)という単語がある。ゴイダは即時行動を要請する言葉だ。今日、われわれにもこれと同じような雄叫おたけびが必要だ! ゴイダ、兄弟姉妹たちよ! ゴイダ! 旧世界の人々よ、われわれを恐れるがいい! 美と真正の信仰と英知の欠如した狂人や変態、悪魔崇拝者の支配する世界よ! われわれを恐れろ――われわれが成敗しに行くぞ! ゴイダ!!![※12]

 「ゴイダ」は、とくに近代では「さあ、行くぞ! 考えるな! とにかく従い、やれ!」という意味を持つ。(実際および想像上の)敵を苦しめたと言われるイワン雷帝直属の親衛隊、オプリーチニキの雄叫びとしても使われたこの古代ロシア語が、無慈悲なテロ、拷問、殺害を示唆しているのは明らかだ。ついでに言うと、この数十年で唯一、オフロビスティンの激励と同じくらい扇動的なスピーチは、一九四三年初め、スターリングラードの戦いに敗れたあと、ゲッベルスがベルリンで行った悪名高い「総力戦演説」である(実際、美と真正の信仰と英知の欠如した狂人、変態、悪魔崇拝者からなる世界とは、まさしくプーチンの世界そのものだ)。しかし、赤の広場で行われた軍事パレードは、見せかけの祝典だったことを心に留めておくべきだろう。群衆のほとんどが、この祝典のためにバスで運ばれてきた国家職員であり、その大半がオフロビスティンのスピーチに熱狂するどころか、恐怖の表情を浮かべるか、無関心な反応を示しただけだった(のちにテレビ局がこの映像に拍手と歓声を加えた)。
 今日のロシアが、イデオロギー的コピ・ルアクの最たる例であることは間違いないが、それがロシアとその同盟国のみに限られると思いこむほど危険なことはない。トランプを支持するネオコン(注:米国の軍事力を積極的に利用し、自らの掲げる民主主義や自由を広めていこうとする新保守主義に同意する保守派)が差しだしているのも、似たようなコピ・ルアクではないか? 最も高潔な自由民主主義イデオロギーも、グローバル資本主義による搾取と「人道主義的な」軍事介入を正当化するために、われわれのネコによって消化されているのではないだろうか? 人類はみな、この「クソ」のような状況に、ひざまで埋まっているどころか――汚い表現を使っても差し支えなければ――ケツまでどっぷり浸かっているのだ。
 そういうわけだから、地球を観察している異星人がいるとすれば、こうした病に感染しないために人類を無視するほうが、はるかに安全だと判断するにちがいない。一方、われわれが「新しい何か」の到来を選ぶならば、そのときは異星人の注目に値する存在になれるかもしれない。本書は、その「新しい何か」を実現するための指針を探っている。また、たんに厳しい現実を認識するだけではなく、本当の意味での目覚めをもたらそうという切迫した試みでもある。何よりも、われわれはいまこそ目を覚まし、新たな自分へと変わっていかねばならないのだ。

※1 Jean-Pierre Dupuy, The War That Must Not Occur, Redwood City, Stanford
University Press, 2023 (quoted from the manuscript).
※2 Jean-Pierre Dupuy, Petite metaphysique des tsunamis, Paris: Editions du Seuil,2005, p. 19.
※3 Ibid.
※4 Dupuy, The War That Must Not Occur.
※5 ‘Aliens haven’t contacted Earth because there’s no sign of intelligence here, new answer to the Fermi paradox suggests’, Live Science, 15 December 2022: https://www.livescience.com/aliens-technological-signals
※6 See Thomas Frank: https://www.youtube.com/watch?v=VWKsTzHwIsM&t=2s
※7 ‘Sanders warns Democrats not to focus solely on abortion ahead of midterms’, Guardian, 10 October 2022: https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/10/bernie-sanders-democrats-warning-abortion-economy-midterms
※8 ‘Vladimir Putin fell down stairs at his home and soiled himself. . .’, MailOnline, 2 December 2022: https://www.dailymail.co.uk/news/article-11494595/ Vladimir-Putin-fell-stairs-home-soiled-himself.html
※9 ‘#PoopyPantsBiden: The REAL “accident” behind hashtag, and how trolls gotit wrong’, MEAWW.com, 8 November 2021: https://meaww.com/bidenbathroom-accident-happened
※10 ‘The disturbing secret behind the world’s most expensive coffee’, National Geographic.com: https://www.nationalgeographic.com/animals/article/160429-kopi-luwak-captive-civet-coffee-Indonesia
※11 ‘ “Forgetful Europe” urged to go through moral cleansing’, BelTA, 2 July
2022: https://eng.belta.by/president/view/forgetful-europe-urged-to-gothrough-moral-cleansing-151504-2022/
※12 Everyone should take a look at this horror: ‘GOIDA! Russians advocate for dialogue and reason! Ivan Okhlobystin’: https://www.youtube.com/watch?v=FMECmLXXPrs


※この続きは『戦時から目覚めよ 未来なき今、何をなすべきか』でお楽しみください。

スラヴォイ・ジジェク
思想家。1949年スロベニア生まれ。リュブリャナ大学社会学研究所教授。ラカン派精神分析の立場からヘーゲルの読み直しを行い、マルクス主義のイデオロギー理論を刷新、全体主義などのイデオロギー現象の解明に寄与した。他方、社会主義体制下のユーゴスラビアで反体制派知識人として民主化運動に加わり、指導的な役割を演じるなど現実的な問題に対しても今日まで積極的な発言を行っている。著書に『イデオロギーの崇高な対象』(河出文庫)、『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)など多数。

訳者 富永晶子
翻訳家。獨協大学外国語学部英語学科卒業。訳書にブライアン・メイ『Queen in 3-D クイーン・フォト・バイオグラフィ』、ノーム・チョムスキー『壊れゆく世界の標』(NHK出版)など。

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