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ハーバード教育大学院で活躍の心理学者が「みんな同じ」に潜む危険性を解説

 なぜ日本人男性の育休取得が進まないのか? 思い込みから起きた飛行機墜落事故の真相とは? 移植用腎臓の10%が無駄になる理由とは?
 「集合的幻想」とは、事実に見えたことが実際には思い込みだったにもかかわらず、間違った認識のまま大勢が行動すること。この集合的幻想は現在、社会や組織、個人にいたるまで大きな弊害をもたらしています。『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』(NHK出版より5月25日発売)では、自身も「幻想」を体験した心理学者トッド・ローズが、脳科学・心理学の知見と多くの事例をもとに、幻想にとらわれる過程、打破する方法を解説!
 刊行を記念して、本文の一部を特別公開します。*本記事用に一部を編集しています。


脳の予測ミスで「現実」が変わる

 脳は大量のエネルギーを消費する。たとえば、毎秒11メガバイト相当の情報を目から取り込むことができるが、意識的に「見る」画像として「アップロード」できる情報は毎秒60バイトほどにとどまる。これは、パリの全住民の顔が目の前にあるのに、そのうち8人しか見えていないのと同じことだ。
 時間と精神的エネルギーを節約するため、脳は2つのことをしている。1つは、アップロードする情報の選別。「新しいものはある? 何か変わった? それは重要? 重要でないなら、もう知っていて理解もしている規範とパターンに頼って、エネルギーを節約しよう」と脳は考えている。もう1つは、超高速の予測。事前の知識と経験をもとに、意識的思考が割り込む隙もなく、欠落した情報が補われる。そこにあるであろうものをすばやく推測することにより、脳は次の展開についてかなりいい勘をはたらかせている。
 つまり、現実をありのままに処理するコンピューターとは違うのだ。すべてについて100パーセント正確であろうとしても、それは認知能力の盛大な浪費でしかない。ゆえに脳は重要でない詳細を省き、本当に必要なものに注力する。いま起きていることを理解し、変化を予測し、妥当な反応ができるようにするためだ。
 たとえば、道を歩いていて駐車場の出口の前に差しかかったところで、車が自分のほうにバックしてきたら、次の展開をただ待つ人はいない。反射的に避けるだろう。一方で、脳は予期しないことへの準備も整えている。この車が急に前進しはじめて駐車しなおしたら、予測した展開と実体験との比較が無意識におこなわれ、必要なら未来予測モデルが修正される。しかし、「起こる可能性があること」の予測にあまりに頼るせいで、脳は「現実に起きていること」を誤って解釈する傾向がある。
 証拠として、次の図を見てほしい。AとBのマスは、どちらのほうが明るいだろうか? 当然、Bだと思うだろう。

 ところが実際には、AもBもまったく同じ明るさだ。ではなぜ、そう見えないのだろうか? それは、暗がりで見た薄灰色が非常に暗く感じられた過去の経験から、影がかかることによる外見上の効果を脳が知っているからだ。この図を見ると、ありのままの現実(2つのマスは同じ明るさである)と脳の予測(Bは影のせいで暗く見えるが実際にはAよりも明るい)との衝突が起こる。その結果、予測したもののほうが勝ち、脳は予測に合わせる形で文字どおり現実を書き換えてしまうのだ。
 追加の証拠として、図に2本の線を引いてみたので次の図を見てほしい。線でつながったAとBのマスが同じ明るさであることがわかりやすくなっただろう。

 目の錯覚は次のような仕組みになっている。空白を埋めるとき、脳はよく誤解する。そして、パターンに基づいた予測が外れると、混乱が起きる。そこで、すでに理解しているパターンで自動的に知覚を包み込むことで、混乱を収めようとするのだ。
 この世界の速いペースについていくには、いま抱えていることに絶えず予測を働かせなければならない。それは自己保存本能の一部だ。しかし、その予測のせいで、入ってくるすべての情報がゆがむという問題がある。なかでも社会的な状況では、他者の考えについての憶測が積み重なりやすく危険だ。人は「客観的現実」が認識できると思いがちだが、実際にはそんなことはできない。脳がフィルターとプロジェクターの機能を持っているからだ。個人や集団についての推測も、正確さではマスの暗さを見分ける能力と変わりない。私たちを集合的幻想の被害者だけでなく発生源にもしている元凶が、この推測の問題だ。

間違いだらけの推測

 人は他者が何を考えているのか理解しようと常に努力している。問題は、心のなかが確実にはわからないことだ。相手の言葉や行動、それを解釈する事前知識をもとに推測することしかできない。
 それゆえ、他者の考えを推測する「メンタライジング」という認知過程に全力を注ぐ。fMRIを使った神経科学の実験により、社会的環境の理解に関わる脳領域(内側前頭前皮質、前部側頭葉、側頭頭頂接合部、内側頭頂葉皮質)がメンタライジングのときにも活性化することが明らかになっている。この脳の仕組みは、高確率で間違う。読もうとしているのが集団の考えでも個人の考えでも、その推測は的外れであることが多い。そこには、他者が受けている社会的影響の強さを過小評価するという単純な原因がある。
 仲間内のプレッシャーが全員に影響していることはわかっても、各自の度合いについてはわからない。怒りや恥ずかしさなどと異なり、人との関わりにおける不安は明確な素振りとして現れないからだ。バカにされたり疎外されたりすることへの不安を他者が抱いているかを確実に知る方法はない。かすかな手がかりを注意深く見ている人がほとんどいないことは確かだ。
 結果として、覚束なさ、見当違い、目立つことへの怖さが襲ってくる。そして、他者の心を読みまちがえ、気づかないうちに誤った解釈に基づいて自分の感覚と思考、行動を変えることになる。すべての言葉と行動はその人の内面を素直に反映していると考えがちだが、それは単なる誤りであるため、問題はより深刻化する。運転中に無理やり追い越されたら、なんてバカなやつだと思うだろう。じつはその運転手は、愛する人との最期の別れのために病院に急いでいるところかもしれない。心を読むことは不可能なので、自分が持っている不完全な情報をもとに(間違いの多い)推測をするのだ。
 他者を読みまちがえる傾向は社会的規範により悪化する。人を傷つけないためにつく善意の噓のことを考えてみれば、よくわかる。
 友人の家でパーティをしているところを想像してほしい。料理はターキーと付け合わせだ。肉を口に入れると、「うわ、ぱさぱさだ」と心のなかでつぶやく。一緒に吞み込んでしまおうと、フォークでマッシュポテトを取る。
「ターキーの味はどう?」と招待してくれた友人が尋ねる。
 あなたが答えるまえに、誰かが「おいしいよ!」と言い、その場の全員がうなずく。友人は満面に笑みを浮かべる。
 最後にあなたも言う。「うん、おいしい!」
 まさか、「薪でも食べてるみたいだ」とぶちまける人はいない。この状況での正直は、頭にバカのつく正直だ。友人への優しさがあり、友達をなくしたくなければ、誰でも「おいしい」と言う。ぱさぱさのターキーについて本音を隠すだけなら、大したことではないかもしれない。しかし、社会やモラル、経済、政治の大きな課題について真実を伏せる行為はどうだろうか。出席者のあいだでソースをまわしているときに誰かが差別的なことを言って、誰もそれを注意しなかったら、明らかに不適切な発言も許容されたように見えてしまう。さらに、パーティの席に収まらない重要な社会課題を話し合っているときであれば、正直さと本音を出ししぶることは深刻なマクロレベルの問題を招きかねない。
 各調査により、人は生活のあらゆる場面で真実を隠すことがわかっている。遠慮して口を閉ざすことは和やかなパーティを守る役に立つが、より広いレベルでは、自分たち以外の考えに触れる機会がなくなり、社会の分極化が進むことになる。本音で指摘しない人が一定数を超えた行動は、もはや止めるもののない普通のこととして再生されるにいたる。
 ターキーについての噓は、比較的無害な小さい隠蔽行為だ。しかし、それとは比べものにならないほど重要な課題で誤解が起き、無数の人々のあいだに広まったら、どうなるだろうか?

まずは誤解だと気づくこと

 成功の定義に関するシンクタンクの調査結果では、回答者が思う一般的意見と実際の一般的意見に大きな隔たりがあるという集合的幻想が浮き彫りになった。回答者の97パーセントは、「自分の興味と才能に沿って行動し、好きなことを最大限追究する」ことを成功の定義とした。一方で、世間一般では富と名声を得ることが成功と考えられているという回答も、ほぼ同数の92パーセントにのぼった。
 自分のなかでの成功と、みんなのなかでの成功はまったく違うと考えているということだ。実際にはほとんどの人にとって、教育や人間関係、人格で測られる「よき人生」が大切で、ステータスは重要度が最も低い。一般的には、他者から愛され大切にされ、快適な暮らしを営み、よき親になり、やりがいある仕事をし、健康を保ち、コミュニティに貢献することを誰もが望んでいるのだ。
 しかし、そのメッセージは子供たちに届いていない。たとえば、名声はあまり重要視しないと明言する大人が周囲にいない子供は、どのようなメッセージを受け取るだろうか?
 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の心理学者チームによる、テレビ番組が伝播させた価値観についての研究がその答えを示している。アメリカでは、1960〜70年代のホームドラマの多くがコミュニティをテーマにしていた。1997年まではコミュニティ意識が、テレビ番組を通じて伝播する価値の第1位を占めていた。そこに大きな変化が起きる。
 それはインターネットの登場だ。史上初のフルデジタル世代が吸収していた価値観は従来と異なり、名声が第一で、達成感や知名度、イメージ、財産がそれに続いた。これらの価値観は、オーディションで歌手を輩出する〈アメリカン・アイドル〉や、高校生とロックスターの二重生活を描いた〈シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ〉などの番組の影響を強く受けていた。
 2000年代にはユーチューブやフェイスブック、ツイッターが爆発的人気を集め、人々の自己意識(自撮りなど)を搔き立てて自己陶酔への新しい道を拓いた。いま、子供たちのいちばんの憧れはユーチューブ界のスターになることだ。アメリカの子供の多くは名声という幻影を追い求め、幻想のような世界で自分をよく見せることが成功だと考えている。
 この夢物語がさかんに売り込まれるのは、広告を出す側も幻想にとらわれているからだ。消費者は名声を求めていると企業は考えている。それは「みんな」が名声を求めていると誰しも考えているからであり、要するに企業は消費者の想像上の望みを叶えていることになる。こうして、子供たちの教育と社会の未来が集合的幻想に絡め取られているのだ。
 幻想に屈することは自分だけでなく他者にも影響する。近しい家族や友人とのあいだで起こる推測の誤りは所属する集団のなかでも発生し、多数派の意見を読みまちがう結果となる。成功の幻影を追い求めると、行き着く先は勝者の数だけ敗者が出る、オーディション番組のような情け容赦ないゼロサムゲームだ。
 しかし最大の悲劇は、「みんな」の価値観も実際には自分と違わないことにある。互いに言わないだけ、気づいていないだけなのだ。情報の氾濫、少数意見の膨張、認知的な近道のせいで、共通の価値観をともに歓迎することができないでいる。「いいね!」がつかないことを恐れるせいで、共有しているはずの現実が語られず、認識されずにいる。
 このトレンドは、人類全体の危機だ。下の世代は上の世代の文化的習慣と社会的規範をもとに行動を形成するものであり、模倣によって自分は何者か、所属とは何かを理解する。ある世代の集合的幻想が、次の世代の私的意見になるのだ。
 いまやソーシャルメディアを避けて暮らすことはできず、またテクノロジーやメディアにこの問題の解決は期待できない。解決策は私たち自身のなかにある。まずは、集団について思っていることのほとんどは誤解だと気づくことだ。それらの幻想が自分の行動におよぼす影響も、実生活のコミュニティ・メンバーへの見方におよぼす影響も制御できる。誰にでも、かならずできるようになる。脳が社会的現実を正確に読み取ってくれると信頼することは、もはやできないと気づくべきだ。
 ありがたいことに、集合的幻想は強力だが脆くもある。幻想が存在できるのは、私たちがそれを許しているからにすぎない。力を合わせれば、幻想のない社会、全員にとってよりよい社会を実現できる。そのためには、幻想の発生と存続に対する責任を、1人ひとりで分担しなければならない。

© Jon Speyers

著者紹介
トッド・ローズ Todd Rose

誰もが活気ある社会で満ち足りた人生を送れるような世界の実現を目指すシンクタンク〈ポピュレース〉共同設立者・代表。ハーバード教育大学院心理学教授として〈個性学研究所〉を設立したほか「心・脳・教育プログラム」を主宰した。著書に『ハーバードの個性学入門――平均思考は捨てなさい』(早川書房)、『Dark Horse――「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』(共著、三笠書房)がある。

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