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潔癖だった父の「流儀」がコロナ禍で「ふつう」に――「マイナーノートで」#25〔衛生観念〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


衛生観念

 口のなかに違和感をおぼえた。舌で探ると、口内炎だった。3年ぶりだ。しばらく会わないが、そして会いたいわけではないが、なつかしい友に会うような気がした。

 これまでも、疲れがたまるとそのたびに口内炎に見舞われた。それが体調の危険信号、しごとを減らしなさい、といういつものからだからのメッセージだった。思えば毎年、一定の時期になると熱を出して風邪をひいた。常備薬をぶちこみ、ふとんを被って寝るだけだが、よほどの貧乏性なのか、しごとをしているときは風邪をひかず、さあ明日から休み、というときに限って熱を出す。そのためにせっかくの休暇が台無しになった。テンションの高いときには、気力で保たせているのだろう。それが落ちると抵抗力も落ちるらしい。

 それがコロナ禍のもとの3年間、みごとに風邪知らずだった。コロナにも感染しなかった。年寄りを介護していたために注意深かったこともあるが、外出するときにはマスクを着用し、帰宅のたびに手洗いとうがいを励行していたからだ。COVID-19に限らずあらゆるインフルエンザの予防の基本の「き」は、うがいと手洗い。その効果があったのだろう。ふだんから衛生に気をつけていれば、コロナにもかからないということを立証したようなものだ。

 家に帰ってまっさきに手を洗い、うがいをするたびに、苦笑しながら父を思い出した。パパ、あなたの言うとおりのことを、あたしはやってるわよ。……内科の開業医だった父は、外出から帰った子どもたちに厳格だった。うがいと手洗いはもとより、足も洗わせた。洗面所についてきて、やりとげるまで監視しさえした。友人たちのあいだでは、がらがらと音を立ててうがいをするのがわたしのトレードマークになり、友人の家に行ってそれをやると、彼女たちは「あ、ウエノだ」と笑う。

 かれの衛生観は、外は不潔、内は清潔という単純なものだった。他人は不潔、身内は清潔、と言いかえてもよい。だから他人の手で握ったおむすびなど、決して食べようとはしなかった。妻がつくるおむすびならよかった。それだから寿司屋のカウンターなど論外。刺身も火を通させた。母とわたしは父の目を盗んで、友人の寿司好きの親子とこっそり寿司屋に行ったものだ。

 他人を公然と不潔扱いする父に、家族はへきえきしていた。とりわけ母は反抗的だった。旅先でのこと、チケットの自動販売機に入れようとしたコインが、うまく入らずにチャリンと床に転がった。すかさず母が腰をかがめて拾おうとすると、父がすごい剣幕で止めた。「汚い、きたない、そんなもの拾うのやめなさい」と。母が負けずに言い返した、「落としたのがもし千円札だったら、どうするの?」。父はしぶしぶ、「拾う」と答えた。家族の笑い話である。

 わたしがその後、なんでも食べ、どこへでも腰を下ろし、水筒の水を他人と回し飲みするようなサバイバル・タイプになったのは、父の衛生観念への反発があったと思う。ほら見てごらん、パパ、こんなことやってもわたしはおなかもこわさないし、病気にもならない、平気よ、とひとりごとを言う気分だった。父が禁止した買い食いもほこりだらけの露店の食べ物も、なんでこんなつまらないものが美味しいのだろう、と思いながら食べたが、禁忌があればこその「蜜の味」だったのだろう。

 コロナ禍で世間のほうが変わって、父の流儀が「ふつう」になった。生きていたらなんと言うだろう。「パパの言うとおりだろう」とにんまりするだろうか。公共交通機関に乗るときは誰が触わったかわからないつり革やドアに触わるのがイヤで、ビニール袋を持ち歩いた。それに手をつっこんでつり革につかまった。いまなら使い捨てのぴったりしたゴム手袋がある。腰椎骨折をして以来、わたしは階段の上がり下りやエスカレーターではかならず手すりを持つようになったが、そのために手袋をしている。さすがにゴム手袋は怪しく見られそうで、できない。そういえば要所要所に手すりがついていることを発見したのは転倒の効果だった。おや、こんなところにも、と街の配慮は行き届いていた。

 衛生に配慮したのと引きこもりで出歩かなくなったおかげで、コロナ禍の3年間、風邪知らずだった。それが3年ぶりの、ぷちっと口内炎のお知らせである。ブレーキをかけてしごとのペースを落としなさい、という黄色信号なのだろう。

 このところ医者づいている。歯科、眼科、整形外科、内科……年長のオネエさま方が各種の診療カードをまるでカードゲームみたいに何種類も持ち歩いているのを見ていたが、わたしのカードケースも似たような状況になってきた。身体のパーツよりも人間の寿命のほうが延びた時代だ。うらがえして言えば、寿命が尽きるまえに、身体の各パーツにガタが来る。

 歯や眼や膝、さらには臓器などをだましだまし、寿命に合わせて長期の使用に耐えるように使い続けてきたのだ。ときにはパーツを人工物に入れ替えてもいるから、人間の一部はすでにサイボーグになっているかもしれない。

 わたしは今年、後期高齢者になる。未体験ゾーンである。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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