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学校からの注意喚起、いまむかし――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は夏休みが始まる前に、学校で配られた「注意事項」についてのお話です。
※当記事は連載の第40回です。最初から読む方はこちらです。


#40 学校からの通達事項

 子が通う小学校の保護者会で配られた「夏休みに気を付けること」と題されたプリントに「夏休みの宿題にAIおよびChatGPT を使用しないこと。必ず本人にやらせること」と、あった。
 教育機関に勤める人ならもう当たり前なんだろうと思うが、私は衝撃を受けた。少し前ならこんなこと絶対に書かれなかったはずで、いつの時代も便利さは必ず弊害を生むのだ。
 しばらく教室のざわめきが遠のくほど、四十二年間のいろんな記憶が渦巻いているのがわかった。プリントをまじまじ見つめた。目の前でうねる時代というものを強烈に感じた。
 こういう学校側からの注意喚起、人生を振り返って忘れられないものがいくつもあり、子どもながらにうっすら感じていたその年の世相が、細かいところまで蘇る。今回また上書きされた。
 強烈に覚えているのが、私が通っていた区立小学校で、全家庭に通達された「テレビドラマ『高校教師』を子どもに見せるな」というものだ。すでに夕方の再放送から「ボクたちのドラマシリーズ」や「刑事貴族」まで全て見るようなテレビっ子だった私だが、そのドラマは完全に知らなかった。通達のせいで、かえって見たくて仕方がなくなり、親に頼んで土曜日夕方のダイジェスト版だけ見せてもらった記憶がある。ダイジェスト版はかなり大人しく、何故ダメかわからなかった。ラストに出てくる、桜井幸子演じる女子高生の愛するエリーゼというお菓子が気になり、母に頼んで、買ってもらって、すぐさま好きになった。卒業してすぐ聞いた話だが、今度は、学校側から安達祐実主演のドラマ「家なき子」もダメ、と通達があったらしい。どちらも野島伸司作品である。
 安達祐実は同い年で、初めて劇場で見たや実写邦画「REX〜恐竜物語〜」で好きになったせいもあり「内容はまだ見てないからわからないが、厳しすぎるんじゃないか?」と不満を持った。私にとって「家なき子」といえばフランスのマロの児童小説である。あれの日本版が不適切なわけなくない?
 大人になった今、わかるのだが、あの当時の野島伸司作品を子どもに見せないという学校側の判断は正しい。内容が過激というより、野島伸司は社会問題や性暴力を物語のアイテムとして使う割に、それに関して自分なりにどう取り組むかという姿勢が希薄だからだ。
 他には「BB弾で人を射つな」「ビックリマンチョコをシールだけ抜いてウエハースチョコを捨てるな」もあった。先生の口から固有名詞が出るだけで、あの頃はちょっと特別感があった。内容より、先生もビックリマンチョコ知っているの! とはしゃいでしまった。
 女子校に進むと、地下鉄サリン事件が起きたことで、学校中の地下鉄利用者だけ集められ、先生から注意を促される事態になった。
 それから比べるとごくばかばかしい話である。朝の礼拝でも保護者会でも、かなりシリアスな問題になっていた気がするのだが「お弁当を食べながら通学路を歩くな」というものがあった。九十年代は女子高生がものすごく元気だった時で、私も多少はその空気に染まっていたのか、「歩きながらお弁当くらいいいじゃん」とキョトンとしていたような気がする。
 大学は池袋だった。入学式初日、いきなり「置き引きには絶対に注意してください。自分の荷物は手元から離さないように」と職員から通達があり、びっくりした。当時はあの「池袋ウエストゲートパーク」がすぐそばで撮影中だったくらいで、確かに世間的に治安が悪いイメージはあったが、学校内でも窃盗があるのか、と思うと、気持ちが引き締まった。しかし、最近になってたまに講演会などで大学に行くと、治安は良くなった代わりに、西口公園周辺の路上生活者が一掃されていることに気づき、ふと心寒くなる瞬間がある。
 多分、どの世代にもよく覚えている学校側からの注意喚起というものがあり、それはともすると分断されがちな私たちをつなぐ会話の鍵になるのではないかな、と思いながら、子どもの夏休みの課題を確認しつつある。

次回の更新予定は8月20日(火)です。

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

ゆずき・あさこ 1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』『らんたん』『オール・ノット』、初の児童書『マリはすてきじゃない魔女』(エトセトラブックス)など著書多数。3月21日に最新刊『あいにくあんたのためじゃない』(新潮社)が発売。

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