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映画、ドラマ、舞台などで異彩の存在感を放つ、いま最注目の俳優・岸井ゆきのの、ありのままの心の内と素顔

 『#家族募集します』『恋せぬふたり』『愛がなんだ』『神は見返りを求める』をはじめ、数々のドラマ、映画、舞台などで縦横無尽に活躍し、主演作・話題作への出演が続き注目が集まる俳優・岸井ゆきのさん。岸井さんがこれまで明かすことのなかった30歳の女性としてのあるがままの気持ちを「いましか手元にとどめておけないもの」として残した、初めてのフォトエッセイ『余白』が本日発売です。
 53篇におよぶエッセイでは、デビューのきっかけや、作品に臨む姿勢、現場での舞台裏といった仕事にまつわるエピソードはもちろん、子どもの頃にはまっていたことや高校時代の苦い思い出、家族や友人への思い、恋愛や子供を持つことについての気持ちなど、まっすぐで飾らない言葉で紡がれたものばかり。また、岸井さんのパーソナリティに触れる複数の場所で撮り下ろしたポートレートは、等身大の30歳の女性としての魅力から、天真爛漫に撮影を楽しむキュートな表情までありのままの姿をさまざまに映し出しました。さらには、岸井さん自身がプライベートで撮りためた秘蔵スナップも満載し、その人柄と魅⼒を多⾯的に編み上げ、“岸井ゆきののすべて”がわかるプライベート感あふれる一冊です。
 当記事では、『余白』の中から岸井さんがいまの仕事に就く経緯を表した《スカウト》と、書籍のタイトルにもなった《余白》の2つのエピソードをご紹介します。



スカウト

 高校を卒業する直前に電車の中でスカウトされて、そういう道もあるのか、と事務所に所属することを決めた私は、同い年どころか年下の子たちに比べても、スタートがずいぶんと遅く、さらに業界のことなんて何一つわからず、手探りで進んでいくしかなかった。「高校生の役を演じるにしても期限があるんだよ(だから焦りをもってがんばりなさい)」といさめるように言われても、高校を卒業してしまった私の年齢が巻き戻るわけではないし、これからはじめようとする人に遅いなんて言ってもしかたないでしょう、と心の中で受け流すくらいの余裕はあった。
 映画に出会い、この仕事に出会うまでは、道に迷い続けていた私だったから、周囲と比べて自分を追い詰めない、決まらないことを焦らない、と自分を落ち着かせる方法をそのころから自然と身につけていたのかもしれない。
自信も技能も何も持っておらず、失うものもさしてなかったからこそ、堂々としていられたし、怯えて諦めるということもせずにすんだ。
 家族がとくに反対していなかった、というのも大きい。
 私がスカウトされたころ、ちょうど父もヘッドハンティングされて別の会社に転職するところだったからか、「好きにしなさい」と我関せずな姿勢だった。母は「えっ、すごいじゃないの!」と興奮する一方、「詐欺じゃないのか、あとからお金を要求されるのではないか」と疑い、何度か事務所についてきた。でも、どうやらちゃんとした事務所らしい、とわかったあとは、放置された。
 もともと、あれやれこれやれと指図するような両親ではなかったし、高校を卒業し、アルバイトとはいえ自活できているのならば言うことは何もない、というスタンスのようだった。両親と「あなたはしっかりしているからね」「そうね、しっかりしてるからね」なんて言いあう程度で済んだのは、長年〝いい子〟を貫いてきた効用だろう。
 晴れて上京した私は、家賃五万円のアパートに暮らしはじめ、バイトを三つかけもちした。生活費はそれほどかからなかったけれど、できるだけ舞台に足を運んでみたかったから、チケット代を稼ぐ必要があったのだ。せっかく『レ・ミゼラブル』を見るならいい席で、キャストを変えて何度も見たい。レンタルではなく、映画館で映画も観たい。若くて貧乏で何も持っていなかったくせに、精神だけはブルジョアだった。でもきっと、何にお金をかけるかというのは、その人の生き方をあらわすのではないかと思う。
 私は、映画と舞台に触れる時間だけは妥協したくなかったし、そのためにおいしいごはんを食べられなくなるのもいやだから、まかないを出してくれる飲食店でのバイトにした。多くは稼げなくても、自分でなんとかなるやり方で、暮らしは豊かにしたかった。
 ちなみに私を雇ってくれたのは、イタリアンと、フレンチのレストランと、焼き肉店。のちのち、寿司屋でも働いた。コーヒーの専門学校に通おうとしていたくらいなのでコーヒーショップでも働いてみたかったけれど、めぼしいチェーン店は軒並み面接を受けて、そして、全部落ちた。日中のシフトが多いせいか、芸能事務所に入っているというだけで、オーディションがあればすぐに休まれると困ると思われたらしい。
 パズルのようにスケジュールを組み立て、あのころの私は四六時中働いていた。今とは違う意味で忙しかったけれど、充実していた。そうして無理をしてでも舞台や映画館に通い続けたあの生活が、今の私の礎になっている。

余白

 常に自分と会話して、感情を濾過ろかすることに慣れているせいか、私にはあまり怒りの感情が湧かない。というよりも、怒れない。何か嫌なことをされても、怒る前にすっと冷静になって、へえ、と一歩引いてしまう。ときどき、あたりも気にせず怒鳴どなり散らす人を見ると、なんでそんなことをするんだろうと恥ずかしくなるし、顔を真っ青にしてうつむいている人を見るといたたまれない気分になる。一方で、思いのままに感情を発露できるのは幸せなことだよな、とも思う。
 わかってほしいわけじゃないけど、伝えたいことは確かにある。そのもどかしさを抱えながら黙ってしまうことが、私はとても多い。わかってもらいたい気持ちが先走って、相手に気持ちを押しつけてしまうほうが、いやだからだ。人に優しくするためには余裕が必要だ。だから私はできるだけ、心にも、体にも、スケジュールにも、状況にも「余白」を残しておくようにしている。私はこんなにがんばっているのに! と攻撃的になってしまわないように。自分自身に余裕がなくても、ちゃんと周囲に気を配って、全体を見られる人であれるように。
 常に百パーセント全力を尽くすことは、すばらしいことのように語られがちだけど、それだけ気力も体力も消耗してしまう。それよりも、余力を残して八十パーセントくらいで稼働するほうが、予定外のことが起きたときにも、追い詰められずに対応できていいのではないだろうか。スマホやパソコンのバッテリーも、常にフル充電させておくとかえって劣化が早くなるというじゃないか。
 もちろん私だって、息を吸うように余白をつくれるかというとそんなことは決してない。意気込むとストイックになりすぎてしまうのを知っているからこそ、常になんとなくバランスをとるよう努めているのだ。そのために実践しているのが、一日一回、自分を褒めること。忙しすぎて、自分のこともまわりのことも見えなくなりそうなときほど、自分を甘やかしてあげたほうがいいと、ある人に勧められた。褒めることなんて一つもない冴えない日だってあると思うのだけど、その人は「絶対に何か一つは褒めることがあるから、無理にでも探しなさい」と私に教えてくれた。
 言われたとおり、無理やり探した。ちゃんと皿洗いをしたとか、筋トレをサボらなかったとか、眠かったけどパジャマに着替えたとか、あたりまえすぎて褒めるほどでもないことも「私、えらい!」と褒めるようにしてみた。すると、褒め癖がついたのだろう、今日の現場はピリついていたけど、持ち前の明るさで乗り切った私、えらかったな。というように、自然と自分のいいところが思い浮かぶようになっていった。積み重ねによって、少しずつ自分のことを肯定できるようになった。
 変わり映えのしない生活のなかでも、自分を褒めてあげられる余裕をもつだけで、心は豊かになっていく。だから忙しくないときでも、一日一回、私は必ず自分を褒めて、甘やかすことに決めている。

(了)

*続きは『余白』でお楽しみください。

プロフィール
岸井ゆきの(きしい・ゆきの)

1992年2月11日生まれ、神奈川県出身。2009年女優デビュー。以降映画、ドラマ、舞台と様々な作品に出演。17年、映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞受賞。19年『愛がなんだ』では、第11回TAMA映画賞最優秀新進女優賞ならびに第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得。そのほか近年の主な出演作には、ドラマ『#家族募集します』『恋せぬふたり』、映画『やがて海へと届く』『神は見返りを求める』『犬も食わねどチャーリーは笑う』『ケイコ 目を澄ませて』など多数。
岸井ゆきのさんInstagram

写真=熊木 優

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