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人間と生命を読み解く解像度が格段に上がる! 慶應SFC人気教授による目ウロコの講義

生物学者の黒田裕樹さんによる新書『希望の分子生物学 私たちの「生命観」を書き換える 』が発売となりました。
分子生物学という分野は、医療、産業、環境など社会へ広範な影響を及ぼすだけでなく、生物学的な〈わたし〉という存在への理解を深めるのにも役立ち、人間と生命を読み解く解像度が格段に上がると著者は言います。
今回はその発売を記念し、内容の一部を特別公開します。


はじめに

 私が慶應義塾大学において実施している授業の中でも、最も人気がある授業が毎年9月末から1月半ばにかけて行われる「生命現象と現実社会の比較論」というものです。履修希望者は定員の2倍を大きく上回っていて、熱望する学生らには優先履修チケットを販売したいくらいです(冗談です)。
 まず、9月末に行われるガイダンスも兼ねた初回の講義では、どの回に興味があるかを学生に尋ねます。私がスライドで表示したQRコードを学生らはスマホで読み取り、フォームより回答します。その回答結果はただちに前方スクリーンに表示されます。
 例年、最も人気があるのが「絶対に失敗しないダイエット」の回であり、そのほか、「恋愛」にからめた回も人気があります。逆に最も人気がないのが、「卵から胚へ」という私が専門とする発生生物学の回です。そのような内容に興味を抱かせることが使命だと思って、自らを奮い立たせている次第です。
 ガイダンスの中では「絶対に失敗しない」が本当であることを示すために私自らが痩せてみせることを宣言します。すかさず、TA(ティーチング・アシスタント)が体重計を取り出し、書画カメラで体重計の数値を前方画面に映し出します。体重計の上に私が載ると、画面に私の体重が表示されます。
 同じく、予め許可をいただいたもう一人のTA(男子学生)にも体重計に載ってもらいます。これは、私が体重計に不正をしていないことを示すための措置です。かくして、履修生は私の体重とTAの体重を9月末に記録し、10月を越えて、11月の「絶対に失敗しないダイエット」の回を迎えることになります。
 11月の授業において、例年、私が体重計に載った瞬間、大教室に大歓声と拍手が響きわたります。例えば、2022年度の授業の場合、10月の初回には75・8㎏あった私の体重が、64・8㎏まで減りました。11㎏の減少です。
 私は、痩せるために用いた知識を、栄養学に関する分子生物学の基本的な概念などを用いて説明します。その基本ノウハウは、体重1㎏を減らすには、本来予定していたカロリー数として7000kcal分を摂取しなければよいという方針に従っています。
 つまり、1日に700kcalの摂取を控えれば、10日間で1㎏痩せられるというものです。その説明の過程で生物の体の中で働いている分子(五大栄養素などを含め)のことや、いくつかの分子生物学の知見をからめて話していきます。
 話が小難しくなると、眠くなる学生が出てきます。視線が下になる学生が増えてきたタイミングで次のような質問を投げかけ、よく考えてもらいます。
 10日間で1㎏痩せるなら、前記の方針では9月末から11月までにせいぜい4㎏〜5㎏しか軽くならないはずです。しかし、実際には10㎏以上も痩せているのです。一体、どうしてでしょうか?
 ここで、私は一つのウソをつきます。「薬を用いました」と。ドイツで開発された新薬を用いると、脂肪が二酸化炭素と水に分解されるという大ウソです。
 しかも、その薬を持参したので、元気よく手を上げた履修生には差し上げるという、おまけつきです。そうすると、毎回、必死の形相で手を上げる女子学生らと、その勢いに押されて手を下ろす男子学生の様子を見ることになります。そして、種明かしです。
 「ごめんなさい! 今の薬の話は真っ赤なウソ。そもそも、巷には似た話がたくさんありますが、そんな話に乗ってはいけません」と諭します。教室には、ドーンと一気に重い空気が漂いますが、もはや寝ている人はいません。そこで、脂肪という分子について説明をします(授業で話す内容の多くがこの本の第1章にも書かれています)。
 読者の皆様も、それでは、どのようにして私が10㎏痩せたのかと興味をお持ちでしょう。
 なんのことはありません。1か月半の間、カロリーを含むものをほとんど何も口にしなかっただけです。1日に700kcalどころか1500〜2000kcalの摂取を控えたわけです。役づくりで同じようなことをされる役者さんもいます。
 もちろん、これは体への負担がかなり大きいので絶対におすすめできません。私はダイエット期間中に血液検査も行っています。面白いように、いろいろな項目において通常時と大きく異なる値が出てきます(個人差があるので具体的な項目や数値の紹介は差し控えます)。
 とにかく、極端なことをすると、体が悲鳴をあげるというわけですね。さすがに50代になりましたので、ここまでストイックなことはもうやめておこうと思っていますが……。
 このように、私は慶應義塾大学における生物学の大講義に対して、ある意味、自らの命を削りながら立ち向かってきました。様々な創意工夫を交えて、生物学、特に分子生物学を、専門ではない学生にもできる限りわかるように伝えてきました。
 本著は、その経験をフル活用し、読者の皆さんに、分子生物学という分野がどのようなものであり、それが導く未来予想図がどのようなものであるかをわかりやすく伝えることを目指したものです。
 内容を正しく理解していただくために、あえて第1章は基礎的な生物学の内容に言及しています。第2章、第3章では、過去の革新的な発見や発明を時代の流れに沿って説明します。大学の授業においても、主旨の理解のために基盤知識を伝えるために数回を要することが多々あります。生物学に関する造詣の深い方や、未来像に関する考え方だけを捉えたい方は第3章までは読み飛ばすという手もあるかもしれません。第4章では地球環境がどのようになるか、第5章では遺伝子組換えの影響について、第6章では近未来の医学・薬学の予想を含めました。最後の第7章は観点を変えて、著名なSF的観点を題材として解説します。

脂肪は敵ではない

 たんぱく質、脂質、炭水化物という三大栄養素の中でも、脂質については、世の中で正当な評価を受けていない気がします。ここでは、脂質がいかに秀逸な栄養素であるのかについて、説明を加えさせてください。私たちの身体に蓄積される脂質のことを特に脂肪と呼びます。飽食の時代とも言われる現代、先進国では脂肪が健康の敵のように扱われがちです。最先端の科学雑誌ですら、ダイエット(脂肪を減らすことや蓄積させないこと)に関する論文が頻繁に掲載されています。
 優秀な分子である脂肪がこのような扱いを受けていることに、生物学者として一抹の寂しさを覚えざるをえません。
 私たちの身体が脂肪を蓄積させる最大の理由は、そのエネルギー効率の高さです。タンパク質と炭水化物は1gあたり約4kcalのエネルギーを発生させることができますが、脂肪に関するその数値はその2倍以上、約9kcalになります。
 同じ体重を持つ生物個体AとBがいて、AとBの間に生存競争があったとしましょう。
 その場合、BがAの2倍以上のエネルギーを持っていて、それ以外の条件が同じであるならば、Bが勝利します。これが、脂肪が優れたエネルギー分子だと言える所以です。
 脂肪が優秀である別の理由は、脂肪の主成分である脂肪酸の活用法にあります。脂肪酸は方向性を持つ細長い分子です。一方の端から他方の端まで長さのある分子と考えてください。ミトコンドリアにおいて、エネルギー源として用いられるのは尾の先っぽの部分だけです。使われる際、そこが切り取られ、その部分はアセチルCoAという分子に変化し、ミトコンドリア内で行われるエネルギー産生の代謝反応に加わります。
 面白いことに、切り取られた残りの脂肪酸は、切断面から化学反応が起こり、再びエネルギー源として利用できる部位が形成されます。つまり金太郎飴のように、脂肪酸は切っても切ってもエネルギー源として利用できる部位が出てくるというわけです。

脂肪酸にはα領域とβ領域があり、即座に使えるのはβ領域。しかし、β領域が切り取られてもその切断面が新たなβ領域になる。切っても切っても同じ金太郎の顔が出てくる飴のようなもの。この一連の反応をβ酸化と呼ぶ。

 この特有の反応をβ酸化と呼びます。βは炭素の位置を示すもので、脂肪酸では、切っても切っても、長さが続く限りβの位置にあたる炭素を含む末端が出現します。このような脂肪酸を主成分とする脂肪は使い勝手がよく、優れたエネルギー源なのです。
 エネルギー効率が圧倒的に高く、使いやすいため、生物進化の過程で脂肪がエネルギー源に選ばれたのは自然なことと言えます。脂肪に対する理解とその価値を再評価することで、より健康的な視点を得ることができるのではないでしょうか。


続きは『希望の分子生物学 私たちの「生命観」を書き換える』でお楽しみください。

黒田 裕樹(くろだ・ひろき)
1973年京都生まれ。名古屋大学理学部分子生物学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科修了(博士)。ULCAにてポスドク、静岡大学教育学部理科教育講座にて准教授を務めたのち、慶應義塾大学環境情報学部准教授を経て、現在同大学教授。主な研究テーマは発生生物学。アフリカツメガエルなどを用いて脊椎動物の初期発生過程の形づくりにかかわる分子機構を解析している。その影響で、近辺の別分野の教員からはカエル屋とも呼ばれる。著書に『休み時間の分子生物学』(講談社)。

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